「じぇんごたれ」遠野徒然草

がんばろう岩手!

広く深く・・・

2006-02-09 21:18:37 | 歴史・民俗
 阿曽沼と浅沼は同意義か・・・?・・すなわち阿曽沼さんは浅沼さんであり、浅沼さんは阿曽沼さんである・・・ということ。

 遠野郷土史界では「阿曽沼」も「浅沼」も同じで、書方や読方が違うだけで同じだとしている。
 私もそう考えていた一人でした。

 「吾妻鏡」に散見される阿曽沼四郎広綱、また浅沼四郎広綱なる人物名もみえる、後の歴史家達は阿曽沼四郎も浅沼四郎も同一人物と考えたことによるものでもあろう・・・。

 栃木県佐野市・・いわずと知れた(知らないかも・・)佐野ラーメンで有名な・・・いやいや・・汗・・・遠野中世領主、阿曽沼氏発祥の地とされる土地である。
 佐野市に浅沼町なる地域があり、しかも町内には浅沼神社が鎮座している。
 この浅沼神社がある場所は、かつての阿曽沼氏の居城、阿曽沼城跡でもある。
 
 つまり佐野市においても阿曽沼=浅沼、さらに浅沼姓の方々もおられて下野阿曽沼氏の末裔ともいわれている。

 さらに遠野でも、阿曽沼氏に縁ある方々の末裔は浅沼姓といわれますし、阿曽沼一門であった鱒沢氏縁の末裔の方々も浅沼姓を名乗る方も居られるとか、・・。

 ついでに天正20年6月11日付
 増沢 山城 浅沼忠次郎持分・横田 山城破 信直抱代官九戸左馬助唐之供
 板沢 山城破 浅沼藤次郎持分   「聞老遺事」
 
 これは豊臣秀吉による全国統一により、一国一城の考えにより南部領内の城館の破却対象とされた48城のうちの遠野の城館である。
 この中に増沢・浅沼忠次郎  板沢・浅沼藤次郎・・とあり、実は浅沼忠次郎にいたっては鱒沢館の鱒沢氏、浅沼忠次郎と名乗った館主は一応、おります。
 が、南部領に組み込まれたとしても阿曽沼を浅沼としている点、これはどういうことなのだろう・・・やはり同名ということなのか・・・?(南部信直が遠野も自領として表向きは組み入れた形ではあるが、阿曽沼広郷とか遠野孫次郎、鱒沢としなかったのは何故なのか、)

 ということで結局結論に至ってませんが、郷土史という分野、限られた地域の歴史を扱うことながら、実は地域を飛びだして広い地域に及ぶこと、さらに奥がとてつもなく深いということ、この阿曽沼と浅沼に関しても調べればかなり奥深く調べなければならない、掘り起こしとされる作業にも通じますが、とにかく狭いと考えがちの郷土史分野、実は広くて奥が深いのである・・・。

こちら

住田の城跡と世田米と阿曽沼氏・遠野との関連を本編サイトへ追加いたしました。

画像は栃木県佐野市浅沼八幡、阿曽沼城跡の碑
2004年2月訪問

10日から1泊2日の予定で八戸へ行って参ります。
コメント (5)
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