ガッカリだった。私は生まれ出た人の世という物に失望していた。なんて詰まらない世の中なんだろう。生まれて間もない私にとって全くの未知の世界だった私の人生は、白光のもとにぽっかりと生まれ出てから後白日は明るく輝き出し、今や漸く世界が色付き始めたばかりの人の突端だった。私は自分の人生、人の人生という物、生きるという事に興味を失い、この世のこの先など見たくない気持ちに陥った。
「如何でもいい、何でもいい、如何だっていい…、か。」
私は母から以前聞いた言葉を力無く呟いた。
事の起こりは障子に有った。やはり祖父母の閉鎖された部屋と私を仕切る目の前の障子戸、その私にとって障害となる白い障子紙が妙に目に映り、自身に閉鎖感や疎外感を与え出した頃。この事に気付いた私は、食後祖父母が部屋に閉じこもるとこの紙の傍に立った。この障子紙の向こうで彼等は一体何をしているのだろうか?と疑問を胸に佇んでいた。そんな風に、やたらと集中して障子戸を見詰める私に、ある日気付いた母は何をしているのかと問い掛けて来た。
「不思議でしょう?、ご飯を食べた後お祖父ちゃんとお祖母ちゃんはお部屋で何をしているのか?。」
そう答えた私に、当然母は全然、そんな事何でも、といった感じだったが、1日、2日すると、そんなに気になるならと言うと
「よい方法を教えてあげる。」
母はにこやかに笑顔を浮かべた。その後、彼女は妙な笑いを浮かべた。
母のその様な笑いと初対面だった私には、それは妙な笑いとしか表現出来なかったが、所謂含み笑いである。弓形の母の目やその目の怪しい彩が不思議に私の心に引っ掛かった。何となく思う所が出来、私は母のこの申し出を断った。
「ううん、いい。」
えっと、母は驚いた。
「お前障子の向こうが知りたいんだろう。」
母は言った。私は当然それは知りたいけれど、と言いながら母の妙な目付きを見詰めた。そして何だか変な事をするんじゃないかと彼女に言った。その母が言う良い方法をすると、後から何か、父か祖母に叱られる事になるのではないか、と念の為彼女に聞いてみるのだった。
「そんな事、」
母は不思議そうな顔をすると、皆やっている事だし、お前は子供なんだからちっとも構は無い。大人になったって、結構皆やっている人はやっている事だし。と言う。
そうか、大人が皆やっている事なら叱られる事は無いな、と私は判断した。私はにこやかに、じゃあその良い方法と言うのを教えて欲しいと母に頼んだ。
「最初から素直に教えてくれと言えばいいのに。」
と母は不満そうに仏頂面をしたが、ここで、お前は本当に何だか可愛げのない子だと言うと、私を一寸焦らすような態度に出た。教えるのは止めようかな、とか、如何しようかな、とか、如何にも楽しそうに口ずさんで見せた。その私を見詰める彼女の目も、私には妙で変に感じる。これが母であれ誰であれ、私には終ぞ見た事のない目付きに見える。
「やっぱり、いい。」
私は母に焦らされて臍を曲げると、もう教えてもらわなくてよいとぷんとした。すると母の方でも、もう、と言う感じで、「いいからいいから教えてあげる。」と、いい方法だからねと、私のご機嫌を取る態度に変わった。
母は嬉しそうに
「これからのお前の人生でもきっと役に立つよ。覚えておくといい。」
と言って、如何にも楽しそうで明るい笑顔に変わった。では、と掛け声をかけると、母は自分の人差指を1本口に入れた。
「こうしてね、指を1本口に入れて、その指を障子にこう差し込む。」
母は口に入れた人差指を障子の紙に押し当てた。
何だろう、何がどうなるというのだろう。私は母の指を見詰めた。指は何ともなさそうだった。暫くして、母の人差し指は段々と短くなっていく。何だか長さが違って来たと思ったら、母の指はまた元の長さへと戻っていた。
「お母さん、それ、如何やるの。」
私は母の手品の様な指の長短の技、長さを変化する技に心を奪われた。思わず拍手して凄い!と母を誉めそやした。