逗子三兄弟 / マイベイビー ~好きになればなるほど~♪
メレル社のモアブ3ミッド・ウォーター・プルーフの実力を試しましょう。
まずはクルマで逗子へ。
鎌倉プリンスホテル前の坂を下る。
若宮大路に入り、一の鳥居の横を抜ける。
途中でガソリンを入れた。
9,085円って嫌になる支払い金額だね。
海沿いに山を登る。逗子の姥子台へ向かう道だ。
トンネルを抜ける。
ここは小坪。
小坪は鎌倉市と逗子市の境界の逗子市側にあり、大昔からの漁港がある。逗子マリーナがあるのも小坪だ。
昔から漁師さんが多く住む地域。平井姓が多い。以前逗子市長にも平井さんって方がいらっしゃったね。
またこの地区独特な姓としては、翁川(おいかわ)姓がある。私も一人存じ上げている。稀有な姓で日本でもここ、神奈川県逗子市小坪に集中している。
私も昔は小坪1丁目に住んでいた。漁師じゃないけど。
ここは昔ウッドペッカーって名前の喫茶店だったよ。風見鶏が目印。
到着した。披露山公園の駐車場だ。逗子市小坪と新宿にまたがる地域だね。
ガラガラだ。
仕事以外では、いつもガラガラのところを移動するようにしている私。
逗子市新宿の新宿は、東京の新宿とは異なり、「しんじゅく」の最初「し」 にアクセントがある。
鎌倉市民以外の人は驚くが、鎌倉市の由比ヶ浜も最初の「ゆ」にアクセントがあるね。
でもなぜかは知らないが、江ノ電の車内放送では「が」にアクセントを置いて「由比ヶ浜」と言う。稲村ヶ崎や七里ヶ浜と同様だ。しかし連体助詞の「が」や「ヶ」にアクセントあるのはちょっと変だ。現代語で言えばそれは「の」であり、稲村の岬や七里の浜と言っている時にその「の」にアクセントは置かないだろうからね。
由比ヶ浜の地元の発音のように「ゆ」にアクセントがあるのが本来の形なのかもしれない。
動物が飼育されている披露山公園。逗子市の管理だ。
鶏が各種いる。
このモアブ3ミッドは、足全体そして足首を深くグリップしていて、いいね。
メレル社の新しい靴が気に入った。
お猿さんが多数。
披露山の名前は源頼朝が献上物をこの山の上でみんなに披露したことに由来すると言われている。
本当かねぇ?
鎌倉中心部から、頼朝がわざわざここへ献上物ごときを持って来て、人に見せるかねえ?
当時ここへ来るにはかなりモノを運びにくい道しかなかったはずで、それは相当細い急坂だったと思うよ。
標高は100m弱。
日本でも有数の高級住宅地、披露山庭園住宅地が足元にあり、その向こうにはあの逗子マリーナが見えて、さらに稲村ヶ崎や江の島が見える。
逗子マリーナ、稲村ヶ崎、江の島を拡大しましょう。
いろいろと面白いものはあるんだが、平日はガラガラな披露山公園。
ここから大崎公園方面へ下る。
普通の道だ。階段になっている。
葉山マリーナが見えるね。
葉山沖は岩場が多い。
小型のヨットが多いね。
もう少し下ると平らになるよ。
こちらが披露山庭園住宅地。
停まっているクルマが違う。
マセラッティだ。
リムジンで運転手付きのクルマも通る。
お気づきだろうか?
この住宅地内に電柱はない。土地の分割など勝手にできない。
バブル期の3分の1以下の価格でこのあたりの土地が買えるが、所有すると管理のための一時金や月額での費用がそれなりに発生する。
何かあれば電線を地中から掘り出す必要があるしねえ。
ちょっと六麓荘(兵庫県芦屋市の山手の地区)的な景観だ。それ以上かもしれない。
そしてここから披露山公園に戻る。
結構きつい戻りだ。
蒸し暑いし、疲れる。
鎌倉から三浦半島にかけては、こういう土というか石(↓)ばかりだね。
登ったらまた披露山公園に戻る。
下って上がってここへ戻って来たんだが、次はすぐにまた下がるのだ(笑)。
浪子不動へ降りてみよう。
かなり急な斜面だ。
しかし頻繁に人が通っているらしい。
道は踏み固められている。
緑が濃いね。
東南アジア的だ。
階段が作られたが、そこの土が流失してしまい階段が使いにくく、その横を通る人が多いといういつもの図式。
階段の土が流失してしまうと、階段そのものがただのハードル競走みたいになってしまい、疲れる。
道はぼとぼと。歩きにくいったらありゃしない。
湿度が高くて、草が濡れていて。
蜘蛛の巣がところどころにあって、いやだわー。
階段はただのハードルになっているし。
滝があった。
わかりにくいですか?
拡大しましょう。
ゴーゴー流れて、川になる。
道の左側が川だ。
谷が深くなり、橋が渡してある。
この橋に使われている木材、高そうだったな。
南洋系の無塗装でも腐らないような木だ。
セランガンバツとか、イペとか?
おりて来た。これが逗子湾。
披露山頂上から標高で60mほど下ったところだ。
海辺特有の木々。
海からの強い風に絶えずさらされるので、海から山に向かって幹や枝や葉が斜めになる。
ここは断層があって、滝もある。
浪子不動の由来はこちらをどうぞ。
このあたりでは浪子不動との呼び方が一般的で、だれも高養寺とは呼ばないが、それもまた名前だ。
普段は人はいない。
それでもしっかりした建物だね。
上を見ると、これもまた海辺の山らしい木々の育ち方。
境内から海を見下ろす。
不如帰(ホトトギス)の碑が見える。徳富蘆花だ。
江戸城の石垣用として鍋島藩が伊豆の石を船で運ぶ途中で事故に遭い、この付近の海に落ちた石が使われているらしい。
このあたりは干潮時に姿を現す岩礁になっていて、その上にこの碑が建っている。
【つづく】