クリスマスのお祝いだとか、
誕生日お祝いだとか、いうものには
ほとんど無縁に育って参りました。
戦後の貧しい家庭にそんな習慣は
全くなかったといっていいでしょう。
だから少し若い世代が、
ハッピ・バースデイとかメリークリスマスとか
何の屈託もなく、当然のごとくお祝いするのに
はなはだ戸惑ったものであります。
そんなわけで、自分の子どもに
そんな雰囲気も与えないまま育ててしまって
時には、申し訳なかったか、とも思うのでありますが。
(まぁ、そこはなべ嫁さんがカバーしていたでしょうけど。)
とにかく、誕生日祝いとかいうものもなく
お祝い事といえば、唯一、お正月のお年玉が
元旦、目覚めた枕元に置いてあったこと位でしょうか。
それでも、親元を離れてからは、いくつになっても、
母から誕生日に電話がかかってくるということが
あるようになりましたね。
以前でも母の気持ちの中ではそのつど、誕生日祝いを
していたつもりであったのでしょうか。
そんなわけで、古いアラカン世代のお仲間が
イブの日に集まったのは全くたまたまのことでありまして、
こんな日に、店ががら空きなのは中華に違いないと、
中華料理店での飲み会でありました。
京阪天満橋。夜景がきれいです。 ↓
「お祝いする資格があるのは私だけ?」
と、無神論者のクリスチャンがお一人いましたけど、
例によって、お病気の話とか、日本をやめたくなる
昨今の政治状況のお話とかでありました。
(ずいぶん、お上品になりましたね。みなさま。)
アラカン世代のお仲間。もうすぐにも後期高齢者かしら。 ↓
楽しいひと時を過ごして帰ってみると
元職場の同僚の逝去の知らせが入っておりました。 (合掌)
「そろそろ順番が回ってくるのかね。」
と、こんなとき、
少し寂しく思ってしまうのでありますが。
そんなこんなで、我が家の子供達も誕生日もクリスマスも全く縁がありませんでした。だから娘が幼稚園の時、誕生会を我が家でやるかどうかでゴタゴタしたことがあります。
何でも誕生日になるとお友達を家に呼んでワイワイがやがや親も子も遊ぶのだとか。そんなもん知らんわ、ということだったかと思います。
その反動か、子供達はその子供や私たちの誕生日などにいろいろなものをプレゼントします。
もう我々が育った「貧しい日本」へ誰も回帰しようとは思わないのでしょうね。でも100兆円に達しようかという大借金予算。そのほとんどはこの贅沢な「豊かな」日本を支えるためだともいいます。きっと一度手に入れた「豊かさ」は手放せないのでしょうね。
国家権力を握ったその権力者が靖国参拝にこだわるのは「進んで国のために死になさい」と国民に言うがための権力装置を手放したくないのでしょうね。過去の戦没者に哀悼を捧げることが未来へ向かって国民を戦争へ動員できる担保になっているはず。このことが明らかなのに、この国の国民の多くがこの総理を支持しているのであります。
「国民の生殺与奪の権を握る。」どうやらこのことが権力の核心だと思っているようですな。だからリスクを冒してでも参拝にこだわる。そして多くの国民は身を捧げるというわけですかなぁ。(やれやれ、おぞましいこと)
かって中曽根が「英霊として祭られることがなければ、誰が進んで国のために死ぬだろうか。」と臆面もなく言ったのではなかったですかね。このあたりがやはり権力を握ったものの本音なんでしょうね。