内的自己対話-川の畔のささめごと

日々考えていることをフランスから発信しています。自分の研究生活に関わる話題が多いですが、時に日常生活雑記も含まれます。

「ここに一人の「きみ」がいる。そのなかに私の「わたし」が映っている」― ツヴァイク『モンテーニュ』より

2023-05-08 18:35:30 | 読游摘録

 昨日の記事で話題にしたツヴァイクの『モンテーニュ』の第一章の終わりのほうに出てくる美しい文章を是非書き留めておきたい。

ここに一人の「きみ」がいる。そのなかに私の「わたし」が映っている。ここでは、時代と時代を隔てている距離が消え失せている。私が手にしているのは本ではない。文学でも、哲学でもなくて、私がその人の兄弟である一人の人間なのだ。私に忠告し、私を慰める人間、私が理解し、私を理解してくれる人間なのだ。私が『エセー』を手にとると、印刷された紙は部屋の淡い闇のなかに消えてゆく。だれかが息をしている。だれかが私のなかで生きている。見知らぬ人が私のところにやって来たのだ。すると、その人はもう見知らぬ人ではなく、友達のように身近に感じるだれかなのだ。四百年の年月が煙となって飛び去っていた。

(保苅瑞穂『モンテーニュの書斎 『エセー』を読む』、85‐86頁)

 保苅氏が訳したのは以下のPUF版仏訳からである。

Ici est un Toi, dans lequel mon Moi se reflète, ici est abolie la distance qui sépare une époque de l’autre. Ce n’est pas un livre que tiens dans ma main, ce n’est pas de la littérature, de la philosophie, mais c’est un homme dont je suis le frère, un homme qui me conseille, qui me console ; un homme que je comprends et qui me comprend. Lorsque je prends un main les Essais, le papier imprimé disparaît dans la pénombre de la pièce. Quelqu’un respire, quelqu’un vit en moi, un étranger est venu à moi, et ce n’est plus un étranger, mais quelqu’un que je sens aussi proche qu’un ami. Quatre cents années se sont envolées en fumée.

 Le livre de Poche 版の新訳も掲げておく。

Ici, il y a un « tu » dans lequel mon « je » se reflète ; ici, la distance qui sépare les époques se trouve abolie. Je ne suis pas avec un livre, je ne suis pas avec de la littérature, de la philosophie, mais avec un homme dont je suis le frère, un homme qui me conseille, me réconforte, un homme que je comprends et qui me comprend. Quand je prends les Essais, le papier imprimé disparaît dans la pénombre de la pièce. Quelqu’un respire, quelqu’un vit avec moi, un inconnu est venu à moi, qui n’est plus un inconnu mais une personne dont je me sens aussi proche que d’un ami. Quatre cents ans se sont dissipés comme une fumée.

 一冊の本とこのようなかけがえのない出逢いができることはそれだけでこのうえなく幸せなことだ。ツヴァイクは「わが友モンテーニュ」の慰めと励ましの声を『エセー』から聴き取り、「それを魂の砦として、亡命の屈辱に堪え、戦争への深まる絶望のなかで、かろうじて精神の均衡をたもって生きてきた。ただその精神はあまりにも繊細であり、鋭敏でありすぎた。」(保苅上掲書、87頁)
 ツヴァイクは『モンテーニュ』のなかに、「最も自ら欲した死こそ、最も美しい死である」(« La plus volontaire mort, c’est la plus belle. »)という『エセー』第二巻第三章「ケア島の習慣」にある有名な一句をフランス語のまま引いている。ただし、ツヴァイクは « La plus volontaire mort est la plus belle. » としているので、『エセー』の原文とは若干違う。
 しかし、ツヴァイクはモンテーニュが自殺肯定論者だとは考えていなかった。この引用の少し後に「モンテーニュは途方もなく生を愛している。彼が味わったたった一つの恐怖は死に対する恐怖だった」と記している。モンテーニュ自身、« Mon métier et mon art, c’est vivre. »(「私の仕事と私の技術、それは生きることである。」(保苅瑞穂訳)「わたしの職業わたしの専門は生きることである。」(関根秀雄訳)「わたしの仕事ならびに技術は、生きることだ」(宮下志朗訳))と五十五歳を過ぎてから書いている。
 「しかしツヴァイクには、もはやこの言葉をうけいれて生きつづけるだけの気力は残っていなかった。が、せめて、時を隔ててかけがえのない友となったモンテーニュに、この一行の引用をもって自死の釈明とし、ひそかに永遠の別れの言葉とした。おそらくこれを引用したとき、すでに彼のこころは死の決意を固めていたのであろう。こうしてツヴァイクは、最後のときに臨んで、モンテーニュのこの一行にみずからの人間としての誇りと尊厳を託したのであった。」(保苅前掲書、88‐89頁)