Reflections

時のかけらたち

初めての文楽 ・・・ Introduction to Bunraku

2019-10-06 18:03:03 | art
きものが着れるようになってしばらくしてから、いろいろな出会いがあり、日本の古典芸能にも興味を
持つようになりました。邦楽が苦手で、歌舞伎は学校から行った歌舞伎教室で2回ほど見て、
どうもあのキラキラ声の出し方がだめでした。日本舞踊にも行かされましたが、三味線の音がにぎやかで
お正月みたいな感じがして、これもダメでした。お能は好きなような感じで、直感は当たっていました。
昨日も国立能楽堂での能と狂言をお誘いただいて、あの無限の空間の中、時間の流れを越えた芸術に
触れることができました。
最近は落語に行く回数が増えて、庶民の笑いの芸術ですが、それもまた楽しいです。そしてまたとない文楽を見る
機会がやってきました。


9月10日

心中天網島

新宿駅の丸ノ内線の近くによく文楽のポスターが貼ってあって、見るたびに行ってみたいな~と思っていました。
今回は一番見たかった心中天網島だったので、電話でチケットのことを問い合わせたら売り切れていました。
また次の機会と思っていたところ、あるばとろすさんから台風の影響でスケジュールがずれてご主人が行くことが
難しくなり、お誘いをいただきました。ちょうど予定も入っていなかったので、とてもラッキーでした。
それも一番前でチケットを取るのが大変だったと思います。














三味線の音が、とてもいい響きをしていました。三味線でも文楽の三味線は好きだと思いました。
心をしめつけるような音です。

初めての文楽はまず三味線の音に感動して、ストーリーはあらかじめ頭に入れておくだけで、とにかく人形の動きと
音楽に引き込まれていました。義太夫は同じ日本語だからおおよそ内容がわかります。
一番前で左というほとんど目の前で演じられるお芝居。人形遣いと人形同時に見れるのがいいです。私も一緒になって
体を動かしていました。人形遣いの方がいい表情をしていらっしゃいました。言葉や音楽は流れていても
舞踊のように感じる人形の動きでした。

体の動きで心の動きを表現するのに感嘆。話も人々の心の動きを織り交ぜながら一気に進んでいきます。周りの人たちが
二人の命を救おうと心を尽くしているのに、破滅へと向かっていく二人。近松門左衛門のストーリーテラーとしての
テンポの良さを感じます。こんなに悲惨な話なのに、そして愛の成就とかそういうことでもなく、運命に導かれて
道行へと進んでいきます。人形なので生々しさがないのがいい。実際にあった事件を題材にして、現代だったら
ゴシップでしかない話を、人形劇と言う芸術にまで昇華させているのがすごいです。
またその人形が表情が美しくて。



文楽って何?から抜粋しました。
基本情報です。

そもそも、文楽の舞台は、3パートによって成立します。人形を操る「人形遣い」、三味線という楽器を奏でる「三味線」、
そして語りによって物語をリードする「太夫」。
文楽の人形は、1人ではなく、3人で操ります。人形の足だけを担当する「足遣い」、左手を操る「左遣い」、
そして人形の首(かしら)と右手を担当する「主遣い」です。3人の組み合わせは、舞台によって変わってきます。
3人で1つの人形を動かして、なぜなめらかな動きができるのでしょうか? その秘密は、主遣いがほかの2人に送る、
「頭(ず)」と呼ばれる合図・指示にあります。
「主遣いの仕事は、首と右手を動かすだけではありません。さまざまな形でほかの2人に、人形全体の動かし方の指示を
出しています」
「こうしてください」などと言葉で伝えるのではなく、人形の首や人形全体の動き、または主遣いの体重移動など、舞台上
では常に細かい「頭」が出されているといいます。
主遣いから言葉にならない頭を受け取って、左遣いと足遣いは人形を動かします。そして3人の動きが一体となったとき、
リアルできめ細やかな人形の動きが生まれるのです。
その一体感を作るためには、3人の呼吸をぴったりと合わせる必要があります。他者がいて初めて、自分の芸が成立するのです。
だからこそ、他者とどう付き合うかという、根本的なところも問われます」


「表現するのは、メロディではなく物語」

奏者によって物語世界をより豊かにし、奥行きと幅を与えてくれる楽器、三味線。しかも、舞台に出る三味線弾きは、基本的に
たった1人。その1人が、物語に登場する子ども、若い女性、武士、お年寄りなどさまざまな人物たちの心情を弾き分けます。
さらには人間だけではなく、晴れ晴れとした青空や雷鳴が鳴り響く嵐といった天気、蝶が舞う様子まで、あらゆることを三味線
1つで表現します。
「きれいに旋律を弾けばいいわけではない。音色やテンポを変化させて物語の情景を描きつつ、老若男女の喜怒哀楽をどうやって
表現するか、それを大事にする楽器なんです」
文楽の三味線が伴奏ではない理由が、ここにあります。

太夫は、“語り”によって物語の進行を担うパート。文楽で上演される作品には台本があり、それに従って太夫が語っていきます。
しかし単なる朗読ではなく、「義太夫節」という独特な節回しによって語ります。


舞台では人形遣い、太夫と三味線がいますが、それぞれに視線を交わしたり、呼吸を合わせたりすることは一切ありません。
全員が別の方向を向き、別々のことをしている。しかし、文楽はそれで成り立っています。
「それぞれがそれぞれの芸をやって、勝手に合う。それが文楽なんです。合わせにいったらお遊戯です。それじゃダメなんです。
芸の火花の散り合いなんです」
人形遣い、三味線、そして太夫。3者がそれぞれまったく異なることをしながらも、観る者の前には、心震わせる1つの物語が
立ち現れる。それが文楽の不思議なところであり、面白さでもあるのです

人形だからこそ、そして、舞台に上がる者それぞれが人生をかけてその芸を磨き上げ、舞台上で火花を散らしているからこそ、人々
を捉えて離さない文楽。300年以上続いてきた伝統の芸、その強靭さ、面白さ、人の心に訴えかける力は半端なものではありません。



この日の装い

前日伺ったので、慌てて着物を選びました。暑いので小千谷縮とも思いましたが、祖母の夏着物を久しぶりに
着ることにしました。






帯は夏物の露芝の絽綴れ、お気に入り道明の帯締め 平家納経




着物を選んで帯はどれかなとか考えていたら、私はやっぱり着物が大好きなんだと思いました。
今あるものをどうやって組み合わせるか考えながら、着れる間は着てみたいなと思いました。







あるばとろすさんのお着物と帯、大好きな感じです。全身のお写真はあるばとろすさんのブログにあります。


Sep.10 2019 Hanzomon



余談

心中天網島というと私の世代だと篠田正浩監督の映画を思い浮かべる人が多いと思います。興味がすごくあったのに
なぜか見ていませんでしたが、篠田監督が語っている番組は良く覚えています。



ポスターを見て、中村吉右衛門だったことを思い出しました。音楽は武満徹、脚本は富岡多恵子 助監督の一人は小栗康平
絵 篠田桃紅 ・・・・なんという豪華な面々なのでしょう。

篠田監督の「文化を掘り下げれば、世界共通なところにたどりつく」と言う言葉が心に残っています。日本文化を掘り下げて
いけば世界共通の源泉にたどりつくと。

富岡多恵子 篠田正浩 電話での会話(脚本の打ち合わせ) 映画『心中天之網島』冒頭シーン


その頃だったか和田勉も心中物をよく作っていました。
1984年のドラマスペシャル 心中宵庚申
和田勉演出のスピーディな展開が印象に残っています。太地喜和子さんって本当に素敵な女優さんでした。

本田博太郎と言う今では個性派バイプレイヤーの俳優も近松心中物語の平幹次朗の代役で世の中に出てきました。

  
コメント
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