大阪のうめだ阪急では今日から「金沢・加賀・能登展」が始まります。
こんな時期なので多くのお客様がくるとよいです。
中には出店予定だったのに出ることができなくなったお店もあるようですね。
きはだやも全国の百貨店で催事にでるのですが、こうした地元の災害と催事が重なることがないわけではありません。
2004年10月23日、その日僕は別の用事で東京にいたのですが、中越地震の時はちょうど三越広島店で新潟物産展の最中でした。会期が終盤に入った土曜日でした。夕方に地震が起きて閉店に近い時間にそのニュースが報じられたそうです。
そのすぐ後に当時の広島店長さんが催事場にきて、「地震の被害が心配な人はお店の側で荷物を片付けるので売り場をそのままにしてもよいのですぐに地元に戻る準備をしても構わない」と話したそうです。
百貨店はお客様第一的な感覚がとても強く20年前はまだ、何があっても売り場を空けるのは御法度みたいな時代でしたので、そのような業者を優先した判断をしていただいたのが大変に嬉しかったです。それでも誰も売り場を空けて帰る人はなく最終日まで皆、販売を続けたそうです。
僕の京都での丁稚先のご子息が当時きはだやに勤めてくれていて、きはだやからは彼が広島に行っていたので、それほど大きな不安もなく最終日まで勤めて帰ってきました。
こんなことが起きるとよく三越広島店のことを思い出します。
こんな時期なので多くのお客様がくるとよいです。
中には出店予定だったのに出ることができなくなったお店もあるようですね。
きはだやも全国の百貨店で催事にでるのですが、こうした地元の災害と催事が重なることがないわけではありません。
2004年10月23日、その日僕は別の用事で東京にいたのですが、中越地震の時はちょうど三越広島店で新潟物産展の最中でした。会期が終盤に入った土曜日でした。夕方に地震が起きて閉店に近い時間にそのニュースが報じられたそうです。
そのすぐ後に当時の広島店長さんが催事場にきて、「地震の被害が心配な人はお店の側で荷物を片付けるので売り場をそのままにしてもよいのですぐに地元に戻る準備をしても構わない」と話したそうです。
百貨店はお客様第一的な感覚がとても強く20年前はまだ、何があっても売り場を空けるのは御法度みたいな時代でしたので、そのような業者を優先した判断をしていただいたのが大変に嬉しかったです。それでも誰も売り場を空けて帰る人はなく最終日まで皆、販売を続けたそうです。
僕の京都での丁稚先のご子息が当時きはだやに勤めてくれていて、きはだやからは彼が広島に行っていたので、それほど大きな不安もなく最終日まで勤めて帰ってきました。
こんなことが起きるとよく三越広島店のことを思い出します。