碓井広義ブログ

<メディア文化評論家の時評的日録> 
見たり、読んだり、書いたり、時々考えてみたり・・・

新人たちが動き出す

2011年04月21日 | 「東京新聞」に連載したコラム

東京新聞に隔週で連載しているコラム「言いたい放談」。

今回は、この春出発した新社会人、新人をめぐってのお話です。



子供の旅立ち

もうすぐ娘が家を出る。現在新人研修中だが、赴任地も決まった。

長年一緒に暮らしてきた家族の旅立ち。自他共に認める親バカな私は今、少し感傷的だ。

三十八年前の春、私も家を出た。

当時健在だった父がこう言った。「ウチを継ぐ必要はない。自分の道を探せ」と。

若い頃、父は憧れて入った会社で働いていたが、途中で家業を継いだ。それが幼少時代に養子として迎えてくれた祖父との約束だったのだ。

だからこそ自分の子供が自由に羽ばたくことを望んだのだろう。長男である私も心おきなくテレビ制作の仕事に飛び込むことができた。

父は子供たちが一人前になるのを見届けた後、宣言通りに家業を閉じている。

娘も仕事を自分で決めた。家業を持たぬ私が「自分の道を探せ」と言うまでもなかった。

ただ、娘が選んだのはメディアを通じて人に何かを伝える仕事だ。意義もあるが責任もまた大きい。

それはこの一ヶ月余りの震災報道を見てもわかる。何を、どのような視点で、誰に伝えようとしているのか。それが現在も問われ続けているのだ。

しかし今は、この春わが子を社会に送り出す無数の親御さんと同様、その背中を見守るしかない。

いつか娘を含めた新人たちのやりがいと社会への貢献が、仕事の上で重なってくれたらどんなにうれしいか。

親バカはどこまでも夢想家である。

(東京新聞 2011.04.20)


ライブ進行の「現代テレビ論」

2011年04月21日 | 大学

担当科目「メディアと文化」の授業開始。

春学期は「現代テレビ論」といった内容だ。

新聞学科の授業だが、全学部に門を開いている。

ただし、少人数教育を標榜する本学としては定員あり(120名限定)。

その定員を超えると抽選が行われる、いわゆる抽選科目だ。

今年も抽選に当たった、運のいい学生たち(笑)が集まった。

他学部の学生が半数いるので、その多彩さが面白い。

最初にルールを説明する。

まずは出席すること。私も教室に来るんだから(笑)。

授業は究極のアナログ体験であり、そこに価値があると思っている。

いわばライブだから、一回性のもの。

ナマモノだから、内容も予定と変わることだってある。

今日何か起きたら、明日の授業の中身に変化が起きて当然。何しろ、「現在」と向き合うメディアを扱う授業なんだから。

遅刻は、他の学生や私といった参加者の“流れ”を疎外するので、遅れの度合いによっては入室をお断りすることがある。

授業と無関係なおしゃべりも、せっかくのライブを邪魔する行為だ。

それに、授業中にあえて話したいほど重要な会話なら、廊下など外でじっくりやればいい。

つまり、教室を出て行っていただく。

・・・・などなど、例によってウルサイことをお伝えし(笑)、それでOKと思うメンバーは、来週から参加してもらいたい、といった話をした。


授業終了後、碓井ゼミの4年生が「第一志望の新聞社から内定が出ました」と、うれしい報告。

同時に、ゼミ生ではないが、よく知っている4年生が教壇にやってきて、「某放送局に決まりました」と伝えてくれた。

私の就職活動に関する持論は「当たり前のことを、当たり前以上にできる奴こそ強い」だが、2人とも「常識をベースにした個性」をもった学生だ。

とにかく、おめでとう!