旅、思いで思い出し           何も知らずに旅にでた!

昔ズート昔、旅をした。何も知らない私が、若かった,若いだけだった!
半世紀前の事....

446 一笑涯 (毎週土曜日 更改)

2015-12-19 05:23:38 | 思い出日記
 ラテンの雰囲気を持って、明るく、しかし彼女は仕事はドンと大きな胸で、任しときなさいとの雰囲気を持ったメキシコで育った日本人でした。そんな人が成田空港で初めて私と仕事をした若い先輩でした。
 お客様に対しての応対は抜群で、私にすれば見習うべき丁寧過ぎるとも言える日本語で、つまりメキシコでの日本語教育、彼女の家庭での生活の良さが出ていたに違いありませんでした。
 
 大阪で営業一筋であった私が、初めて配置されたのは手荷物課でした。ここに来るまで手荷物係とは簡単な仕事と思っていました。海外から疲れて帰って来た人の手荷物が無事にお客様に手渡しできるか確認して無事に渡って終わりと思っていました。しかし成田で旅行を終える人ばかりででばかりでは無く、多くの人が第3国の国際線に、勿論国内線にも乗り継ぎ、そしてロストバッグもあり大変でした。そこで、どうにか無事に過ごせたのは、彼女達のお陰です。
 10時間以上の国際線なのに10分遅れで次の便が厳しくなる人がいるのに、30分、それ以上になれば代替え便まで用意しなければいけないのに、営業にいた私は、そんな事は考えた事が無かったです。

 月曜日14日に「こんにちわ、Kさんの件は聞いていますか?」メールを受けた時、彼女の結婚話と思い、軽く「聞いていません」。それから返事が無くて何か悪い予感がして、返事を催促しました。
 思いもよらない知らせが来ました。聞いた事の無い病気「平滑筋肉腫」が転移して手術ができなくて、彼女は11月11日に亡くなったと言うものでした。

 人間ドックにも行き、健康優良児と思える身体、大笑いして「私が死んだ!冗談、冗談、冗談きついですよ」と言うはずです。そう言って欲しいです。未だに信じていません。これを書いていて堪らず涙が出てきます。酒々井で二人してコーヒーを飲みながら話をした事を忘れられないです。私と違い、老後の家も二軒の買っていました。
フェスブックで友達なのに、今日確認すると断りも無く名前だけあって「このアカウントは停止されています」。本人が辛い闘病生活の間に消したと思います。それにしても若すぎます。ここで合掌で終るには未だ気持ちの整理ができていません。人間いつかは死ぬと理解しているつもりですが、死とはまだ良く分かっていないのです。

  大阪に帰る時に成田空港のスタッフ個々に写真を撮ってもらいました。二ショット、彼女が面白い変顔の写真、それを毎日見られるようにリビングに飾ってあります。みんながコメントを書いてくれたのですが、改めてMs.Kのを読むと「もっと早く北清水さんにダイエット方法を学んでおけばよかった....長生きするためにもやせます。元気で元気で元気で KK」

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