お盆のお里帰りは長崎でありますが、
最初から最後まで降ったりやんだりの雨でありました。
15日はお盆の送り火と精霊流しの日であります。
路面電車に乗って、諏訪神社前でおり、
中島川に沿って浜の町まで歩いてみました。
以前の帰省の折、この川筋でカワセミを見かけましたので
もしかするとと思ったのですが、この雨ではちょっと無理でしたね。
路面電車の外は雨です。↓
中島川にかかる石橋。やっぱり雨です。↓
それでも、ハクセキレイが飛び跳ねていたり、
このアオサギが雨に濡れながら餌を狙ったりしておりました。↓
この夜の精霊流しのための
精霊船の準備も雨に濡れながら大変です。 ↓
アーケードの中でも精霊船の準備が大詰めのようでした。 ↓
中学時代の友人との久々の会合でもありました。 夏だけどなぜかすき焼きなべなのね。↓
印刷会社を退職して、趣味をあれこれ優雅に広げているO君。
新聞社を退職して、煙草とお酒につぶれそうなM君。
リフォーム会社を必死に切り盛りしてなお現役のY君。
かつて漫画の創作にいそしんだグループでありました。
中学時代からその後紆余曲折の人生、色々話はつきません。
かつてこのグループにあとから入ってきたのが、かの蛭子能収氏。
その一番の親友Y君がつい最近蛭子氏の番組に友人として
テレビに登場したというのが、この日のトピックスでありましたね。
(蛭子氏のタレント性はその変人ぶりがウケてまだ続きそうです。)
16日は、母の入所している施設を訪問。
「今日、五島に帰ると~。」といきなりつぶやきます。
「五島に何があると?」
「いや、な~んもなかと。」
「五島に誰がおるとかね?」
「いや、誰もおらんと~。」
最近頭の中は生まれ育った五島のことばかりのようです。
居眠りからはっと目を開いたとき
「今日は凪じゃろう!?」と言います。
五島の海のそばに居るような気がしたのでしょう。
妹が訪問するたびに「五島へ帰る」と言い出して、
おとなしくなだめられる時もあれば、そうでない時もあり、
妹もなかなか困っております。
「今はちょっと無理やね。またいつか行けるときがあるよ。」
と言うと、
「今日は五島に帰るとやったけど・・・」
と、しようがないねという顔つきで
この日は、何だかおとなしくなだめることができたようです。
そうして「また来るから。」
と言って、小雨の中、ザックをかつぎ
施設をあとにして、帰阪の途についたのであります。
福江島の一番西の端にある玉之浦というところがふるさとであります。小さい頃から遣唐使が最後に立ち寄ったところと聞かされておりました。和冦の基地であったとも。付近に隠れキリシタンのゆかりの教会もあったりします。良いところです。
まあともかくお気を付けていってらっしゃいませ。これからの私らはどういう風に上手に自分の身体とつきあっていくかということでございましょうね。
!丸一日博物館です。以前に来た時は、時間がなく、展示はわずか30分。だから、端から音声ガイドを聞きながら、写真を撮りながらの見学です。なんと、三時間なんとか持ちました!
ランチをして、これから18時までまた見学です。至極の時間です。
お母さんがまさにその地のお生まれとはしりませんでした。
ま、元気があれば、行きたいですに。
先日、念願かない、娘と一緒に五島に行ってきました。
なべさんのお母様の故郷、大瀬崎灯台の近くのロマネスク様式の井持浦教会にも行き、ルルドの霊水も頂いてきました。
五島のお土産は、あごだし付きの五島うどんと、伊勢エビいりの味噌汁と、五島灘の塩。
以前、舟入の女子会旅行で五島に行った時は、やはり、舟入の同級生が、福江の港湾工事を請け負った会社の社員だったので、なにかと便宜を図ってもらい、民宿は2000円、伊勢エビもまるごと一匹、堪能させていただきました。
異文化の地、五島の教会群は、世界遺産に登録されると、どっと観光客が増えますね。その前に、長崎の軍艦島と五島に行きたいと思っています。
我が家は、五島と縁があり、弟のお嫁さんも、メダカのお父さんのいとこのお嫁さんも福江出身。毎年、冬になると、カンコロ餅が届きます。
五島の海のそばで、カンコロ餅の材料の芋を干していたお婆さんの横顔が今でも、印象に残っています。
五島には大学生の折行ったきりであります。玉之浦というところで、大瀬崎灯台や井持浦教会も近くです。まだ小学生だったいとこの3人を案内人に大瀬崎灯台まで歩いたこともあります。小学生の頃の夏休みは裏がすぐ海になっている実家でありましたが、庭先で海風に当たりながら顔を洗い歯を磨いたりしておりました。もちろん海は綺麗で、地元の子供らと一緒に泳いだりもしていましたよ。思い起こしたらいろいろとなつかしいです。
今では親類の多くは長崎市内に出てきてしまっているのですが、まだおじさん一家が健在です。いつかおとずれることもあるでしょうかね。