日本史分野でしかも北奥羽史関連を時代を問わず手広く趣味で調べておりますが、今回は戊辰戦争での盛岡藩軍が秋田久保田藩に攻め入った進撃ルート上の史跡等を探訪して参りました。
盛岡藩(南部藩)の明治維新については・・・こちら(盛岡藩)・こちら(遠野南部家の戊辰戦争)
簡単に説明しますと、徳川幕府は崩壊、薩摩、長州といった西国の雄藩が官軍となって、江戸へ進駐、さらに京都時代、幕府側として長州等と敵対関係であった会津藩及び庄内藩を討伐する姿勢の官軍、当初は東北の雄藩、仙台、米沢、盛岡、秋田久保田藩等に会津、庄内討伐を命令するも、会津、庄内藩に同情的な東北各藩は、会津藩からの謝罪、降伏を引き出すも、官軍はこれを拒む、東北諸藩は白石にて各藩の重臣による会議を開催、薩摩、長州は官軍にあらず、攻めてくるなら戦いあるのみ・・に一決、東北はおろか新潟も戦場となり東北における戊辰戦争が始まったのであります。
盛岡藩の隣藩、秋田久保田藩21万石は、突如として東北同盟を離脱、西軍側となって庄内藩へ攻め込む、秋田へ送った使者11名が秋田城下で久保田藩士によって惨殺された仙台藩は激怒、盛岡藩は秋田へ攻め込むべしとの要請を受ける。
官軍につくか、官軍に抗戦かと態度を決めかねていた盛岡藩でしたが、家老の楢山佐渡が藩論を抗戦に一決し、盛岡藩軍1千6百名は総大将楢山佐渡に率いられて、鹿角へ進軍、鹿角から比内、大館へ進撃し、各地で秋田側と激戦を繰り広げ、ついに大館を占領、その後も破竹の勢いで能代へ迫りつつあったが、秋田支援の西軍、佐賀藩軍が秋田の加勢に加わると、戦局一点し、盛岡軍は辿った道を敗走し、ついに降伏・・・・。
ということで、鹿角市花輪の長年寺、恩徳寺を訪問、こちらには戦死された盛岡藩士の墓所があってお参りして参りました。さらに毛馬内の仁叟寺にて戊辰戦争の碑をみて、比内町へ移動、激戦の地を訪問後、比内鶏ラーメンをいただき、大館へ・・大館では目的地に行く着くことができず、そのまま撤退、しかし、実のある探訪でもありました。
夜はご同行いただきました盛岡市のF氏と懇親を深めて参りました。
画像は盛岡市F氏が描いたお地蔵さんの絵・・・何点かいただきましたが、どれもなんともいえない上手さが光り、さらに少し心が安らかになる、そんな思いでもあります。
お地蔵さんキャラとして、第二のキティちゃんのような存在になるのではないのか・・・なんて考えたりします。
ちなみに地震等災害が頻発する昨今、お地蔵さんが地震を封じ込めようとしている絵でしょう・・・おそらく・・・。
盛岡藩(南部藩)の明治維新については・・・こちら(盛岡藩)・こちら(遠野南部家の戊辰戦争)
簡単に説明しますと、徳川幕府は崩壊、薩摩、長州といった西国の雄藩が官軍となって、江戸へ進駐、さらに京都時代、幕府側として長州等と敵対関係であった会津藩及び庄内藩を討伐する姿勢の官軍、当初は東北の雄藩、仙台、米沢、盛岡、秋田久保田藩等に会津、庄内討伐を命令するも、会津、庄内藩に同情的な東北各藩は、会津藩からの謝罪、降伏を引き出すも、官軍はこれを拒む、東北諸藩は白石にて各藩の重臣による会議を開催、薩摩、長州は官軍にあらず、攻めてくるなら戦いあるのみ・・に一決、東北はおろか新潟も戦場となり東北における戊辰戦争が始まったのであります。
盛岡藩の隣藩、秋田久保田藩21万石は、突如として東北同盟を離脱、西軍側となって庄内藩へ攻め込む、秋田へ送った使者11名が秋田城下で久保田藩士によって惨殺された仙台藩は激怒、盛岡藩は秋田へ攻め込むべしとの要請を受ける。
官軍につくか、官軍に抗戦かと態度を決めかねていた盛岡藩でしたが、家老の楢山佐渡が藩論を抗戦に一決し、盛岡藩軍1千6百名は総大将楢山佐渡に率いられて、鹿角へ進軍、鹿角から比内、大館へ進撃し、各地で秋田側と激戦を繰り広げ、ついに大館を占領、その後も破竹の勢いで能代へ迫りつつあったが、秋田支援の西軍、佐賀藩軍が秋田の加勢に加わると、戦局一点し、盛岡軍は辿った道を敗走し、ついに降伏・・・・。
ということで、鹿角市花輪の長年寺、恩徳寺を訪問、こちらには戦死された盛岡藩士の墓所があってお参りして参りました。さらに毛馬内の仁叟寺にて戊辰戦争の碑をみて、比内町へ移動、激戦の地を訪問後、比内鶏ラーメンをいただき、大館へ・・大館では目的地に行く着くことができず、そのまま撤退、しかし、実のある探訪でもありました。
夜はご同行いただきました盛岡市のF氏と懇親を深めて参りました。
画像は盛岡市F氏が描いたお地蔵さんの絵・・・何点かいただきましたが、どれもなんともいえない上手さが光り、さらに少し心が安らかになる、そんな思いでもあります。
お地蔵さんキャラとして、第二のキティちゃんのような存在になるのではないのか・・・なんて考えたりします。
ちなみに地震等災害が頻発する昨今、お地蔵さんが地震を封じ込めようとしている絵でしょう・・・おそらく・・・。
天然の鮎の遡上が多く鮎釣りをする者にとっては最高の川です。ちょっと遠いのですが
このへんからもかなりの鮎師の方が行く
ようです。
なかなか綺麗な川で、鮎のみならず桜鱒なんかも有名だと聞いたことがございます。
また河口から何キロ、10キロ以上ですかね、ここまでシーバス(すずき)が遡上して鮎を追いかけているといった話も聞いたことがあり、釣りに興じていた頃、シーバス釣りに出かけたいと思っていた頃もございました。