私はその母の顔を窺うように下から横目で見上げた。どう見ても冗談やふざけている様子は無い。母は真面目な気持ちでこの綺麗な白い障子に穴を開けたのだ。私はあんぐりと口を開けたまま立ち竦むと、障子の小さな穴を見詰めていた。暫く母に目を戻す事が出来ずにいたのだ。
その後、漸く母を見た私は、
「お母さんって、大人だよね?」
と問い掛けた。私の問いに訝る母の顔に、大人なんだよね、私の力ない問いかけの言葉は続いた。母はやや不思議そうに、そうだと答えた。私は、
「大人なのに、障子に穴をあけたの?」
と指摘するように問い掛けた。私はこの時、ほぼ下降して引けてしまった心中に、むらむらと湧き上がって来る感情も有った。
2日程前の事だ。やはりこの頃一心に障子紙の向こうを見詰める私に、父や家の大人、多分祖母だと思うが、は、私が障子紙に何か悪さをしようと考えているのだと思ったらしい。 私は父に呼ばれて2人でこの襖の向こう側、祖父母の部屋の側から、丁度位置も襖を挟んで今いるのと同じような位置に立った。
首を捻りながら父は言った。
「お前はそんな事は無いと思うがなぁ。」
そしてもう一捻り、二捻りした後、父は言った。
普通障子戸の紙は大掃除、冬になって雪が降る頃、その年の終わりの月、12月になって、12月の終わりの日、大晦日と言うが、その日にする大掃除の時しか張り替えしないものなんだ。家でも長くそうだったが、それがここ何年かは1回の張り替えで済まない年があるようになって、実は今年も、もう1度張り替えたんだ。まだ1年の半分が過ぎていないと言うのに…。
父の言葉は続いたが、要は、障子を大切に、紙に悪戯等しない事、ましてや穴を開ける等論外だと言う話だった。
「お前、この障子、誰が張り替えるか知っているか。」
父は更に言った。
今年は父が張り替えたが、毎年は祖母か祖父、等、誰かしらが苦労して張り替えるのだと言う。紙を剥がすのも貼るのも、これがなかなか大変だと、父は時折横目で私の顔付き等、観察しては考え込んでいた。
だから、こんな事、障子に穴を開けたり、桟を折ったり、そう言う事はしないでくれと注意すると 、彼は糸で器用に結わえられた桟の継ぎ目を私に指し示した。
「これは父さんが修繕したんだ。この直ぐ前に障子を張り替えたのは母さんだ。」
つまり父は、祖父母が苦労して修復した障子戸を、自分の子である私に痛めて欲しくないと忠告したのであった。加えて、こういった物を大切にしない行為について、祖父母は昔から厳しく、もしすれば、大層叱られる事になる。
「覚悟しておけよ。」
と父は私に強く念押ししたのだ。お前はそんな事をしない子だと信じているぞとも言って。
そんな父の、神妙ともいえる態度での注意と忠告に、私はまさか、自分はそんな悪い事はしないと笑った。私は叱られると分かっている事をする様な馬鹿では無いから、と父に私ははっきりと確約したのだった。
それが、ほんの2日の後に、同じ障子がこの体たらく、穴の開いた有様である、私が衝撃と共に驚愕したのも無理からぬ事だった。あの時の父の言葉と様子を思い浮かべると、私は背筋に冷たい戦慄が走った。
酷く困って母の顔を見ると、母は如何思ったのか
「お前の為ならこんな事何でも無いよ。」
と言った。そして、どれ、自分の子供のお前の為に、もっと見やすい様に穴を広げてあげよう。そんな事を言い出した。彼女は徐に自分の指を口に入れた。それから再びその指を穴に近付けた。
「お母さんの馬鹿!。」
止めてよ!。ついに私は母に悪態を吐き始めた。お前は一体全体如何言う親なのだ、もうお前の言う事は聞かない、母からは何も教えてもらわなくてよいと詰った。そうしておいて、私はぷんとして彼女からそっぽを向いた。全く、母は如何言う人間なのだ、子供に悪事を教えるなんて。そんな親がいるのだろうか?。母の言う事は一々よく分からない。これ以上彼女の言う事は聞きたくない、私はそう思っていた。