「家」 @ 鎌倉七里ガ浜 + 時々八ヶ岳

湘南七里ガ浜(七里ヶ浜とも)から発信。自分の生活をダラダラと書きとめるブログ。食べ物、飲み物、犬の話題が多い。

鎌倉市大町(2) 安国論寺の樹木墓、妙法寺、大宝寺、ぼたもち寺(常栄寺)

2025-03-03 12:00:20 | あちこち見て歩く
前回の話の続きである。

安国論寺の境内にある樹木墓地。


綺麗に作ってあるよ。


少子化と人の流動化で、お墓の考え方が急速に変わりつつある。


何代もの墓を子孫に託すことが難しくなっているのでね。

特に都市部に住む人たちなんてそうだろう。


檀家制度は昔ながらの家や親戚が地域で維持されているところで残る制度。


田舎から都会に出て来た者の夫婦に子供がない、あるいは息子がひとりで息子はアメリカに行ったまま帰らない、あるいは娘がいるが嫁に行ってしまってそっちの墓に入ることになっている・・・なんて状態は茶飯事だからね。


さて、そろそろ安国論寺からお暇しましょう。


下の画像で右が安国論寺の山門への階段。右前は額田記念病院。左は妙法寺へとつながる道だ。


妙法寺へ向かおう。


鎌倉時代はどんな道だったんだろう?と思う場所だ。


「妙法寺道」とある(↓)。


このあたりは日蓮宗のお寺だらけだ。

南無妙法蓮華経。


妙法寺も安国論寺同様、松葉ヶ谷を強調する。

いろいろと論争が絶えなかった日蓮聖人が鎌倉に来て最初にお住まいになったのが松葉ヶ谷と言われているが、その庵がどこであったかについては諸説ある。この妙法寺かもしれないし、直前に訪ねた安国論寺かもしれないし、ちょっと離れた長勝寺かもしれない。


今も山深い松葉ヶ谷の庵から、日蓮聖人は大町大路や小町大路あるいはわき道を歩いてここ(日蓮聖人辻説法跡 ↓ )へ来て、説法したのだろう。小町大路に面するこの地区は、当時も住宅が立ち並び、人通りも多かったらしい。



私が歩き回っているこのあたりを日蓮聖人も歩き回っていたはずだ。どんな顔つきでどんな声で説法を行っていたのか?と想像が膨らむ。

若宮大路を挟んで東側に小町大路(ブルー)、西側にはここで表示していないが今大路があり、それら南北に抜ける道に対して大町大路(西の方では長谷大路などとも呼ばれたらしい)はそれらを横断するように作られている。今でいうと圏央道的役割?(笑)



日蓮聖人も庵を出てその日どんな内容の話を説法しようかと考えながらすたすたと歩いていたであろう道を、私も同じように歩いている。なんとなく日蓮聖人の気分が、少しだけわかったような気になる(←ほんまか?)。

奥に妙法寺が見えて来た。


とても美しく優しい妙法寺。


私の大好きなお寺だ。

このお寺は美しいと思う。優しいし、気品がある。

日叡上人がその両親にあたる護良親王と南の方を偲び、祀ろうとしたからではないかと思う。自身の両親を思う優しい気持ちと、天皇家の気高さと言いますかねえ、武家政治の中心地であった鎌倉ではちょっと特異な歴史を持つお寺。


神奈川県の水道の仕切弁。これは私の好きなやつ。


我が七里ガ浜地区には「制水弇」なんてのもあるよ。



路面ウォッチャーな私(笑)。

妙法寺は暑い時期や寒い時期の平日は奥まで入れない。


本堂まで行って拝むだけで終わりましょう。


冬の平日となると、ほとんど参拝者もいないのでしょうねえ。


でもね、日蓮宗のお寺の中でここは特異な存在だと思うのだ。


鎌倉市大町に多い日蓮宗のお寺の中でも独特なムードを放つ妙法寺を、皆さん、ぜひご参拝ください。

この日は本堂より奥へ入れなかった。

仕方がないので、ここからは以前妙法寺を参拝した時の画像を再掲する。

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どうぞご覧ください。

苔むす階段。


赤い仁王門。


こちらが御小庵跡。


日蓮上人が鎌倉の松葉ヶ谷に来て、庵を構えた場所と言われている。


しかし諸説あり、近隣の日蓮宗のお寺がいろんな説明をしている。

日叡上人のお母様の南の方のお墓。


護良親王のお墓もここに。市内二階堂にも宮内庁が管理するでっかいお墓があるけれどね。


息子である日叡上人のお墓はここらしい。


歴史が積み重なって、今があるということを感じる場所だ。

多くの偉人が異なった年代に鎌倉で活動し、生前や死後、このお寺でつながる。

ありがとうございます。



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妙法寺を出た。


鎌倉市大町の住宅地をさまよう。


大宝寺にも寄ってみようか。


今日は日蓮宗のお寺を集中的に訪れている。


はい、見えて来ましたよ。


大宝寺だ。

最初は多福寺という名前だったが、その多福を山号にして、大宝寺という名前に変えたらしい。多福山大宝寺って、なんかウハウハな名前だねえ。


多福に大宝。商売繁盛のためのご祈祷なんてお願いしたりして。

大町の山を背負う地形だ。


右手には稲荷社がある。


多福稲荷というらしい。


それでは本堂を拝んでおきましょう。

南無妙法蓮華経。


山号の多福山。


お賽銭箱は井桁に橘。


ありがとうございました。

大宝寺を去る。

安養院前を通過する。


八雲神社方面に行きましょう。


毎度参拝しているので、本日は通過するだけ。

八雲神社様、ごめんなさい。


ここも私の好きな道。


すぐにぼたもち寺(常栄寺)へ着くよ。


鎌倉市の市章と同じササリンドウがお寺の紋。

こちらも日蓮宗のお寺だ。今日は日蓮宗の日(笑)。


美しいササリンドウ。



ぼたもち寺と言われるにはそれだけの理由がある。


日蓮聖人は、ここでぼたもちを受け取り、刑場のあった龍ノ口へと連行された。しかしそこで斬首は免れる。何度も殺されそうになる日蓮聖人の法難のひとつである龍ノ口法難の前段の話としてのぼたもち。

あ、天水盆の水に凍っている。


寒いよねえ。。。

このお寺の境内は小さい。


小さな境内だけれど盛だくさん。

稲荷社までありますよ。


お狐様だ。


またもや井桁に橘を見ながら、退出。


するとまたすぐに南無妙法蓮華!


ここは妙本寺の総門だ。こちらも日蓮宗。


先日ご紹介したばかりだね。大きなお寺だ。

そのすぐ近くにまた南無妙法蓮華!!


本覚寺ね。

ここも日蓮宗。


鎌倉東急ストアで買い物して帰りましょう。

フジパンのスナックサンドはヤマザキのランチパックにそっくり。


古いのはフジパンらしい。

テリヤキチキン&タルタルはおいしいですよ。
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4 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (ちはる)
2025-03-03 13:12:15
日蓮宗シリーズ楽しみました。勉強になりました。私も順番にお寺回ってみます。
返信する
Unknown (おちゃ)
2025-03-03 14:28:19
ちはるさん

楽しんでいただきうれしいです。説明したとおり
ここは日蓮聖人が東から来て最初に落ち着いた
地区のようで、日蓮宗関連のものが多くあります。
まあ、鎌倉市内は日蓮聖人に係る場所が満載です。

あちこち周ってみてください。
七里ガ浜、七里ガ浜東にもありますよ。
返信する
Unknown (ユーアイネットショップ店長うちまる)
2025-03-03 16:25:15
樹木葬。
子供たちには累代のお墓を教えておきましたが、
行くことがないので忘れていると思います。
墓守りは私の時代で終わりかな。
返信する
Unknown (おちゃ)
2025-03-03 16:48:34
うちまるさん

現代の少子化と人の流動化で、檀家制度は維持が
不可能。近隣のお寺の周りに親戚一同が住み、
墓を継ぐ人がたくさんいた時代はいいですが、
一人息子はアメリカに行って帰って来ないなんて
ことが当たり前な時代は、檀家制度は無理です。

契約期間を区切り、その後は合葬墓で他人と一緒に
未来永劫お寺に拝んでもらう。そういうお墓形式が
精いっぱいなのでしょう。現代的で合理的な
形式だと思います。お寺の中にありますから
何百年も存在したお寺が今後もずっと
面倒を見てくれますが、そのお寺の檀家に
なるわけでもなく、遺族には非常に負担が軽く、
カジュアルな形式ですね。
返信する

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