« La mystique » をどう訳すかで困っている。これを「神秘主義」と訳してしまっては、 « mysticisme » との区別がつかない。ところが、フレデリック・ネフは両者を区別している。前者がそれ固有の領域をもった経験とそれに基づく認識を指しているのに対して、後者はいわゆる神秘的経験を特権化する特定の主義を意味している。したがって、この文脈では、両者はむしろ互いに反意語の関係にあると見なさなくてはならない。
「神秘神学」と訳すこともできない。なぜなら、ネフは « la mystique » と « la théologie mystique » とをやはり区別しているからだ。後者は、主にキリスト教神学の一つの系譜を指しており、それに固有の言説の体系を意味する。 前者は、それ固有の境位をもった経験であり、その経験はそれ固有の存在論を内含しており、その存在論と不可分な認識論を伴っている。
問題をさらに複雑にしているのは、« la mystique » には複数のタイプがあり、それぞれに異なった存在論を内含していることである。一元論(monisme)、二元論(dualisme)、普遍主義(universalisme)あるいは個別主義(particularisme)などである。したがって、« La mystique » に唯一つの存在論を対応させることはできない。
しかし、このことは、各存在論に相対性を認めることを要請するとしても、それら存在論そのものの相対主義を主張することとは違う。なぜなら、これらの存在論それぞれが絶対者との一義的関係をその根本に置いているからである。