日本では今日ツヴァイクは以前のようには読まれていないようだ。フランスでは近年新たにテーマ別に編集されたエッセイ集や新訳など、かなり点数の出版物が刊行されており、ポッシュ版で入手できる名作も数多い。
『モンテーニュ』はツヴァイクの遺作である。二度目の妻ロッテと一緒に自死する1942年2月直前の数ヶ月に書かれた。仏訳が二つある。
保苅瑞穂の『モンテーニュの書斎 『エセー』を読む』(講談社、2017年)に「ツヴァイクの読んだモンテーニュ」と題された章(第三章)があり、その冒頭に著者が同書の仏訳と偶然出遭った経緯が記されている。そしてこう記している。
「いままでにも『エセー』に関する本で知的な興味を大いに堪能させてくれた本は何冊もあった。しかし、ツヴァイクのように文字どおり命をかけて『エセー』を読んだ人間がいたことを、わたしは不覚にもそれまでまったく知らなかった。読み終えてこころに残ったのは、モンテーニュに関するほかのどんな本も与えてくれなかったずっしりと重い感動であった。」(63頁)
保苅氏が読んだ仏訳はPUFから1982年に出版された旧訳で、2019年に Le Livre de Poche の一冊として新訳が出ている。依拠している原本が違うせいか、同一の原文の訳し方の違いには還元できない異同が両者の間にはいくつか見られる。
どちらの版にしても本文はわずか百頁程度の小著であるが、ツヴァイクがモンテーニュに「兄弟」あるいは「友だち」を見出し、深い慰めと勇気を与えられていることには感動を覚えると同時に、「すべての私の友人たちに別れの挨拶をおくる。彼らは長い夜のあとに夜明けが来るのをふたたび見ることだろう。この私はもう待ちきれなくなったので、彼らより先に行くことにする」という遺書を残して自ら命を断ったことを思い合わせるとき、読後感は重い。ナチス・ドイツが崩壊し、ツヴァイクがあれほど望んでいた夜明けが来るのはそれから三年後のことであった。あと三年待てなかったかと痛ましい思いがする。
この遺書を読んだとき、他方では、セバスチャン・カステリヨンが書き残した次の文章が思い起こされた。
「我々が光明を知ったのち、このような暗闇にふたたび陥らねばならなくなったことを、後世の人々は理解できないだろう。」(渡辺一夫『ヒューマニズム考』141頁)
今また「暗闇」が迫っているかに思えるのは私の視力が衰えてきているからに過ぎないのであろうか。しかし、外に光明を求めるかぎり、仮にそれを見出すことができたとしても、けっして永続はしないことも私には確からしく思われる。