iRONNA 【鈴木宗男特別寄稿】
安倍総理、現実的解決は「2島+α」しかない
鈴木宗男(新党大地代表)
北方領土問題について現実的解決を目指す安倍総理の対ロ外交は賢明なやり方だ。外交には相手があり日本100点、ロシア0点、逆にロシア100点、日本0点もない。国境画定、領土問題解決はトップリーダーの判断しかない。安倍総理の支持率は60%、一方プーチン大統領は80%を超えている。この強いリーダーの下でしか北方領土問題は解決できない。
戦後の国際社会の枠組みは戦勝国(連合国)、敗戦国(枢軸国)とで区別され、今日に至っている。国連憲章でもいまだ、日本は敵国条項に入っている。1951年にサンフランシスコ講和条約で吉田茂全権は全千島を放棄している。国後島・択捉島は南千島である。この事実を国民はどれほど知っているのだろうか。
1956年の日ソ共同宣言で平和条約締結の後、歯舞群島・色丹島についてはソ連の善意で日本に引き渡すとなっていたが、1960年に日米安保条約が改訂されるとソ連側は、外国軍隊が駐留する国には領土は引き渡さない。1956年宣言も反古(ほご)にすると言ってきた。領土問題はなしとなったのである。そこで日本は四島一括返還、その上即時と強く主張した。
しかし1991年、共産主義ソ連が崩壊し、ロシア連邦共和国が誕生しエリツィン大統領が登場した。エリツィン大統領は「戦勝国、敗戦国の枠組みにとらわれず法と正義に基づいて話し合いで解決しよう」と述べ、日本政府もロシアの変化、柔軟性にかんがみ「四島の帰属の問題を解決して平和条約」と方針転換した。この事実を国民に周知徹底しなかったがゆえに今でも「四島一括」と言う言葉が一人歩きし、北方領土問題解決の足かせになって来た。
外交は積み重ねであり、信頼醸成が一番である。原理原則を一億回唱えても問題解決には繋がらない。歴史の事実、流れを正確に把握し、現実的解決しか方法はない。現在、北方四島はロシアが実効支配し、当然主権もロシアにある。これはアメリカ・イギリスがヤルタ協定以後認めた戦後の国際的諸手続きによってなされてきた。戦争で取られた領土は戦争で取り返すのがこれまでの歴史である。それを一滴の血も流さずに話し合いで平和的に解決しようと努力している安倍総理の外交は世界の手本であり、歴史に残ることだと確信している。
プーチン大統領は、1956年宣言は日本の国会も批准し、現在のロシアの国会にあたる当時の最高会議も批准している法的拘束力のあるものだと認めている。この1956年宣言をスタート台にして北方領土問題を解決するしかない。今回の首脳会談で1956年宣言に基づき、2島返還への具体的協議に入ることで合意できれば満点、大成功だと考えるが、そこまで行くことができるかどうかがまさにポイントではないか。
私は「2+α」が現実的解決に繋がる唯一の方法だと考えている。ロシアも良かった、日本も良かったという形にすることで平和条約の締結に繋がる。
プーチン大統領も安倍首相も日本とロシアの間に平和条約がないのは異常なことだと言っている。3日の日露外相会談後の共同記者会見でラブロフ外相は1956年の日ソ共同宣言に関連し「その第一歩は平和条約の締結だ」と述べている。この発言は2島を日本に引き渡すというシグナル、メッセージと受け止めてよいのではないか。
その実現のためには経済協力、北方四島での共同経済活動、自由往来、海の活用等、さまざまなことが考えられる。経済協力についてよく「食い逃げ論」が言われるが、経済協力は国民の税金を使うのではなく、民間が出て行く話である。民間企業は将来性、採算性を十分考えて判断する。
この経済協力について何かしら国がお金を出すように受け止める向きもあるが正しくない。日本の一番のウィークポイントはエネルギー資源のないことである。ロシアは石油、ガスの世界トップレベルのエネルギー資源大国である。これを供給してもらう事だけでも日本のエネルギーの安定供給に繋がり、経済協力することは重要である。北方四島での共同経済活動は経済協力と全く別物である。
元島民の皆さんは「1島でも2島でも還していただけるものは還してほしい。あとは自由に行けるようにしてほしい。国後島周辺の海を使わせてほしい」という思いである。
誰よりも元島民とこれまで向き合ってきた私である。この元島民は平均年齢81.3歳になる。人道的見地からも叶えてあげなくてはいけないのである。
安倍総理も「北方領土問題は何よりも元島民の理解、思いをしっかり受け止めて解決に向けて努力したい」と言っている。安倍総理は乾坤一擲(けんこんいってき)の首脳会談をして、必ず道筋を付けて下さると確信している。
平成3年4月、ゴルバチョフ大統領が来日した際、議長公邸での歓迎式典に安倍晋太郎先生が車椅子で来られた。ゴルバチョフ大統領が歩み寄るとすっくと立ち上がり、正対で握手をされた。大変痩せておられ、お身体が心配されたが、側でしっかりと支えておられたのが当時秘書をなされていた現安倍総理である。その一カ月後に安倍晋太郎先生は亡くなられた。当時、外務政務次官としてその場にいた者として今も鮮明に想い出される光景であり、政治家としての情熱、責任感、魂を知らしめてくれた尊いお姿であった。
その父上、安倍晋太郎先生の思いも持って首脳会談に臨む安倍総理に天国からの晋太郎先生の力強い支えもあるものと信じてやまない。