穏やかな一日、程よい青空も広がり、まさに小春日和。
遠野第2ダム辺りから・・・。
☆袖高屋館・・・遠野町
市内城館跡調査による資料掲載における遠野町分の城館跡探訪にて最後の探訪箇所となっていた袖高屋館を探訪いたしました。
市道により切り通しとなっていますが、左右の山野が館跡と考察されている。
画像での右手には稲荷社、さらに遠野初となる水力発電所の貯水池(石組)、市道を挟んだ左側山野が主郭部分と思われ、今回は左手の物見山側の山野を探訪いたしました。
館主・築、使用年代不明・館に関する伝承無し。
当初は上郷町内の某所を探訪するつもりでありましたが・・・(おまけで記述します)・・・。
思いつきみたいな内容になってしまい、資料も持たずに来内方向へ車を走らせ、切り通しの南側の杉林から山野突入・・・。
比高も高くなく辛い斜面登りも少なめ、早くも2~3段程度の帯廓が出現し、まさに館跡と確信を持ちながら探訪を続ける。
少し平坦な場所を先に進むと・・・・。
空堀跡が目に飛び込んでくる。
まあまあな空堀、しかも上方の斜面にも同じような流れの空堀を発見。
しかもさらに上方にもそれらしき窪みが見え隠れしている。
これは3重堀か?街場に近い館も捨てたもんじゃないな、なんて考えながら、2重目の空堀跡を斜面に沿って進む。
下2本の空堀は峰を大きくカーブして斜面を横断するように駆け下っている。
東南側峰を断ち切る堀切・・・でもかなり小さい・・・。
主郭の雰囲気を感じる平場に到着したが、背後の峰を断ち切る堀切が見当たらない。
空堀跡は峰沿いに残されているものの、背部で反対側斜面に下っておらず、そのまま山野の上方にほぼ真っ直ぐ伸びている。
これは堀跡ではなく道跡か?と勘繰りながらも逆側の斜面を見ると、こちらにも2重の空堀跡らしき窪地が北側斜面を走っている。
しかし、空掘にしては幅も狭く深さも足りないような・・・こちらも上方の山野から下ってきているようだ?・・・。
最初に上って来た東南側の斜面、下2重は空堀跡といわれれば、そのとおりと答えそうな十分な大きさではあるが、他は水路か?と思えるような形状・・・、今まで見た空堀跡とは少し違うような雰囲気がしておりました。
館跡での生活用水を峰沿いに水路を作ってひいていた水路跡だと考察しているものが結構ありますが、その跡なのか、疑問を残しながら帰宅して資料を見ますと・・・・。
鉄穴流(かんなながし)の跡と考察されているようです。
※鉄穴流
鉄穴流しとは砂鉄を含む山砂を渓流に流し、軽い砂は早く下流に流し、砂鉄は底に沈んで溜まる。これを繰り返すと次第に砂鉄の含有率が高くなる。いわゆる比重選鉱法。
すなわち砂鉄をとるために斜面に水路を作ったもの・・・と理解されますが、産鉄に関しての知識等は無いに等しいですし、遠野における産鉄関連の資料も未確認ですのでなんともいえませんが、鉄穴流し法を調べますと江戸時代に確立した方法、或いは戦国時代から続けられていた?とか色々と説はあるようです。
確かに現地を見た限りでは空堀跡ではなく水路跡といった雰囲気が十分感じられますし、袖高屋館は館跡とする内容の他に産鉄に関わる一大施設であったという妄想が膨らんでまいります。
上部で上質な砂鉄を精製、下部でタタラ製鉄・・・傍を流れる来内川は砂鉄の宝庫であったという伝承もあるような・・・なんかそんな雰囲気も確かにいたします。
来内方向
おまけ・・・上郷町暮坪
当初は、上郷町の暮坪館(赤沢館)を探訪しようと現地に突入するも、背丈以上の笹竹に阻まれて探訪を断念、予定を変更しての本日の探訪となりました。
上郷町では、赤羽根館・平倉館
小友町・・・高館(鷹鳥屋)
綾織町・・・丹内神社
土淵町・・・なれえ館
宮守町・・・鳴沢館
市外・・・江刺区内
今季は以上の館跡探訪を予定しておりますが、別館への再訪もあるかもしれません。
遠野第2ダム辺りから・・・。
☆袖高屋館・・・遠野町
市内城館跡調査による資料掲載における遠野町分の城館跡探訪にて最後の探訪箇所となっていた袖高屋館を探訪いたしました。
市道により切り通しとなっていますが、左右の山野が館跡と考察されている。
画像での右手には稲荷社、さらに遠野初となる水力発電所の貯水池(石組)、市道を挟んだ左側山野が主郭部分と思われ、今回は左手の物見山側の山野を探訪いたしました。
館主・築、使用年代不明・館に関する伝承無し。
当初は上郷町内の某所を探訪するつもりでありましたが・・・(おまけで記述します)・・・。
思いつきみたいな内容になってしまい、資料も持たずに来内方向へ車を走らせ、切り通しの南側の杉林から山野突入・・・。
比高も高くなく辛い斜面登りも少なめ、早くも2~3段程度の帯廓が出現し、まさに館跡と確信を持ちながら探訪を続ける。
少し平坦な場所を先に進むと・・・・。
空堀跡が目に飛び込んでくる。
まあまあな空堀、しかも上方の斜面にも同じような流れの空堀を発見。
しかもさらに上方にもそれらしき窪みが見え隠れしている。
これは3重堀か?街場に近い館も捨てたもんじゃないな、なんて考えながら、2重目の空堀跡を斜面に沿って進む。
下2本の空堀は峰を大きくカーブして斜面を横断するように駆け下っている。
東南側峰を断ち切る堀切・・・でもかなり小さい・・・。
主郭の雰囲気を感じる平場に到着したが、背後の峰を断ち切る堀切が見当たらない。
空堀跡は峰沿いに残されているものの、背部で反対側斜面に下っておらず、そのまま山野の上方にほぼ真っ直ぐ伸びている。
これは堀跡ではなく道跡か?と勘繰りながらも逆側の斜面を見ると、こちらにも2重の空堀跡らしき窪地が北側斜面を走っている。
しかし、空掘にしては幅も狭く深さも足りないような・・・こちらも上方の山野から下ってきているようだ?・・・。
最初に上って来た東南側の斜面、下2重は空堀跡といわれれば、そのとおりと答えそうな十分な大きさではあるが、他は水路か?と思えるような形状・・・、今まで見た空堀跡とは少し違うような雰囲気がしておりました。
館跡での生活用水を峰沿いに水路を作ってひいていた水路跡だと考察しているものが結構ありますが、その跡なのか、疑問を残しながら帰宅して資料を見ますと・・・・。
鉄穴流(かんなながし)の跡と考察されているようです。
※鉄穴流
鉄穴流しとは砂鉄を含む山砂を渓流に流し、軽い砂は早く下流に流し、砂鉄は底に沈んで溜まる。これを繰り返すと次第に砂鉄の含有率が高くなる。いわゆる比重選鉱法。
すなわち砂鉄をとるために斜面に水路を作ったもの・・・と理解されますが、産鉄に関しての知識等は無いに等しいですし、遠野における産鉄関連の資料も未確認ですのでなんともいえませんが、鉄穴流し法を調べますと江戸時代に確立した方法、或いは戦国時代から続けられていた?とか色々と説はあるようです。
確かに現地を見た限りでは空堀跡ではなく水路跡といった雰囲気が十分感じられますし、袖高屋館は館跡とする内容の他に産鉄に関わる一大施設であったという妄想が膨らんでまいります。
上部で上質な砂鉄を精製、下部でタタラ製鉄・・・傍を流れる来内川は砂鉄の宝庫であったという伝承もあるような・・・なんかそんな雰囲気も確かにいたします。
来内方向
おまけ・・・上郷町暮坪
当初は、上郷町の暮坪館(赤沢館)を探訪しようと現地に突入するも、背丈以上の笹竹に阻まれて探訪を断念、予定を変更しての本日の探訪となりました。
上郷町では、赤羽根館・平倉館
小友町・・・高館(鷹鳥屋)
綾織町・・・丹内神社
土淵町・・・なれえ館
宮守町・・・鳴沢館
市外・・・江刺区内
今季は以上の館跡探訪を予定しておりますが、別館への再訪もあるかもしれません。