昨日の国内株式市場は大きく下落したね。
日経平均で1,000円以上の前日比マイナスだ。
昨日の引けで、TOPIXを買ってみた。
逗子だからキマグレン♪
最後の夏♪
お出かけだ。
私達が鎌倉市に引っ越して来る前に住んでいた逗子市沼間ってところに出かける。
久しぶりに見てみたくなったのだ。
御成小学校前を通過する。
九品寺横を通過する。
名越の坂。ごみ処理場の煙突が見える。
名越の処理センターもまもなくその仕事を終える。
すると鎌倉市内にごみを燃焼させる場所はなくなる。
近隣の自治体と共同処理するらしい。それって大災害でもあったら、ごみ処理が他市に引き受けてもらえず困るんじゃないの?なんて思うが、そうでもないらしい。引きうける余力があって金を払えば喜んで引き受ける自治体は多いと某市会議員さんに教えてもらった。
そんなもんなのか?
小坪のトンネル。これを抜けたら逗子市だ。昔はこんなものはなく、人々は名越の切通を歩いて抜けたらしいが。
小坪トンネルがない時代は大変だったろうね。
逗子市内だ。
私は逗子市から鎌倉市へ引っ越して17年半。
逗子市内中心部のビルに記憶があるものもあるし、建て替わってしまっているものもある。
逗子銀座商店街だ。
逗子の貴族みたいな石原良純さんが推薦するピーチロールを売る珠屋さんもここにあるよ。
駅前の大きな魚屋さんである魚佐次。
三盛楼。浪子最中が有名だ。
店主さんとは何度もお会いしたことがある。
京急逗子線の終点は逗子・葉山駅だ。
そんな名前になったのは私が逗子を出てしまってから以後の近年のことで、それまでは昔から逗子駅と呼ばれていたので、私はこの逗子・葉山駅という名前になじみがない。
東逗子のヨークマートの駐車場に駐車した。
ここは無料。少なくとも営業時間中はゲートが空いたままだ。
ってことは、JR東逗子駅周辺のコインパーキングの経営って苦しいだろうねえ。誰も利用しないのでは?
建物も大きいヨークマート東逗子店。
ここはもともとダイエー系のマルエツとして1991年にオープンした。
時代は流れて今はセブン&アイ系のヨークマート。
メレル社モアブ3ミッドで本日も歩きましょう。
キリガヤのモデルハウスだ。
桐ヶ谷は逗子に多い姓だ。
キリガヤは逗子の古い木材店で、四半世紀ほど前にいきなり住宅部門をつくった。湘南地域では施工実績も多い。我が家の近くでも多く見かける。
今の逗子市長もこのキリガヤを経営する桐ヶ谷さんだ。私も逗子市民時代に一度お話したことがある。とても落ちついた良い方だ。風格があるというかな。経営者としての経験が豊かだからかな。
このあたりから東が沼間と呼ばれる地区である。逗子では一番山側というか、東側で横須賀市に近い。
沼間はかつて「沼浜」と呼ばれたらしい。
頼朝のお父さんの義朝が居館をここ沼浜に持っていた。沼浜城と呼ばれた。
逗子でも一番山側なのに、浜ってどういうこと?とも思うが、今より暖かった縄文の海進期には現在の沼間地区の低地にまで入り江が入り込んでいたらしい。
【横須賀市】
ご覧のとおりだ。だからこのあたりの石が独特なのである。凝灰岩が出来て隆起して。「鎌倉石」なんて言うけれど、それが鎌倉や逗子のお寺で参道や階段に使われている。
逗子も入り江が深いが、鎌倉なんて中心部は当時はほとんど入り江だ。縄文期からしたら、鶴岡八幡宮その他全体が歴史的には新しいものなのである。縄文時代から延々と神話じみたストーリーが背景にある諏訪大社ってやっぱりすごいな。
注目は大船湾だね。現在海から遠く内陸であるにもかかわらず、水害に悩まされて来た鎌倉市内の柏尾川沿いの地区。これを見るとその理由がよくわかる。
この斜めの建物は以前は床屋さんだった。建物全体が斜めなのに、開閉すべき扉だけは水平なのが面白い。
この前を通るのは県道だ。
このあたりでは一番低い土地がここで、縄文期はここまで海水が来ていたのだろうねえ。
あ、アリス・ウォーターが逗子文化プラザなぎさホールに来たらしい。
なんで?(笑)。
私はこの人のレシピ集を持っているよ。
五霊神社だ。御霊神社じゃない。
ここはイチョウが有名である。
台風のあとなんて、ギンナンを取りにみんなやって来る。
氏子さんも多い。
康楽だ。昔からこの位置にある。建物は変わったけどね。
ほら、先ほどご紹介したモデルハウスのキリガヤと同じく酒屋さんのきりがや。
昔はよくここで日本酒を買ったよ(笑)。
逗子アーデンヒルの入口だ。
私がかつて住んでいた住宅地だ。
右手(↓)に見える坂を上がれば、その住宅地に到着する。
左には県道があって、右手には坂。真ん中に変な空地というか道があるでしょう?
これが何か、ご存じの方は少ないと思う。ここの住人でも少ないよ。
これは以前からなんども紹介している水道みちの一部だ。だから中途半端に細長く空いているのだ。言われてみれば不思議な空間でしょ?
神奈川県の北の方の水源から流れて来て、鎌倉市で異なる水系が合流し、それは逗子に入り、ここを流れて向こうに見えている山を抜けて横須賀の軍港に到達し、海軍に必要な水道として貢献した。
さて、ここからが逗子アーデンヒルの始まりである。
バブル期に開発された住宅地で、歩道部分は全部こんなタイルが貼ってある。
しかし修理する時はこうなる(↓)のでバカみたいだ。
住宅地なんてものは、なんでも永続可能性が高い材料を使わないといけないと思う。
たびたび修理して使うものだからね。
右手の階段。階段の上は空地だ。それもかなり広大な。
バブル期に丸紅がこの住宅地を開発した。その時に丸紅と逗子市が交わした約束は、小学校建設予定地を無償提供するということだった。それがこの広大な空地(↓)である。
ところが1990年代に入り日本は停滞期に入り、人口減も始まり、小学校の建設なんてことは必要なくなったのだ。
その後逗子市はここに大規模病院を誘致しようとした。しかし逗子アーデンヒルの住民は「それは約束が違う」と言い出した。病院ができると一般車両がどんどんこの住宅地に流入することとなり、救急車もサイレンを鳴らしてどんどん入って来るからね。
病院に来てほしくない逗子アーデンヒルの住民と、来てほしいその他市民は大喧嘩。そりゃ大変だった。ちなみに私は2005年にアーデンヒル自治会副会長を担当しており、あちらを立てればこちらが・・・なんて状況で、もう嫌になっちゃった。
結局大規模病院候補はいくつか現れたのだが、逗子アーデンヒルの住民の強硬姿勢に恐れをなしたのか、その後どこも開業しなかったらしい。したがって空地は小学校も建たず、病院も建たず、ただの空き地のままである。しかしそれから年限が経ち、かつて反対していた住民もかなりのシニア層になり「病院があった方がいいなあ」なんて言っているらしい(笑)。
これが空地(↓)だ。
この画像の黄色い線で囲んだ部(↑)に着目ください。
これがまた面白い(と私は思う)。
それは奥田英朗著の面白い小説「邪魔」の表紙の画像になった。
この事実を知っているのは、おそらくこの本の製作者と私だけ。ここの住民はこんな小説を知らないし(笑)。小説の内容はまったくこの住宅地と関係はないからね。
私はたまたまこの作家が好きで、この小説を手に取って気づいた。初版はたしかにこういう表紙だったが、その後すぐに文庫化され、その表紙は変わってしまった。
何事も観察していると面白いもんだ。
アーデンブリッジに入る。
この住宅地にクルマで入る道はここだけ。
閉じた住宅地なので、無関係なクルマの通過がなくてとにかく静かなのである。
しかしまあ住宅地開発とはいえ、お金の無駄みたいな設計だよね。
ここも例のタイル。
アーデンとは英国の森の名前だ。シェイクスピアの小説にも登場する。
ディベロッパーである丸紅の社員の中に英国好きがいたのだろうと私は想像する。
しかしなぜ丸紅はここをアーデンと名付けようと思ったのだろう?? かなり不思議なネーミングだ。
私は自分の家の土地を丸紅から購入したので、その時の丸紅の担当者にそれを尋ねた。「なぜわざわざアーデンと名付けたの?」と。しかしその担当者はまったくそれを知らなかった。自分が販売する土地くらい、なぜ自社がそう名付けたかという背景くらいはお客に説明しなさいよ。
懐かしいこの遊歩道(↓)。
生前の両親が一時期仮住まいとして、数カ月ここに住んでいた。
その時父とよく散歩したのがこの遊歩道で、ここはムクゲや大島桜が楽しめる。
ムクゲを見ると私は父を思い出す。
このあたり(↓)は三井不動産が建売した地区だ。
これが住宅地内のメインストリートね。
両側ともケヤキだ。
この住宅地の1区画を私が購入した理由は、ここが建築協定をしっかりと定めていたからだ。土地の分割は法的に不可である。さらに住宅の建て方についても定めが細かくあった。日本ではかなり稀な住宅地だったのだ。
この前に住んでいたところは、隣地にいきなりカラオケスナックが出来て、大変だったのだ。
日本は土地の用途を分離させない。工場も商店も住宅地も農地もみんなごちゃごちゃなところが多い。
我が家はこの先にあった。
この住宅地の特徴のひとつはアガパンサスが咲いていること・・・ではなくって、電柱が茶色に塗られて、道路から外して配置されていること。
茶色に塗られると、少しは景観上落ちついた感じになる。
しないよりはまし、くらいの程度だが。
でも道路にはみ出てないのはとても助かる。
ごみステーションも道路から外してある。
これはいいね。
またバブル期以降の住宅地なので、門灯がほとんどの家にある。
防犯上、これはかなり効果があると警察官もおっしゃっていた。
それではどんどんこの住宅地を歩きましょう。
計画的に植栽は多く植えられているし、歩道が潤沢で、散歩していても気持ちがいいですよ。
ただしいわゆる新興住宅地風であり、いかにも「作りました」感があるのは否めない。
遊歩道も設けてある。
それもかなり多い。
中央の公園。
また遊歩道。
メイン・ストリートに戻る。
こちらは中学校。つくりが大げさだよね(笑)。
この中学校のあたりがこの住宅地のピークで、ここから先は下がる。
もうちょっとで逗子アーデンヒルのご紹介も終わりだ。
私には、ひたすら懐かしい場所だ。
これが最後の画像(↓)ね。
ここから公園に入る。
そして公園を出たら、もうそこは逗子アーデンヒルの外。
集合住宅がある。
クラゲマークだ。つまり神奈川県営住宅ってことね。
とても綺麗で人気があるらしいよ。
いつも満室状態でなかなか入れない。
そこから下る。
沼間って、先に解説したとおり本当に「沼浜」で、逗子アーデンヒルがあった高台から降りるとそこの低地が縄文期の海進地域で入り江になっていたみたいで、そこからまた先は高い山になっている。海面が高い時代には、山に挟まれた入り江だったわけね。
昔は文法的にかなりおかしな「犬のフン禁止」の看板があったんだが、それはなくなって新しいものに切り替えられたみたい。
でも「犬のフン禁止」も厳格に言うと変だね。
公道上での犬のフンを禁止する国なんて存在しない。犬はそれをする。
「犬のフンの放置禁止」がいいんじゃないかな。ってうるさい?(笑)
はい、降りてきました。沼間交番。
私は路上に落ちていた財布を拾い、この交番に届けたことがある。
手続きをしているうちに、落とし主が交番に現れ無事財布をお返しすることができた。
1割のお礼を拒絶したら、後日落とし主さんからお菓子が届けられた。こういうのはありがたく頂きましょう。
右側が県道で、左側、私が立っているのが先に説明した海軍の水道みちの一部である。逗子も鎌倉も水道みちだらけなのだ。
これがその水道みちね。
これをずっと西へ行けば名越隧道を抜け、鎌倉市へ送水管が通じている。
東へ行けば先に解説した逗子アーデンヒル横のへんてこりんな空地を抜けて横須賀市へ送水管が通じている。
ここは水道みちの一本北側の小道。
水道みちはたいてい海軍があとから強引に作った道が多く、並行してもっと古くからの道があることが多い。
JR東逗子駅。
真鶴駅といい勝負の小ささ。
公衆トイレがありますよ。
ちょっと立ち寄った。
こちらは逗子が本社のスーパー・スズキヤ東逗子店。
小さいけどね、面白いよ。
【つづく】