私が体験した不思議な話、全四話を何回かに分けてご紹介いたします。第一話は「権現様・権現様に取り憑かれた少年」です。
記憶は定かではございませんが、私が小学校に上がる寸前の春先か、或いは小学生1年の春休みの頃と記憶しております。辺りにはまだ残雪もあって地面がぬかるんでいる季節でした。
幼かった私は、祖母と二階の座敷に寝ておりましたが、田舎故のこと、子供もお年寄りも午後8時には床に就くといったことは日常的で親達も9時には就寝するといった時代でもありました。
8時には寝ていた私でしたが、何故か午後10時を過ぎた頃に起きだして階段の中程にポツンと座って下の茶の間の様子を伺っていた光景が何日か続いていたそうです。
記憶も曖昧ながら、この姿をたまたま見た母親に「このわらす、なにやってらべ、風邪ひくぞ・・・」と何度か言われた記憶もございますし、父親にも祖母にもいわれたと思います。
こんなことが一週間ほど続いたそうですが、10時には寝ている家族、最初の頃は発見されず時には朝方まで座っていたこともあったと思われます。
一週間ほど経って不審に思った祖母に連れられて福泉寺に行き、先代の宥燃和尚の祈祷を受けることになりましたが、最初は大人達の思い込みがあったのか、毎日のように福泉寺の境内で遊んでいた私ですので、狐の祟りとか、お稲荷さんに取り憑かれたという話しになっていたようです。
和尚さんの祈祷を受けた晩も一向に症状は回復されず、かえって私の目つきが怪しくなる始末だったとかで、二日ほど様子をみていたが、改善の兆しもない、3日目に再び宥燃和尚にご祈祷いただくと、かなり強い念が入っているとかで、どうやら権現様に取り憑かれているとのこと、さらに権現様は本来あるべき場所に安置してほしいがために私を使って訴えかけているとの内容だったそうです。
実は、この時、我家には駒木神楽での権現様を正月過ぎから預かり2階の座敷、床の間に安置していたのです。まさに私の枕元近くでした。
神楽保存会で持ち回りで半年から一年単位で各家々で安置していたのでしたが、早速翌日には神楽保存会の面々が召集され私は鐘を持たされ大人たちに混じって家から福泉寺本堂まで、神楽の笛、太鼓に合わせて幼いながらも金を叩かされて本堂入りした記憶がございます。
本堂では和尚さんのお経やお祓いの後、再び神楽の舞が行われ、その際も鐘を延々と叩きました。その後、権現様(神楽の獅子頭)を持った古老の方が私の傍に来て、私の頭のあたりを「カチ、カチ・・」と権現様の口で噛む仕草をしてご祈祷は終了となりましたが、その晩から私の夜の症状は無くなったそうです。
後に物心がつくようになって聞く話しによると、私の事以来、権現様は福泉寺本堂にしばらく安置され、間もなく我家で別当を務める愛宕堂が福泉寺によって新築されますと、愛宕堂が権現様の安置場所となりました。
私の事以前にも、権現様を預かったお宅では体調を崩した家族もいたとかで、その前兆は以前からあったとのことでもあります。・・・・「どんどはれっ」
画像は福泉寺本堂と愛宕堂
次回第二話は、間もなく予定されております、伝承行事「愛宕神社宵宮」での幼き頃の体験談です。
記憶は定かではございませんが、私が小学校に上がる寸前の春先か、或いは小学生1年の春休みの頃と記憶しております。辺りにはまだ残雪もあって地面がぬかるんでいる季節でした。
幼かった私は、祖母と二階の座敷に寝ておりましたが、田舎故のこと、子供もお年寄りも午後8時には床に就くといったことは日常的で親達も9時には就寝するといった時代でもありました。
8時には寝ていた私でしたが、何故か午後10時を過ぎた頃に起きだして階段の中程にポツンと座って下の茶の間の様子を伺っていた光景が何日か続いていたそうです。
記憶も曖昧ながら、この姿をたまたま見た母親に「このわらす、なにやってらべ、風邪ひくぞ・・・」と何度か言われた記憶もございますし、父親にも祖母にもいわれたと思います。
こんなことが一週間ほど続いたそうですが、10時には寝ている家族、最初の頃は発見されず時には朝方まで座っていたこともあったと思われます。
一週間ほど経って不審に思った祖母に連れられて福泉寺に行き、先代の宥燃和尚の祈祷を受けることになりましたが、最初は大人達の思い込みがあったのか、毎日のように福泉寺の境内で遊んでいた私ですので、狐の祟りとか、お稲荷さんに取り憑かれたという話しになっていたようです。
和尚さんの祈祷を受けた晩も一向に症状は回復されず、かえって私の目つきが怪しくなる始末だったとかで、二日ほど様子をみていたが、改善の兆しもない、3日目に再び宥燃和尚にご祈祷いただくと、かなり強い念が入っているとかで、どうやら権現様に取り憑かれているとのこと、さらに権現様は本来あるべき場所に安置してほしいがために私を使って訴えかけているとの内容だったそうです。
実は、この時、我家には駒木神楽での権現様を正月過ぎから預かり2階の座敷、床の間に安置していたのです。まさに私の枕元近くでした。
神楽保存会で持ち回りで半年から一年単位で各家々で安置していたのでしたが、早速翌日には神楽保存会の面々が召集され私は鐘を持たされ大人たちに混じって家から福泉寺本堂まで、神楽の笛、太鼓に合わせて幼いながらも金を叩かされて本堂入りした記憶がございます。
本堂では和尚さんのお経やお祓いの後、再び神楽の舞が行われ、その際も鐘を延々と叩きました。その後、権現様(神楽の獅子頭)を持った古老の方が私の傍に来て、私の頭のあたりを「カチ、カチ・・」と権現様の口で噛む仕草をしてご祈祷は終了となりましたが、その晩から私の夜の症状は無くなったそうです。
後に物心がつくようになって聞く話しによると、私の事以来、権現様は福泉寺本堂にしばらく安置され、間もなく我家で別当を務める愛宕堂が福泉寺によって新築されますと、愛宕堂が権現様の安置場所となりました。
私の事以前にも、権現様を預かったお宅では体調を崩した家族もいたとかで、その前兆は以前からあったとのことでもあります。・・・・「どんどはれっ」
画像は福泉寺本堂と愛宕堂
次回第二話は、間もなく予定されております、伝承行事「愛宕神社宵宮」での幼き頃の体験談です。
特に北東北には摩訶不思議な言い伝えや遺構、アイヌ語や更にはヘブライ由来ではないかと言われる倭語とは明らかに異なる語源の地名の存在などなど、本当に不思議がいっぱいですね!
第2話が楽しみです
それ以前はさほど興味はなかったのですが、今後権現様を見る目が変わると思います。
既に、また見たいモードに入ってしまいました。b
いずれ今回の第一話、神楽は単なる芸能ではないということ、何かしら目に見えぬ力なり、雰囲気を感じるものだと思います。