2022.11.18
【巨匠・倉本聰の言葉に学ぶ人生のヒント】
第2回
大切なのは「受信力」
倉本聰がシナリオを学び始めたのは、東大受験に失敗した後の浪人時代だ。最初の勉強は、喫茶店に座って隣のカップルの会話を盗聴することだった。いや、喫茶店だけでなく電車の中など他の場所でも、人の会話を盗み聴くということがスタートだったと言う。
「物書きの仕事で大事なことは、書くこと、つまり発信することじゃなくて、受信すること、受信力だと思ってるんですよ。受信というのは要するに五感―視覚、聴覚、嗅覚、触覚、味覚のすべてを動員して、あらゆる現象を盗み取って吸収するということですよね。
人は他人の言うことや、他人が書いたものを吸収して、それで受信したと錯覚しがちなんだけど、それは聴覚や視覚のみの受信でね、真の受信の半分にも達してないという気がするんです。
というのは、人の喋りや書く文章にはね、虚飾とかホラとか自己顕示とか、そういったものが必ず交じっちゃってるわけですよ。そういうものを見抜くためには、まず書いた人や言った人の人間性を見抜かなくちゃいけない」(「脚本力」より)
仕事をする上で、アウトプットのことばかり気にする人は少なくない。しかし、その前にインプットがあり、受信力が必要だと言う。一瞬、自分を無にすることでアンテナを研ぎ澄ませ、溢れる情報の中から本当に大事なものだけを吸収するのだ。
(日刊ゲンダイ 2022.11.17)
【巨匠・倉本聰の言葉に学ぶ人生のヒント】
第1回
企画と発想は“その場”で考える
「出合い頭」のひらめきが勝負
「北の国から」や「前略おふくろ様」などで知られる脚本家、倉本聰。
なぜ60年以上も書き続けられるのかが知りたくて、半年間にわたる対話を行ってきた。その内容を一冊にまとめたのが、この秋に上梓した「脚本力」(幻冬舎新書)だ。
巨匠が語った言葉の中から、誰もが「人生のヒント」として応用できそうなものを紹介していきたい。まずは、企画と発想について。
「僕ら脚本家はプロデューサーと話すことが多いよね。ちょっと会おうよ、なんて言われて喫茶店とかで会う。実はこういう番組を考えてるんだけどっていう話になる。2時間は話すとして相手の話を聞きながら、すでに僕の頭の中ではね、どう具体化できるか、どんなストーリーになるかってことを考え始めてますよ。そう。絶対、その場で考える。
それで、このストーリーならいけるなって思えたときは、引き受けようと決める。基本的なストーリーがひらめかないのに引き受けるってことはあり得ない。逆に、ひらめいたら絶対にその場でプランを作ります。だから翌日にはもう、昨日の件を僕なりに考えたんだけど、こういう話でどうだろうって、相手に提示することが多いですよ」(「脚本力」から)
日常的に「やりたいこと」をストックしているからこそ、出合い頭の「ひらめき」が生まれるのだ。
碓井広義(うすい・ひろよし)
メディア文化評論家。1955年生まれ。慶應義塾大学法学部卒。テレビマンユニオン・プロデューサー、上智大学文学部新聞学科教授などを経て現職。倉本聰との共著『脚本力』(幻冬舎)、編著『少しぐらいは大目に―向田邦子の言葉』(新潮社)などがある。
(日刊ゲンダイ 2022.11.16)
日曜劇場『アトムの童』が映し出す、
この時代の「気配」
『アトムの子』から『アトムの童(こ)』へ
♪「どんなに大人になっても、僕らはアトムの子供さ。どんなに大きくなっても、心は夢見る子供さ」
1999年に発表した『アトムの子』で、そう歌っていたのは山下達郎さん(作詞・作曲)です。
「アトム」はもちろん、手塚治虫の漫画&アニメ『鉄腕アトム』を指していました。いわば少年たちの「夢」の象徴です。
久しぶりで「アトム」の名に接したのが、この秋の日曜劇場『アトムの童(こ)』(TBS系)でした。
天才ゲーム開発者である安積那由他(あづみなゆた、山崎賢人)が、仲間と共に興津晃彦(オダギリジョー)の率いる巨大IT企業に挑む物語です。
6年前、那由他と菅生隼人(松下洸平)が「ジョン・ドゥ(名無しの権兵衛)」の名で発表したゲームは大人気となりました。
しかし、ジョン・ドゥはその一作だけでゲームの世界から姿を消してしまい、那由他自身は自動車整備工場で働いてきました。
一方、銀行員・富永海(岸井ゆきの)の実家である老舗メーカー「アトム玩具」は、時代に取り残され経営危機に陥っていました。
海の父・繁雄(風間杜夫)が病に倒れたため、海は継承を決意。探し出した那由他の力を借りて、ゲーム制作に乗り出します。
「物語」と「登場人物」の魅力
まず注目したいのは、このドラマが「ゲーム業界」を舞台にしていることです。
『半沢直樹』の金融界や『ドラゴン桜』の教育界も興味深かったのですが、今回は、またひと味違う“同時代性”が感じられるのです。
ゲームを梃子(てこ)にして物語に織り込まれる、エンタメの「創造」と「ビジネス」。
現代社会の一断面というか、今という時代の「気配」みたいなものが漂っているようで。
加えて、日曜劇場の主人公として20代の人物が設定されるのは、2020年の竹内涼真主演『テセウスの船』から10作ぶりとなります。
長年の日曜劇場ファンだけでなく、より幅広い層を取り込もうという狙いでしょう。
山崎さんが連ドラの主演を務めるのは18年の『グッド・ドクター』(フジテレビ系)以来。
今回、那由他の熱っぽさやナイーブさの表現など、俳優として各段に進化しており、演技力に定評のある岸井さんとの相乗効果も生まれています。
さらに、オダギリジョーさんの起用が正解でした。
興津役の予定だった香川照之さんからのスライドですが、元々オダギリさんだったのではないかと思わせるほど、存在感があります。
インターネットビジネスの覇者という「役柄」と、次世代のヒール(悪役)という「役割」の両方が見事にハマっているからです。
人物造形とセリフが光る「脚本」
脚本は『この恋あたためますか』(TBS系)などを手掛けた、神森万里江さんのオリジナル。それぞれの経歴を感じさせる人物造形とセリフが光ります。
たとえば、火事でアトム玩具の社屋を失った繁雄が言いました。
「おもちゃなんかなくたって、世の中は困らねえ。でも、あればわくわくするし、笑顔になる。俺たちはそういうものに人生を懸けてきたんだからよ。下向いて立ち止まっちゃダメだろう」
繁雄だけでなく、那由他たちにも通じる「ものづくり」のプライド。
さらに言えば、ドラマの制作陣にとっては、このセリフの中の「おもちゃ」が、「ドラマ」に置き換えられてもおかしくありません。
「あればわくわくするし、笑顔になる」ものを、全力で生み出して欲しいと思います。
那由他と隼人が再び組んだことで、新しいゲームの開発が次の段階に入りました。当然、興津も対抗措置を講じてきています。
創造とビジネスの両面で、更なるスリリングな展開が続きそうです。
局内不倫報道で番組降板、
NHK阿部渉アナに欠けていたもの
10月29日配信の「文春オンライン」で、30代の同僚局員との約2年間にわたる“W不倫疑惑”を報じられた、NHKの阿部渉アナウンサー(55)。報道後、SNS上では、NHKや阿部アナに対する批判の声が殺到、大きな波紋を広げている。
阿部アナといえば、’09年から3年連続で『NHK紅白歌合戦』の総合司会を務め、『NHKニュースおはよう日本』や『NHKニュース7』といった報道番組を歴任。名実ともにNHKの看板アナとして輝かしいキャリアを築いてきた。ところが、今回の一件ですべてを失う可能性もーー。
近年では、有名人の不倫が発覚するたびに、当事者は世間からの厳しい目にさらされ、一瞬にして社会的信用を失ってしまうことも。公共放送の看板アナともなれば、不倫発覚のリスクがいかに大きいかがわかると思うのだが……。
「不倫が発覚するリスクがわかっていても、阿部アナは、その“リスキーであることを成し遂げている自分”に酔っているところがあったのではないでしょうか」
こう語るのは、メディア文化評論家の碓井広義さんだ。
阿部アナは、「エグゼクティブアナウンサー」という、役職的に最上位のアナウンサーで、全国的に最も顔と名前が知られている局アナの1人。つまり局内だけでなく、番組を通じて視聴者にも影響を与える力を持っている実力者だ。
「立場的に、自分が望んでやることは許される、自分が管理すればコントロールできる、そういう過信があったのではないでしょうか。自分は特別な人間で、ほかの人とは違うという勘違いがあったとしてもおかしくないでしょう。だからリスキーな不倫を2年も続けていた。それはある意味、NHKの大きな看板を背にした“驕り”なのかもしれません。看板を背負った見えないプレッシャーのガス抜きのために、誤った形に走ってしまう。そういうことも背景にあるかもしれません」(碓井さん)
いっぽう、そんな看板を背負うことで生じるスリルを味わっていたのではないかと分析するのは、漫画家のやくみつるさんだ。
「これは臆測でしかないですが、『みなさまから信頼されているNHK』の顔でありながら、こっそり愛人と会うほうが、より背徳感が大きくなる。その刺激は常人には味わうことのできないドキドキがあるのかもしれないですね。人に見られていないと興奮しない、という刺激と似た、大きな看板を意識しないと刺激されない、という(笑)。…NHKのアナウンサーは、民放の局アナとはちょっと意識が違うと思います。民放アナの場合“みなし芸能人”の自覚がありますが、NHKのアナは、一部の人気女子アナを除いて、どれほど全国的に顔を知られても、みなし芸能人的な意識はおそらくないでしょう。
特に男性アナの場合は、ほぼないと考えられます。だから不倫スクープに関しても、『なぜ自分が狙われたんだ!』という感覚のほうが強いのでは」(やくさん)
最後にやくさんは、阿部アナのように“一発退場”とならないために、こうアドバイスする。
「NHKのアナウンサーは“みなし公務員”ではなく“みなし芸能人”です。まずその意識をきちんと持たれることをご注進申し上げたい。常に芸能人と同列にまわりから視線が注がれている、ということです。それを男性アナウンサーといえども意識することですね」
公共放送の看板を背負った重圧は私たちには到底想像できないが、そもそも不倫などしなければいいだけのことなのだが…。
(「女性自身」2022.11.22号)
フジ”月9”ドラマ
「エルピス」好調の陰に
作り手と主演・長澤まさみの覚悟
実在した事件から着想
フジテレビ系の“月10”ドラマ「エルピス-希望、あるいは災い-」(カンテレ)が話題だ。
平均世帯視聴率(関東地区、カッコ内は個人視聴率=ビデオリサーチ調べ)こそ、10月24日の初回放送から8.0%(4.4%)、7.3%(3.8%)、6.3%(3.4%)と1桁台を推移しているが、「今どきのドラマは、リアルタイム視聴の視聴率だけでは評価できません。1時間ごとに更新されるTVerの再生回数ランキングでは今季ナンバーワンドラマとの評価の高い『silent』(フジ系)がダントツですが、こちらも世帯視聴率は1桁台です。『エルピス』も同ランキングではベスト5の常連ですから、ヒットしていると見ていいでしょう」(キー局関係者)という。
“路チュー写真”を週刊誌に撮られたことで、報道番組のキャスターを降板させられた「大洋テレビ」のアナウンサー・浅川恵那(長澤まさみ=35)が、若手ディレクターの岸本拓朗(真栄田郷敦=22)と“路チュー写真”の相手だった元恋人で報道局のエース記者の斎藤正一(鈴木亮平=39)と共に、連続殺人事件の冤罪疑惑を追うというストーリー。
7日放送の第3回では、行き詰まっておえつしながら、キッチンに座り込んだ長澤が元恋人の鈴木と濃厚なキスを交わし、再び一夜を共にするというシーンも放送され、強烈なインパクトを残した。
「ゲロを吐いた長澤まさみをたばこを吸った鈴木亮平がキスで受け止めた」「演技とはいえキスシーン………エグい」とSNS上でも話題となった。
しかし、話の本筋はあくまで「冤罪事件」。
メディア文化評論家の碓井広義氏は、「ここ数年のドラマの中でも出色の作品だと思います」として、こう続ける。
「視聴者を強烈に引き込むサスペンスであると同時に『冤罪事件』を真正面から扱っています。冤罪事件は、警察や裁判所など公権力の大失態ですが、発表報道を垂れ流して、結果としてそれに加担してしまったマスコミにも責任の一端はあるわけです。ともすれば、自分たちにも批判の矛先が向きかねないリスクもある中で、テレビ局を舞台に、こうしたテーマのドラマを作るのはとてもスリリングなことだと思います」
異例ともいえる「参考文献提示」
このドラマが実際の事件から着想を得ていることも注目に値すると言う。
「ドラマの冒頭で、『このドラマは実在の複数の事件から着想を得たフィクションです』とうたっていますが、エンドロールでは9冊もの『参考文献』が挙げられています。これも異例のことですが、うち5冊が『足利事件』に関するものです。ここまで堂々と手の内を明かし、“単なる絵空事ではないんだぞ”と問題提起しているのは、作り手の肝の据わった覚悟や、ドラマというものへの熱い思いを感じます」
さらに、「コンフィデンスマンJP」(2018年)以来の地上波ドラマ主演となる長澤まさみについてはこう付け加えた。
「人気女優としての地位を十分に築いている長澤さんですが、そこに安住せず、次のステップに進もうと圧倒的な熱量で演じている姿は、どこか彼女がドラマの中で演じている浅川アナとダブりますね」
作り手も演者も熱量たっぷり。オトナの鑑賞にも十分堪える社会派エンターテインメントだ。
(日刊ゲンダイ 2022.11.11)
川口春奈 デビュー15周年に
主演ドラマが大ヒットのワケ
橋の上で懸命に男性に話しかける女性。だが男性は無言で女性を見つめるだけ。やがて男性は決心したように手話を使って語り始める……。しかし、それは彼女には理解できないものだった――。
『silent』(フジテレビ系)1話ラストのクライマックス。川口春奈(27)が、『Snow Man』目黒蓮(25)演じる、聴覚を失った元恋人と再会するシーンだ。
「日差しの強い日だったので、二人とも氷嚢(ひょうのう)やハンディファンを手に、代田橋駅のすぐ近くで撮影していました」(近隣住人)
『silent』は20〜40代女性から圧倒的に支持され、今クール一番の話題作となっている。
ヒロインを演じる川口は、ファッション雑誌『ニコラ』のモデルとしてデビューしてから9月で15周年。
’20年の『麒麟がくる』に沢尻エリカの代役として出演して以降は絶好調で、’21年には『NHK紅白歌合戦』で司会を担当、今年は『ちむどんどん』で朝ドラにも初出演した。
メディア文化評論家・碓井広義氏が語る。
「川口さんは同年代の女性が元恋人と再会して抱くであろう葛藤を、等身大で演じることでスポットを浴びているのだと思います。最終的に、この役は川口さんでなければできなかった、と視聴者に言われるほどのハマり役となるのではないでしょうか」
節目の年にさらなる飛躍となりそうだ。
(『FRIDAY』2022年11月18日号より)
吉沢亮「PICU-小児集中治療室」
医者は万能のヒーローではない
この秋、複数の医療ドラマが放送されている。
「祈りのカルテ-研修医の謎解き診察記録」(日本テレビ系)、「ザ・トラベルナース」(テレビ朝日系)などだ。
ただし、天才外科医やスーパードクターは登場しない。医療現場が抱える課題も踏まえた、現実感のある人間ドラマになっている。
吉沢亮(写真)主演「PICU-小児集中治療室」(フジテレビ系)もそんな一本だ。舞台は札幌の「丘珠(おかだま)病院」。新米小児科医の志子田武四郎(吉沢)は、植野元(安田顕)が立ち上げたPICUに参加している。
先日は呼吸器系のウイルスに感染した赤ちゃんが救急搬送されてきた。母親は20歳の大学生で、乳児院に預けたままだ。武四郎は会いに来るよう伝えるが、拒否される。
悩んだ末、自身も子供を失った経験を持つ救命医、綿貫りさ(木村文乃)に頼んで説得してもらった。このドラマは武四郎の成長物語でもある。
また、交通事故で肋骨(ろっこつ)が折れ、肺を損傷した少年がいた。植野は右肺の全摘出を決めるが、武四郎は抵抗する。子どもの将来が狭まってしまうと考えたからだ。
結局、肺を生かす形での治療が行われた。未熟な青年医師だからこそ、見えるものもあるのだ。
医者は万能のヒーローではない。悩みながら最善の治療を目指している。本作のような、愚直に患者に寄り添う医者たちのドラマがあっていい。
(日刊ゲンダイ「テレビ 見るべきものは!!」2022.11.09)
「エルピス」で感じる長澤まさみの“凄味”
エンドロールの参考文献で読み解くストーリー
今期のドラマは『PICU 小児集中治療室』『アトムの童』『silent』『ザ・トラベルナース』など話題性の高いドラマが少なくない。メディア文化評論家の碓井広義氏は、中でも最も注目しているのが『エルピス―希望、あるいは災い―』だという。その理由を寄稿いただいた。
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とんでもないドラマが出てきたものだ。
長澤まさみ主演『エルピス―希望、あるいは災い―』(カンテレ制作・フジテレビ系)の初回を見終わって、そう思った。
何しろ、テーマが「冤罪」である。無実の罪であり、濡れ衣だ。犯人でない人間が犯人だとされる冤罪を生むことは、警察だけでなく検察や裁判所の大失態でもある。
また、自ら取材して真相を明らかにしたのではなく、警察の発表をそのまま流したのがマスコミであるなら、それは冤罪に加担したことになる。
冤罪が明らかになった時、公権力とマスコミの双方に生じる「軋(きし)み」は大きい。そんなテーマを、テレビ局を舞台に描こうというのだ。やはり「とんでもないドラマ」である。
テレビの現場の「リアル」
主人公の浅川恵那(長澤)は報道番組のアナウンサーだった。しかし、「路チュー」写真でスキャンダルが発覚し、左遷される。現在は『フライデーボンボン』なる、ゆる~い情報バラエティ番組のコーナー担当という“冷や飯”状態だ。
ある日、浅川は番組の若手ディレクター・岸本拓朗(眞栄田郷敦)から相談を受ける。最高裁で死刑が確定した少女連続殺人事件。その容疑者の男・松本良夫は冤罪であり、真相を一緒に追及して欲しいと言うのだ。
岸本には似合わない真面目な話だったが、実は松本と関わりのあったヘアメイク係の「チェリー」こと大山さくら(三浦透子)に脅されての依頼だった。少女時代の大山が松本の家に滞在していたことで、「ロリコン殺人」などとマスコミが騒いだのだ。
浅川のアドバイスで、岸本は報道局の人間に冤罪企画を提案するが一蹴される。
「誰も自分たちが報道したことの責任なんて振り返りたくないんだよ」と浅川。
「冤罪ってマジで大変だよ。蒸し返されるとマズい人がいっぱいいて、そういう人がやたら圧かけてくる。上から、よく分からない理由で表現を曲げさせられたりとかさ」
現在の浅川はストレスの塊だ。眠ることも食べることも困難で、いわば崖っぷちにいることを自覚していた。浅川は自分を再生させるためにも、この冤罪企画の実現を考え始める。
もちろん、簡単にはいかない。企画書を読んだ『フライデーボンボン』のプロデューサー、村井喬一(岡部たかし)が浅川たちを罵倒する。
「いいんだよ。闇にあるもんてのはな、それ相応の理由があって、そこにあるんだよ。お前如きが、玩具みたいな正義感で手出ししていいようなことじゃねえんだよ! 冤罪を暴くってことは国家権力を敵に回すってこと、わかるか?」
これに対して浅川は、「あたしはもう、わかりたくありません!」と啖呵を切った。おかしいと思うことを飲み込むのは、もう止めようと決意したのだ。
テレビの現場のリアルを、これだけ反映させた強いセリフの応酬など、なかなか見られるものではない。そこにあるのは、このドラマの佐野亜裕美プロデューサーと、脚本の渡辺あやが抱え持つ、肝の座った「覚悟」だ。
制作陣の「覚悟」
番組のタイトルに続いて、こんなクレジットが表示される。
「このドラマは実在の複数の事件から着想を得たフィクションです」
つまり、ドラマという架空の物語の形を借りて現実と向き合っていくという「闘争宣言」だ。
さらに番組の最後では、9冊もの「参考文献」を明らかにしている。
▼菅家利和『冤罪 ある日、私は犯人にされた』(朝日新聞出版)
▼菅家利和、佐藤博史『訊問の罠――足利事件の真実』(角川oneテーマ21)
▼清水潔『殺人犯はそこにいる―隠蔽された北関東連続幼女誘拐殺人事件―』(新潮文庫)
▼小林篤『足利事件 冤罪を証明した一冊のこの本』(講談社文庫)
▼佐藤博史『刑事弁護の技術と倫理 刑事弁護の心・技・体』(有斐閣)
▼下野新聞社編集局・編『冤罪 足利事件 「らせんの真実」を追った四〇〇日』(下野新聞社)
▼佐野眞一『東電OL殺人事件』(新潮文庫)
▼高野隆、松山馨、山本宜成、鍛冶伸明『偽りの記憶――「本庄保険金殺人事件」の真相』(現代人文社)
▼日本弁護士連合会人権擁護委員会・編『21世紀の再審――えん罪被害者の速やかな救済のために』(日本評論社)
注目すべきは、9冊のうち5冊までもが「足利事件」関連の書籍であることだ。
1990年5月12日、栃木県足利市内のパチンコ店で当時4歳の幼女が行方不明となり、翌朝、市内の渡良瀬川河川敷で遺体が発見された。
幼稚園のバス運転手だった菅家利和さんが有罪判決を受けて服役。しかしその後、本人のDNA型が犯人のものとは一致しないことが判明し、再審のうえ無罪が確定した。
このドラマには、現実の足利事件に対する制作陣の見方や捉え方が、何らかの形で反映されていくはずだ。
そこには警察の失態だけでなく、テレビを含むメディアが何をして、何をしなかったか、という問題も含まれる。かなりスリリングな試みなのだ。
長澤まさみの「覚醒」
このドラマの長澤まさみには、これまでにない「凄み」がある。
自分を押し殺し、生ぬるい日常に埋没していた浅川。しかし、今回のことをきっかけに自分を変えようとしているのが、現在の彼女だ。そこにはかなりのリスクがあるが、それも覚悟の上だろう。
そんな浅川と、女優として新たなステップへと進もうとする長澤が、どこか重なって見える。不自然さを感じさせないリアルな凄みは、一種の「覚醒」の産物かもしれない。
それを支えているのが、プロデューサーの佐野や脚本の渡辺などの制作陣だ。
最近の佐野が手掛けてきたのは、『大豆田とわ子と三人の元夫』(カンテレ制作・フジテレビ系)であり、『土曜ドラマ 17才の帝国』(NHK)である。どちらもテレビの常識やドラマの定型を蹴散らすような快作だった。
しかも、今回の『エルピス』を含め、いずれも2020年6月まで所属していたTBS在籍時代から練ってきた企画であり、その実現のためにカンテレ(関西テレビ)へと移籍したのだ。こんな「1本入魂」の作り手、見たことがない。
渡辺もまた、只者ではない。尾野真千子主演『カーネーション』で、NHKの朝ドラに異例の「不倫」を持ち込んだ脚本家である。
さらに、大根仁監督による緩急自在の演出とキレのいい映像も長澤を輝かせている。
戯画化とサスペンス
冤罪を覆す手立ては二つしかない。一つは容疑者の無罪を証明すること。もう一つは真犯人を見つけることだ。もしも容疑者とは別の真犯人が存在するなら、新たな犯行が続くことになる。
浅川と岸本は、まず事件当日の松本の動きを検証することからスタートする。
だが、そもそも松本は本当に無実なのか。物語の発端となる大山の証言は真実なのか。岸本が抱える闇はどんな形で露呈してくるのか。
テレビというメディアを際どい戯画化によって批評しながら、冤罪をめぐる緊迫感のあるサスペンスドラマとして成立させているのが、この『エルピス』である。
佐野も、渡辺も、ハイレベルな“確信犯”と言っていい。「次はどうなる?」という視聴者の興味に応えつつ、時には見事に裏切るような展開が期待できそうだ。(一部敬称略)
碓井広義(うすい・ひろよし)
メディア文化評論家。1955年生まれ。慶應義塾大学法学部卒。テレビマンユニオン・プロデューサー、上智大学文学部新聞学科教授などを経て現職。新聞等でドラマ批評を連載中。著書に倉本聰との共著『脚本力』(幻冬舎新書)、編著『少しぐらいの嘘は大目に――向田邦子の言葉』(新潮文庫)など。
(デイリー新潮 2022.11.07)