染織工房きはだや 「店主の独り言」

きはだや店主が今日の出来事を語る。喚く。話す。切る。
でも日記は苦手。
皆様の気軽なコメントをお待ちしています。

宮坂先生のこと その2

2025年01月18日 | 店主の一日
展示品は織機、壁一面の先生が作られた織物の見本裂、設計図、完成品、著作と並んでいます。いずれも先生の仕事の片鱗を見ることができます。



しかし思うに宮坂先生の業績は岡谷のモノづくりの継続、発展を期待して作った「岡谷絹工房」にその集大成を見る事ができます。
展示会場を見に行った日には、自分で若しくはご友人が織ったと思われる帯や生地を使ったバックを持った方が大勢観覧にこられていました。おそらく岡谷絹工房に関連したみなさんなのでしょう。
岡谷に根付いた蚕糸、製織を続ける行動、あるいは指導に向かわれていた全国の織物産地に先生の遺伝子があるように思います。
当時岡谷では夏に「製糸夏季大学」という口座が開かれ、そこに参加する日に、少し早く岡谷に行って宮坂先生に教えを乞うのでした。
先生の自宅に隣接して工房があり、何度か覗かせていただきました。
織機等は今、各産地で使われているものに比べるとローテクなもので、動力は殆どついていません。
現在はシャトルのある織機ですら珍しくなり、複雑な綜絖の制御はコンピュータです。
いずれも宮坂先生が手で行っていたものをより早く作れるようにしたものなのです。残念ながら僕はそうした複雑な組織の織物を理解しませんが、組織というのはそう変わっていないのかもしれません。

宮坂教室について書くとお恥ずかしい事も含めて100年くらいかかるかもしれないので、また岡谷、諏訪を訪れた機会に。

つづく
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宮坂先生のこと その1

2025年01月18日 | 店主の一日
「宮坂博文の世界展」に行ってきました。

先生が亡くなられてから既に12年がになるのですね。
きはだやは織物の基本を宮坂先生から教わりました。
「織物と言うのは配色や組織だけでは駄目なのです。素材が持つ性質と用途、機能が満たされていないとならないのです」先生はおっしゃいました。
青倉織の帯や野蚕糸を使ったマフラーはその素材、撚糸、組織のノウハウを全て受け継いで作っているものです。

これらは今までに撚糸の時や設計時に糸を変えた事がありますが、同じように見えても、やはり機能として優れないのです。そうした意味で、宮坂先生から引き継いだ織物は「完成」されていると言えるでしょう。
困った時には宮坂先生の考えに立ち戻ってみるのがよいのです。
テキスタイルデザイナーの先駆けとして、辞書、辞典の編纂、各織物産地の指導と織物の世界の巨人と言ってよいでしょう。
インターネットが発達する前に亡くなられたので、ネットの記事も先生の業績から比べるとごく僅かものしかないのは残念です。

続く
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