「じぇんごたれ」遠野徒然草

がんばろう岩手!

八戸冬紀行

2006-02-12 11:07:37 | その他
 「八戸冬紀行」・・・たいそうなタイトルですが、要するにこの度、八戸を訪ねて来ました・・ということで、その模様をお伝えいたします。

 今回は、歴史資料、書籍等の収集、今後の調べでの指針を求めるといったテーマがありましたが、その本音は八戸在の睦月庵さんとの新年会という意味合いが強いものでもあります・・・。


盛岡駅・・・はやて

 新花巻駅まで自家用車で向かい、新花巻駅から「やまびこ」で盛岡へ・・・盛岡駅で「はやて」に乗り換えて八戸へ・・・遠野を出て、途中盛岡駅での乗り換え時間もありますが、八戸へは2時間程で到着・・・盛岡からは30分で八戸へ到着。


八戸駅前・・・
 八戸も結構積雪がありました。
 画像には、話題の某ホテル支店がございますが、中央の木造の建物、以前は駅前旅館として平成の初め頃まで活躍していたそうです。現在は居酒屋なそうですが、かなり古い建物、さらに旅館だった頃の趣が人気を博して居酒屋も結構流行っているとか・・・。


八戸市博物館・・・南部師行公騎馬像

 八戸駅から定番の八食センターへ移動して、お土産の海産物を買い込んで家に宅急便にて送り、直ぐに博物館へ移動・・・。
 博物館は今回で5度目ですが、一回りして、今回、メールにてお願いしていた件を受付にてお話ししますと・・・「遠野の菊池さんですか、お待ちしておりました・・」ということで、担当の方が応対くださり、昨年秋に開催された加伊寿御前と清心尼公・・の講演会の資料をいただいて参りました。
 実は2月6日付けの「辛口」のタイトルにて、某博物館へメールを送信、返信が全くないことを嘆く書き込みをしましたが、先方ではメールは確認していたようでもある。
 資料の準備をしてお待ちしていたことは確かなことでもあり、その上、ご親切な対応をいただいたこと、感謝しております。イメージが崩れかけていた八戸、今回の事で好印象倍増といったところです・・・単純ですねえ・・笑

 
陸奥湊・・・お食事のデパート「きよし」

 早めに宿にチェックイン、荷物を置くと本八戸駅へ徒歩で向かう・・久慈行きの列車に乗り込んで、3つ先の駅、陸奥湊で下車、睦月庵さんと再度待ち合わせして、湊文庫にて古書を漁る・・・ネット古書に登録してある湊文庫、実は種苗店ということで、古書店は冬季間のみの営業とか・・・店頭には既に種類(たねるい)が並び始めており、古書のコーナーは激減状態とか・・・さて、今回のお目当ては・・・

 
「八戸根城と南部家文書」

 今回、ネットにて格安の値段で販売されていたが、八戸へ行くということで直接手にとって購入と考えていた。
 状態は凄く良い・・新品同様といっても過言はない、早速購入・・・が、値段が5千円ほど高い、睦月庵さんが持っていた古書目録を片手に「インターネットでは○万○千円とありますが・・」お店「あっ、もう一冊あってそっちの方の値段だよ・・」・・少し納得がいかない顔をすると・・「わかった、じゃ~、ネット価格で良いよ」・・・・少し得した気分と何よりも南部家文書と共に解説と訳が入っているので、私のような素人でもたいへん助かる代物である・・・自分としては欲しい書籍が手にはいったこと、これが大収穫でありました。

 午後4時、「きよし」の開店に併せて新年会開始・・午後4時、早い宴会の開始でありましたが、結構時間が経ったな・・と思いきや、まだ午後6時・・この日は十分楽しめると実感いたしました。

 
 八戸繁華街


八戸屋台村「みろく横丁」

 午後8時過ぎ、陸奥湊をあとにして街へ移動・・・屋台村にて飲み直し・・・。

 八戸の屋台村は、来るたびにお邪魔してますが、かなりの盛況ぶり・・屋台村の成功例とかで、全国から研修や問い合わせが多いとか・・。
 画像はその一部分のみです・・・通りの中央に共同トイレが配され二つの通りに屋台が向き合うように配されており、結構規模は大きいほうかもしれません。

 午後9時、流石に明るいうちから飲み続けている、酔いも回り、ラーメン店に連れて行っていただいて、解散・・・午後10時、早いような遅いような・・・でも6時間も飲んでいれば十分過ぎですよね・・汗

 翌日は9時に図書館、八戸関連の資料、図書の閲覧にて今後の調べでの目星がついた次第です。
 その後、八戸駅に移動、昼食後、12時05分発の「はやて」にて帰途につきました。
 
 今回も色々とお世話になりました睦月庵さん、ありがとうございました。
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広く深く・・・

2006-02-09 21:18:37 | 歴史・民俗
 阿曽沼と浅沼は同意義か・・・?・・すなわち阿曽沼さんは浅沼さんであり、浅沼さんは阿曽沼さんである・・・ということ。

 遠野郷土史界では「阿曽沼」も「浅沼」も同じで、書方や読方が違うだけで同じだとしている。
 私もそう考えていた一人でした。

 「吾妻鏡」に散見される阿曽沼四郎広綱、また浅沼四郎広綱なる人物名もみえる、後の歴史家達は阿曽沼四郎も浅沼四郎も同一人物と考えたことによるものでもあろう・・・。

 栃木県佐野市・・いわずと知れた(知らないかも・・)佐野ラーメンで有名な・・・いやいや・・汗・・・遠野中世領主、阿曽沼氏発祥の地とされる土地である。
 佐野市に浅沼町なる地域があり、しかも町内には浅沼神社が鎮座している。
 この浅沼神社がある場所は、かつての阿曽沼氏の居城、阿曽沼城跡でもある。
 
 つまり佐野市においても阿曽沼=浅沼、さらに浅沼姓の方々もおられて下野阿曽沼氏の末裔ともいわれている。

 さらに遠野でも、阿曽沼氏に縁ある方々の末裔は浅沼姓といわれますし、阿曽沼一門であった鱒沢氏縁の末裔の方々も浅沼姓を名乗る方も居られるとか、・・。

 ついでに天正20年6月11日付
 増沢 山城 浅沼忠次郎持分・横田 山城破 信直抱代官九戸左馬助唐之供
 板沢 山城破 浅沼藤次郎持分   「聞老遺事」
 
 これは豊臣秀吉による全国統一により、一国一城の考えにより南部領内の城館の破却対象とされた48城のうちの遠野の城館である。
 この中に増沢・浅沼忠次郎  板沢・浅沼藤次郎・・とあり、実は浅沼忠次郎にいたっては鱒沢館の鱒沢氏、浅沼忠次郎と名乗った館主は一応、おります。
 が、南部領に組み込まれたとしても阿曽沼を浅沼としている点、これはどういうことなのだろう・・・やはり同名ということなのか・・・?(南部信直が遠野も自領として表向きは組み入れた形ではあるが、阿曽沼広郷とか遠野孫次郎、鱒沢としなかったのは何故なのか、)

 ということで結局結論に至ってませんが、郷土史という分野、限られた地域の歴史を扱うことながら、実は地域を飛びだして広い地域に及ぶこと、さらに奥がとてつもなく深いということ、この阿曽沼と浅沼に関しても調べればかなり奥深く調べなければならない、掘り起こしとされる作業にも通じますが、とにかく狭いと考えがちの郷土史分野、実は広くて奥が深いのである・・・。

こちら

住田の城跡と世田米と阿曽沼氏・遠野との関連を本編サイトへ追加いたしました。

画像は栃木県佐野市浅沼八幡、阿曽沼城跡の碑
2004年2月訪問

10日から1泊2日の予定で八戸へ行って参ります。
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これぞ遠野?

2006-02-07 15:28:27 | 遠野
 本日も雪降り、さほど降雪があったわけでもないが、一応、雪掻きを朝一番に行う・・・その後、山ノ神さんも休みということで、最近よく行く五葉温泉に午前中出かけてくる。
 気仙地方も雪降りで道路は圧雪、しかし、断然遠野の方が寒くて雪の量も半端ではないと感じたしだいです。

 さて本日の画像・・・↓

 

 今も昔もこの姿・・・頬かむりにゴム長靴、自転車ではなかなか前に進むには難儀する道路事情・・・・。
 
 頬かむりの姿、不思議と周囲とマッチするから不思議である・・・・というか今も昔も親爺連中はこのスタイルが定番・・・・農機具メーカーのロゴ入り帽子に頬かむり、黒ゴム長靴(最近は派手目の長いやつ)、軍手、ドカジャン(建設作業員風)
かヤッケ・・・。

 この頬かむり・・・耳、頬を冷たさから守る優れもの、しかも鼻水だって拭ける・・・私もたまに頬かむりをしております・・・笑


 話は変わって五葉温泉・・・五葉山の麓ということあって鹿に必ず遭遇、本日も10頭近く目撃しましたが、そのうちの一頭・・・。

 
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辛口

2006-02-06 19:02:27 | その他
 昨晩は当直、さらに夕食でのコック長ということで、私の冬季限定「じぇんごキムチ鍋」を作って食べました。

 

 立春が過ぎたとはいえ、まだまだ寒い季節柄、やはり鍋を囲んで一家団欒、心も身体もホットになること間違いなし・・・笑・・・中でもキムチ鍋、これはかなり暖まります・・・さらに栄養価も高い・・程よい辛さで近日辺りいかがですか・・・。

 

 ホルモン・豚肉・肉だんご・かまぼこ・白菜・春菊・長葱・豆腐・糸こんにゃく・しめじ・うどん・キムチの素・カキ

 料理は目で見て・・・少し見た目が悪いですが、結構辛口です。

 もうひとつ辛口のお話し・・・

 歴史関連にて、他市町村役場やら図書館、博物館、資料館へ問い合わせ的なメールをたまに送信することがある。
 小難しい質問等は一応しているつもりはないし、それほど何日もかけて調べていただくといった内容は皆無と考えている。むしろ情報として教えを請うといった内容が主であるが、その対応ぶりがなんともいえない・・・。

 人口規模の大きい都市ほど返信が来ない、逆に町村といったところほど丁重でしかも求めていた以上の対応くださるところが多い・・。
 私も行政という枠の中で仕事している身でもありますから、大きな声では言えませんし、批判というものではありません・・・が・・・ホームページを開設し、しかも「お問い合わせは・・」とメールアドレスを公開しているにも関わらず、なしのつぶて・・とはどういうことなのだろう・・・忙しいからなのか、それとも単にその担当の怠慢なのか・・・メールを開封する暇もなく忙しいのか・・・とにかく無視はいただけない・・。ましてや私は苦情とか書いているわけではないですし・・。
 
 わからないならわからないと返信をいただければそれで納得します。・・・そのうち当方も忘れてはしまいますがね・・・汗

 それにしても遠野と歴史的に関係ある地、一種の親近感を持っていたが、見る目が変わりつつある・・・栃木県のとある市・また春、秋には大勢の見物客が遠野を訪れ、児童との交流事業も盛んで私も年に2度は訪ね、最も友好的な旧糠部にある市、ここの博物館(ここは3度送信して一度返信)・近隣のE市(ここ論外)

 逆に隣接の住田町、ここは以前にも丁寧に場所等を詳細に教えていただき、今回も丁重な扱いを受けました。
 山梨県身延町図書館、熊本県菊池市役所・・・もすばらしい対応をいただきました。今後共よろしくお願いします。

 少し辛口的な内容でしたが、私も傍からみれば同類、自分も他地域に住まいする方々への対応がどうなのか、今一度考えてみる必要があると思ってます。
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空振り

2006-02-04 13:54:11 | その他
 

似顔絵作成ツールをブックマークに追加。管理人の似顔絵大公開・・笑


この冬一番の冷え込み、遠野各町内はこの冬の最低気温を記録、宮守町や小友町、附馬牛町は非公式ながら氷点下20度、遠野市観測点、アメダスデータによりますと遠野市松崎町白岩・・私の職場設置のアメダスでは、氷点下17.1度となっております。
 かなり寒いと感じはしましたが、ダイヤモンドダストが舞っているわけでもなく、キーン・・と張り詰めた冷気を強く感じたわけでもない、氷点下10度は下回ったとは思いましたが、ここまで気温が下がっていたとは思いませんでした。

 本日の話題「空振り」・・・1月から職場での自治会というべき会で、雪掻きボランティアに有志を以って登録、スノーバスターズとして活動中でもあります。
 
 二日前から大雪、本日も雪掻きの要請を予想し、前日からボランティア事務局と調整を図っていたが、なかなか要請の電話が来ない。
 考えれば昨日にて大方の除雪は終了、それでもいきなり要請されても人数を集めるのは少したいへんと考え、前もってある程度の方々には声をかけていた。
 まずはこちらから電話を入れるもまだ要請は来ていないとのこと、事務局から該当するお宅へ連絡をして、それによって要請があるかもしれないとのこと。
 待つこと10分、やはり今のところ必要ではないとのことでありましたが、一軒だけ昨日から連絡のとれないお宅があるとか、今朝も電話をいれているが留守のようだとのこと。
 これは出動だっ・・ということで、まずは人数も揃っているということで、事務局に申し入れ、現場へ向かう・・・・が・・・既に近所の方々が出て除雪作業は終りかけていた・・・汗・・・ここまで着たからには残りの分だけでもと懇願したが不要とのこと・・・勢い勇んで出かけた割には空振り・・あえなく解散とありなりました。

 ということで本来はスノーバスターズの活動の模様を画像にてご紹介の予定が無くなりました。よって・・・松崎方面を回って下記の画像を撮ってまいりました。
 2月、今冬一番の冷え込みの松崎とでも題して・・・

 
 宮代橋からの物見山・猿ヶ石川

 
 宮代橋からの宮代集落・天ヶ森

 
 松崎公民館(旧地区センター)・・下松崎
 隣は消防コミュニティセンター(第5分団第4部)
 
 かつての松崎町の政治、文化の中心地でした。
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お宝の山

2006-02-02 20:24:03 | 歴史・民俗
 昨年12月以来、まとまった積雪はなかったが、やはり厳冬期、昨日から雪降りで10センチ程の降雪、しかも今日は雪はそれほどでもなかったが時折の強い風、地吹雪も舞う身に凍みる寒さでもありました。
 まだ2月、今しばらくは寒い日が続くものと思います。

 さて、私にとってのお宝の山・・・いやっ、お宝の部屋、それは図書館の郷土資料室・・・。
 通いはじめた頃は、受付で郷土資料室の閲覧を願い出ることをためらう場面も多々ございました。
 それは、ほぼ毎日、というより週に2度は通ってましたから、「この人、何やっている人だろう」なんて変な目で見られているのではと疑心暗鬼な時期もございました。
 
 しかし、郷土史をはじめとしての書籍は無論のこと、先人達が残した資料はかなりの数で、たいへん参考になっておりますし、遠野に居ながら県内各市町村史も閲覧できること、ましてや遠野南部家に関しての資料はやはりお膝元といわんばかりに充実はしていると思っている。
 ただし、通説が主で踏み込んだ考察がされていないというのが少しもどかしく、さらに阿曾沼氏関連に到っては真新しい資料は皆無に等しい・・・。
 
 

 

 私はこの部屋に入ると何故か落ち着きます。ホントは何時間でもいて、色んな資料を目にしたい・・・そんな衝動に駆られますが、必要な分のみ閲覧、じっくり研究したい内容はコピーをいただいて家に持ち帰ってからゆっくりと読むことにしております。
 行くたびに新たな発見が・・・これが理由です・・・。
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ひっつみだんご

2006-02-01 13:41:22 | 遠野
 私の少年時代、農閑期には土木作業員として働きに出ていた亡き親父は、朝出かける際に「ばんげ、しっつみだんごでも、くでなっ」 ・・・とよく言っていたのを思い出す。


 

 当時ひっつみだんごを作るのは亡き祖母の仕事、粉を練ってボールに寝かせていた。
 今のようにいい感じの出汁が出る調味料などはない時代、出汁は煮干、たまに「かんつか」・・・(かんつかとはなんでしょうか・・笑)を乾燥していたものを使ってましたが、私は嫌いだった、しかも味が濃い、親父は3杯はお替りして食べていたのを思い起こす。
 具は人参、長ネギ、椎茸、秋であれば旬のキノコ(メイダゲ・ボリミギ等)・・肉は入っていない、極めてシンプルでしたが、他におかずがないので、食べるしかなかった。

 その後、祖母の味を受け継いだのが母親、具の少ないひっつみを経験した世代なのか、母親のひっつみは具沢山、だんごもお世辞ぬきで多くて汁が見えなくなるほど、しかし、それほど食べたいとは思わなかった。

 今や、「ひっつみだんご」は郷土料理として有名でもありますし、観光施設でいただく「ひっつみ」は美味しいと聞く・・・宴会なんかで飲酒後に食べた記憶はあるけど、家でつくる方が断然美味いと感じてしまうのは何故なのか・・・笑・・歳も重ねるうちにこうした料理が美味いと思える自分が居ります。

 画像は、山ノ神様が作った「ひっつみ」・・・

材料・・・鶏肉・牛蒡・人参・玉葱・長葱・椎茸

 たまたま我家を訪れた義妹家族もご相伴・・。



 姪で保育園児の「くーポン」・・ひっつみが好物とのこと。良いことですよね。

 なお、レシピをご紹介予定でしたが、作り方は各家々、大体同じということで、今回は記述いたしません。
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