内的自己対話-川の畔のささめごと

日々考えていることをフランスから発信しています。自分の研究生活に関わる話題が多いですが、時に日常生活雑記も含まれます。

愚荷裳津可無記(ぐにもつかなき)― 「人生結局プラマイゼロあるいはイーブンパー」仮説

2023-05-02 21:02:27 | 雑感

 昨日来、知的積載量超過が原因で老生の小さき脳の思考回路がショートしておりまして、まともにものが考えられません。そこで今日はまことに我ながら愚にもつかないと呆れざるを得ないことを書かせていただきます(それでも書いていいのがブログのいいところです。読むも読まないもまったく読み手の自由ですからね)。
 端的かつ率直に申し上げますが、以下の文章(と呼んでもいいとしての話ですが)は、入院加療が必要な酩酊状態の瘋癲老人の聞くも哀れな妄想です。

 個人の人生に生じるすべての善・悪、損・得、幸・不幸が世界共通の統一単位によって数量化でき、その貸借表が随時更新されるようになっていて、誰でもいつでもそれをちょうど銀行の通帳のように確認できるとしよう、諸君。あるいは、ネット上でその貸借表が確認できるということでもかまわん。この貸借表は生誕時に自動的に無料で各個人のために生成される。この貸借表は人生の終わりに必ずプラマイゼロになるようにプログラミングされている。例外は、ない。
 さて、そうなると、各人の行動はどうなるであろうか。
 若いうちは、貸借表なんか知るか、自由に、気ままに、好きなことをするぜ、という生き方をされる人たちも少なくないだろうと想像される。
 人のことはともかく、この八月に前期高齢者の仲間入りをする今現在の自分はどうするだろうか、考えてみた(誰だ! 今、「だめだ、こりゃ、この爺」とボソッと吐き捨てるようにつぶやいたのは!)。
 目覚めも爽やかな五月の朝(でなくてもよいのだが)、夜明けともに貸借表をチェックしてみると、悪・損・不幸が膨れ上がっている。「赤字」だ。「そうだよなぁ、最近つまらん失敗や損失ばっかりだったもんなぁ」と納得する。と同時に、「じゃあ、心配することないな。だって、人生の終わりには、誰でもプラマイゼロ、あるいはイーブンパー、なんやろ。ってことは、このあと何かいいこと、必ずあるってことやないか」と前向きになる。
 他方、ここのところ職場で嫌なことが立て続けにあって、なんか気分がむしゃくしゃしているとき(でなくてもいいのだが)、貸借表をスマホでチェックしてみるとしよう。「えっ、黒字やん。そっかぁ、先週末の彼氏(あるいは彼女、あるいは家族、あるいは気の合う仲間)とのドライブ、楽しかったもんなぁ。あれポイント高かったんやぁ」と納得できる。と同時に、「この後、必ずちょっと嫌なこと来るな。気をつけんと」と心構えができる。

 さて、この瘋癲老人の戯言を聴いて直ちに思い合わされるのは『歎異抄』です。「えっ、なんで?」と思われる向きもありましょう。その心は「悪人正機説」の誤った理解です。
 「どういうこと?」
 「説明いたしましょう」
 悪人のほうが極楽浄土に行きやすいのだったら、積極的に悪事を働いたほうがいいのかっていう愚か者がこれはもう必ず出てくるという話です。言うまでもありませんが、自力に頼んでいる点で彼奴らは誤っています。それと必ずしも同断ではありませんが、「どうせ人生最後はプラマイゼロ(あるいはイーブンパー)なんやから、今悪事のかぎりを尽くし、借金をしこたま抱え、まわりが不幸になるようなことを積み重ねれば、晩年は極楽やでぇ」という、浅薄きわまりない発想も出てくるのは見やすいところです。
 でも、これって、防ぎようないのかなぁ……。

 もうこのへんで与太話、止めておきます(ボトルも一本空いてしまったしね)。
 ただ、ふと、思うのです。もしほんとうに「人生プラマイゼロあるいはイーブンパー」仮説が実証されると、今よりも生きやすい世の中になるのかなって。
 お後がよろしいようで。