内的自己対話-川の畔のささめごと

日々考えていることをフランスから発信しています。自分の研究生活に関わる話題が多いですが、時に日常生活雑記も含まれます。

今日から「モンテーニュ月間」が始まります ― 乱世を生きた思想家モンテーニュと日本の戦国大名たちがもし対談したら

2023-05-06 20:28:00 | 読游摘録

 先月から拙ブログにおける「モンテーニュ率」(注:「モンテーニュへの言及回数及び『エセー』からの引用頻度をまとめてこう呼ぶ」『ニホンゴナンデモイラハイ辞典』(偽書)より)が突然高まっていることにお気づきになった慧眼なる読者諸賢もいらっしゃるかと拝察いたします。これにはパーソナルな理由がありまして(関係各位はなんのことかおわかりですね)、誠に勝手ながら、令和五年五月は「モンテーニュ月間」とさせていただくことが先程家庭内閣議において満場一致で可決されました(賛成‐一票、反対・棄権‐零票)。
 というわけで、今日から月末まで、「モンテーニュ率」が爆上がりいたします。とはいえ、さすがにモロに扱うわけにもいかない話題もありますので、体裁としては、モンテーニュ関連の書籍紹介というか、それらの書籍のなかで私が個人的に面白いと思った話題をぼちぼち取り上げていきたいと思います。
 今日は、その手始めということで、モンテーニュが生きたフランスの宗教戦争の時代がまさに日本の戦国時代と安土桃山時代に対応することを確認しておきたいと思います。モンテーニュが生まれたのは1533年、没年は1592年です。日本では、武田信玄(1521‐1571)、上杉謙信(1530‐1578)、織田信長(1534‐1582)、豊臣秀吉(1537‐1598)、前田利家(1538‐1599)、徳川家康(1542‐1616)など、名だたる大名、天下人がモンテーニュの同時代人です。
 16世紀半ばから17世紀初めまでは、日本がはじめてヨーロッパと出遭った時代であり、キリスト教の伝播、武器輸入、南蛮貿易にとどまらず、日本とヨーロッパとの関係が文化全般にわたってとても密な時代でした。このことには、ルイス・フロイスをはじめ、来日したイエズス会士たちの記録が証拠として多数残っています(ちなみに、「日本のキリスト教の世紀」というテーマ、学生たちの関心をもっとも引くテーマの一つです)。
 モンテーニュの『エセー』には、「人食い人種について」と題された章(第一巻第三〇/三一章)があり、遥か遠い異国である新大陸での習慣について、当地をその眼で見た人間の証言に基づいた実に公平で透徹した見解を述べている箇所があります。その箇所の一部を関根秀雄訳(国書刊行会、二〇一四年)で引きましょう。

わたしが聞いたところだと、かの民族の間には少しも野蛮なところはないと思う。ただみんな自分の習慣にないことを野蛮と呼ぶだけの話なのだ。本当に我々は、自分の住む国の思想習慣の実際ないし理想のほかには、真理および道理の標準をもっていないようである。あそこにもやはり完全な宗教、完全な政体、完全なもろもろの制度習慣がある。なるほど彼らは野生である。ちょうど我々が、自然が独りで・いつもの歩みの間に・産み出した果実を野生と呼ぶのと同じ意味では。だが本当は、我々が人為によって変更し一般の秩序から除外したものをこそ、野蛮と呼ぶべきだろう。(274頁)

 ここを読むと想像を逞しくしたくなるのです。まさに彼の同時代である戦国時代の日本についてモンテーニュに感想を聞いてみたくなるのです。いや、モンテーニュと信長はじめその他の戦国大名とが対談したらどんなに面白い話になっただろうとワクワクしてしまうのです。ああ、歴史家としての十分な素養と文学者としての豊かな想像力があれば、自分で試みてみたいなあとふと夢見、そして、たちまち、「ないし、そんなの」と、深く嘆息するのでありました。だれか、やってみない?