葉山の四季

葉山の四季をお伝えしたいと思います。

鹿児島の俳句 ー 2 ー

2016-06-12 21:41:27 | kaeruの五七五

  『地名俳句歳時記』の「鹿児島」に俳句とともに紹介されている地名は32なのですが、そのうち「薩摩」と「大隈」は旧国名としてですので全体で29の地名となります。それをGoogleマップの上に☆印で落としてみました。

 

   前々回の「てんがらもんラジオ」でガイドの向井さんが「鹿児島県は南北600キロ」と言ってましたがそれが実感できます。600キロを直線で北東に伸ばしますと四国を越え淡路島の先、神戸大阪に至ります。その間に隣の宮崎県、四国では高知県徳島県の2県を通り兵庫県大阪府です。4つ5つくらいの県を通る距離が600キロです。

  『地名俳句歳時記』が紹介している島について触れておきます。

「甑こしき島」県西部、薩摩川内市。串木野市沖約40キロにある甑島列島のうち主な上甑島・中甑島・下甑島の総称。平家落人の島ともいわれる。全島に鹿の子百合が自生する。

      台風や屋根に網張る甑島   桐野文子

 「種子島」西之表市と熊毛郡中種子島町・南種子島町。佐多岬の南40キロにある薩南諸島北部の主島。鉄砲伝来の島として名高い。甘藷・砂糖黍の生産地。伊勢海老など海産物も豊富。

      種子島雲と伏しゐる菊日和       米谷静ニ

      種子島どこも昼顔なだれ咲き    柿並その子

「屋久島」熊毛郡上屋久町・屋久町。種子島の西20キロにある薩南諸島北部にある島。中央に宮之浦岳がそびえ、降水量が多い。南岸に尾之間温泉・平内海中温泉がある。

      屋久島や茅花流しの海の色    小坂順子

      屋久島の北斗の近し秋の夜    寺島とし重

 「八重岳」熊毛郡上屋久町・屋久町。屋久島中央部にある九州最高峰の宮之浦岳(1936m)を中心とする諸峰の総称。宮之浦岳には中腹に樹齢3000年以上の屋久杉がある。

     こぞり立つ屋久の八重岳青嵐   岡田日郎

     屋久杉の化石の如き肌の冷え   三好潤子

「硫黄島」鹿児島郡三島村。種子島の西方海上にある火山島。平安時代に俊寛ら三人が流された鬼界島はこの島だとされ、俊寛の墓や写経石がある。海岸に東温泉・坂元温泉がある。

     硫黄島おどろに夏のかなぐもり   辺見京子

     砂糖黍植うる鬼界ヶ島晴れて      河野照子

 「吐噶喇とから列島」鹿児島郡十島村。薩南諸島中央部にある火山列島。旧称宝七島。口之島・中之島・臥蛇島・平島・悪石島・小宝島・宝島など。宝島は珊瑚礁が美しい。

     夕立後の日矢まっすぐや宝島   福永耕ニ

「奄美大島」大島郡。奄美諸島最大の島。沖縄・佐渡につぐ大きな島。中心の名瀬市は蘇鉄・阿檀・榕樹ガジュマルなどの亜熱帯植物と大島紬・ハブ・奄美黒兎・マングースの生息地として知られる。旧八月十五日前後は全島あげて八月踊に興ずる。

     初荷着く奄美の島の砂糖菓子   池田  英

     指笛を鳴らし八月踊りかな   橋元コト

「沖永良部島」大島郡和泊町・和名町。奄美諸島の南部、徳之島南西32キロにある島。永良部百合・フリージアの栽培で知られる。島の西部に多くの鍾乳洞がある。

     庇より高く永良部の仏桑花   藤村一樹

     永良部百合芽立つ潮騒遠くあり   山之内赫子

「与論島」大島与論島。奄美諸島最南端の隆起珊瑚礁からなる島。高台にある与論城跡、赤崎の鍾乳洞、百合ヶ丘のキャンプ・海水浴場がある。

     春寒き波しぶき見る与論島   今村柳枝

     与論島までつながりし鰯雲   桑田青虎


 注: 各地の行政区は出版時の平成十七年五月末現です。

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鹿児島の俳句 ー1ー

2016-06-11 22:23:14 | kaeruの五七五

   地名俳句とかふるさと歳時記があるのは俳句が季語と結び付き、季節が地形地域と深い繋がりがあればこそと思えます。手元の『地名俳句歳時記』はこの手のものとしてはごく小さいものでしょうがそれなりの地名と俳句が紹介されています。

   

   鹿児島県の地名としては薩摩からはじまり鹿児島市、城山など市内の各所から県内各地と幾つかの島の締めは与論島で、全体で31ヶ所です。

薩摩」鹿児島県の西半分、薩摩半島・甑島こしきじま列島を占める旧国名。別称薩州さっしゅう。西海道九国の一。古代、襲国そのくにの一部、一時日向ひゅうがに属し、八世紀頃分置された。国府・国分寺は川内市にあった。

            糸雛といひて薩摩の娘らのもの     後藤比奈夫

            土産屋に藷の苗売る薩摩かな        小林洋子

            薩摩路や涼しき色の潮だまり        後藤是山

鹿児島市」南九州における政治・経済・文化・交通の中心地。県庁所在地。島津氏の鶴丸城七十五万石の城下町として発展。市内には島津氏や維新ゆかりの旧跡が多い。

              鹿児島のニン月早も燕来し    向井太圭司

              鹿児島の灰汁巻うまし樟若葉   渋沢渋亭

                    灰汁巻=あくまき   樟=くす

城山」鹿児島市城山町。市の中心部にある小山。標高107m。南北朝時代に上山氏がここに城を築いて城山の名前がついたといわれる。明治十年の西南戦争の折、西郷隆盛率いる薩軍が砦にしたところで隆盛ゆかりの旧跡が多くある。

             城山に残る大樹や天の川         山之内赫子

             城山の初日あまねく隼人墓地    岡部寿香  

南洲洞窟」鹿児島市城山町。城山の東中腹、岩崎谷にある洞窟。西南戦争の折、薩軍が立てこもり、九月二十四日の官軍総攻撃で洞窟を出た西郷隆盛は弾丸を受け自決した。

            南洲洞窟樟の萌色にはかなる   野村多賀子

            西郷窟一塵もなき涼しさよ      堀口星眠

南洲墓地」鹿児島市上竜尾町。西南戦争の戦死者二千二十三名を葬る墓地。鹿児島駅裏手の小丘陵にあり、正面に西郷隆盛の墓がある。近くに南洲神社がある。

             散りいそぐ西郷墓地の山桜   内薗富恵

             南洲の墓に火山灰降る鳥曇    香西信子


はじまったばかりですが、とりあえずー1ーとします。

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「てんがらもん」220回 川柳は横の詩

2016-06-10 15:20:51 | 「てんがらもんラジオ」

「川柳」で検索していましたら「横の詩」という言葉に出会いました。

「川柳は横の詩」だという意味なのですが、さて?

  横文字ではないのは当然として、横書きでもないでしょう。

  こう書かれています。

なるほど、了解! です。

この解説文はこちらから借りました。

  http://www.doctor-senryu.com/04_kyousitu/hitokuti-mokuzi.html

 

「てんがらもんラジオ」220回は紅雀さんの「川柳の時間」でした。

( 番組は http://www.ustream.tv/recorded/88060618 で)

その特選になった「のびた」 さんの一句、

じめじめと 都知事の釈明 いつ晴れる は 紅雀さんの手が入って

都知事の釈明ジメジメジメといつ晴れる

に進化しました。まさにみんなが言いたいことを「よく言ってくれた」という気持ちになります。「横の詩」ということがうなずける句です。

   こういう句を読むと川柳は「弱者の連帯」であり権力に対する「横槍」でもあります。ことわざとしての横槍は邪魔をするという意味ですが、正面対決とは別の角度から攻撃をかけるという本来の意味での横槍です。

   川柳を楽しむ人が増えれば増えるほど「横槍」が増えそうです。

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「てんがらもん」219回 旅は道連れ。

2016-06-08 17:20:38 | 「てんがらもんラジオ」

番組はこちらで http://www.ustream.tv/recorded/87704176 。

「てんがらもんラジオ」の番組の終り近くで進行役の上床さんが「この1週間いかがでしたかー」と問いかけます。この日は村永さんが前日生れ故郷の福岡へ義理の姉の葬儀に参加されたことを話されました。

   私もこの間に兄の葬儀準備を手伝い列席して来ました。その場で兄弟で一緒に行こうと話をしていた父親の里である房総半島の保田(ほた)へ、兄の位牌を持って行きたいと従兄弟と語りあいました。そして改めて80歳前後の者にとって少し大きめの旅の機会は限られているなー、と思ったのです。

   それだけに今回の番組でガイドの向井さんが紹介した観光地・鹿児島各地は優先して廻りたいと思うのです。話の概要は、大手旅行会社の添乗員だった「のびた」さんのブログをご覧下さい。

http://blog.goo.ne.jp/new-nobita/e/be992e4c7c5806a1b35e50070c697ec9

   さて、旅の良さは景色の良さだけではないでしょう、「旅は道連れ」というように人との交流の喜びが大きいと思います。

   この言葉は同行者のことですが旅を案内する人を含むとし、鹿児島での旅の道連れがどういう人たちか、をこの写真で紹介したいのです。この人たち、この写真については、こちらで

http://blog.goo.ne.jp/kaeru-23/e/e2a46aa819b7a221bbbdec8bc473c04b

   この時向井さんの目配りに感心したことがあります、橋のたもとに傘が置き忘れていたのです。ここに戻って来た時「まだ置いてある」と言われました。前日走る車の中から傘一本を目に止めていたのでした。

  向井さんの案内で行く鹿児島の旅が景色を満喫するとともに、その道連れとの交流で「旅は道連れ、世は情け」も満喫できる旅になること間違いありません。

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kaeru深夜ものがたり。

2016-06-07 04:19:28 | 健康・からだ

    午前3時30分、24時間前のこの時刻には東京の深川木場付近の息子の車の中にいました。車はレッカー車に引かれて高速から一般道路に下りて来た頃でしょう。

    兄宅から上田駅に行く4人と私たち夫婦が乗った車はなんの問題もなく、上田駅で別れて一路神奈川県へ、私は後ろ座席で寝込むことに専念していたのですが、気がついたら車が止まって運転手の息子が何やら厚いマニュアルを広げて読んでます。故障かいと妻に聞くとタイヤらしい、と。

   そこでかなり時間を食ったのですが、結局連絡してレッカー車となったわけです。呼んでもらったタクシーに荷物を入れ替えて今度はタクシーで一路神奈川県へ。

    湾岸線からベーブリッジを走りながら、20数年前のことを思い出していました。息子が倒れた!の電話が妻から入ったのは夕方でした。心臓発作、救急車で横須賀の市立病院に入った、今夜持てば助かるだろうということでした。仕事場だった新宿から乗ったタクシーは、昨夜と同じ夜景のなかを走っていました。二十代の息子が親より早く死んでしまうことがある!そんなことがありえるのか、あるかも知れない。

    橋の影に灯りが飛んで、暗い海の面に反射して、今思えば気持ちのなかに暗い予感とそんなはずはないという思いとが交差する光景だったのです。病院で夜が明けて、大丈夫ですの医者の言葉を聞くことができたのです。

   死が順を追って来てもらえれば自然の有り様にかなったことで、神も仏も出る幕がないのです。理不尽な順番が持ち込まれないよう心がけを良くしなければと思ったら夜明けになったようです。

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葬儀の意義。

2016-06-04 23:55:02 | kaeruの孫録

   私の一番年齢が高い18歳の孫は私の長男の嫁さんの連れ子ですが、通夜に来て来れました。父親の伯父さんにあたる私の兄と最後の別れをしたいと言ってのことです。

   通夜の席で彼が兄に手をあわせるのを見ながら、彼の小学校4年頃の光景を思い出しました。彼の母方の曽祖母の葬儀がありました。彼は母親の離婚後母親と共に祖母のところで生後間も無くからうちの長男と母親が結婚する小学1年の終わり頃まで暮らしていたのです。その頃曽祖母に可愛がられていたようです。

  ですから曽祖母の遺体を納めた棺桶に縁の顔を押しつけて泣き伏していた姿が忘れられないのです。その姿が今夜兄を囲むなかの小学生4年くらいの子どもたちに重なり、命のはかなさ大切さを深く心に刻める機会としての葬儀の意義を考えさせられました。身近な人の死を通じて命の意味を知る、ある意味では学校の授業での課題として生命の大切さ、とは違った深さを持っているでしょう。

   高齢者の死は身近な若年者にとって何より命の有限性を実感する機会です。そしてその人の命が自分に移ってきていることを知る機会です。高齢者は自分の命を若年者に結びつける機会をつくり、後世に託せる工夫をすることで最終期の生き甲斐も生まれるのではと考えました。  

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兄の死。

2016-06-02 06:42:23 | 健康・からだ

    昨夜「自分の死」についてつぶやいた後に兄の死の話になるとは!

    一言で言えばそういう年齢になっているということなのですが、しかし……。弟から兄貴が倒れた!という連絡を受けた時もその後甥の電話を受けた時も一時的なことと思っていました。

   今は兄の自宅、穏やかな顔、とはいえ目の開かない口の開かない顔です。通夜は明後日、告別式はその次、死者を送る時間がやって来ます。

  今夜は突然の話をこのくらいにしておきます。

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「内なる我が身」

2016-06-01 21:32:03 | 健康・からだ

   夜明け前の夢は正夢とか、ならばこれは何夢?

  その夢を見て覚めて時刻を見たら午前3時をわずかにまわった時刻でした。夜の終わりの午前三時との歌の文句でいけば、これは夜明け前なのか否なのか。それに夢の中味から言って死が近いのか、生き返るのが本当なのか、それが問題なのです。

  なにやら口のなかに丸い柔らかいものが入り込んでいて、それを飲み込むと死ぬのです。現実の世界なら吐き出せばいいのですが、そこは夢の話ですので、気をつけなければという感じでした。

   そして、これも実感として残っているのですが、スーッと喉の奥へ落ちていきます、しまった!死んでしまうのだ、瞬間具体的なことではないのですが「やり残した!」という思いながら落ちていく感じです。このまま意識がなくなっていくのか、そんな気持ちがよぎりました。ところが「あれ?死なないな」と、布団のなかで……。

   すっかり「生き返って」、これには裏があると気付きます。

   まず今日が実際に生まれた日、超未熟児であった我が命は79年前、こんな風に生死の界にいたのでしょう。それに加えて昨日俳句の主宰からメールで開腹手術を無事終え順調に過ごしているとの知らせがあったこと。返信に自分の十余年前の手術のことを書いていたのです。特にその手術がはじめの局所麻酔が効かず、全身麻酔に切り替えられたのですが、その時の記憶が蘇ってきたのです。

   麻酔で意識がなくなっていく感じと、無意識のなかから戻る感じをこの夢が再現していたのです。特に意識が戻ってくる感覚は、深く暗い井戸の底から硬く小さい光が大きくなりつつ柔らかなものになってあがってくる、そんな風に感じていました。そんな実際の感じが夢のなかではもっと短時間に印象されたのでしょう。

   それにしても男性の平均寿命80余歳に1年となったわけですから、この夢は「内なる我が身」のシグナルとして受け止めましょう。

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