昨日の試験の採点を今日一気に終えた。教務課への成績提出期限は六月一日だから慌てることはなかったのだが、後回しにするとそれだけ採点作業のことが気にかかり、気が重くなるばかりなので、できるだけ早く片付けたかった。もともとそれが私の原則だったが、ここ二・三年、守れていなかった。
答案は三十七枚。日本語の作文である。長さは六百字以上、上限なし。六百字に満たない答案が二つあったがそれ以外はこの条件を満たしていた。最長は千三百字余り。問題は、「家族の絆」とは何か。今学期後半、是枝裕和監督の『そして父になる』『海街diary』『万引き家族』などを教材として、ずっと家族の様々な形について考えてきた。その間に学生たちが考えてきたことをまとめてもらうのがその狙いであった。
作文の条件は三つ。第一は、必ず具体例を挙げ、それに基づいて論ずること。抽象的な一般論は不可(大幅減点の対象となる)。例は、現実のものでもフィクションでもよい。第二は、比較文化的視点を導入すること。第三は、与えられた五つの言葉を必ず少なくとも一回は使うこと。その五つの言葉は「親子」「血縁」「個人」「他人」「社会」である。
誰にとっても無関心ではいられない問題とうこともあり力作が揃った。それらの多くに共通していたのは、家族の絆と親子関係及び血縁関係をはっきりと区別し、家族の絆は血の繋がりなくても成り立つし、血縁関係はむしろそれほど重要なことではないとしていたことだ。
親しい友人のほうが血の繋がりのある肉親兄弟よりも大切だ。幼少期から可愛がってくれた隣家の老婦人を祖母のように思っている。離婚してそれぞれ新たに別の家族をもち子供が生まれてもみんなで一緒に集まることはあるし、それら全体が複合家族であり、そこにも絆はある。お互いに選んだ者同士が家族を形成する「選択家族」もありうる。同性婚の場合、養子とした子供との間には血の繋がりはないが、それが家族の絆を妨げることはない。
これらの意見は彼らが現に生きているフランス社会における家族の在り方を反映している。
他方、日本の家族については、彼らの多くがいまだに非常にステレオタイプで古色蒼然とした見方にとどまっており、現代日本社会がよく見えていないことに驚かされた。日本社会の現実について今日のように情報が入手しやすくなっていても、家族という問題に関しては、日本の現実を積極的には知ろうとせず、「伝統的な」三世代同居家族が日本ではまだ多く、長幼の序が重んじられるとする虚像に囚われている学生が少なからずいたことにはいささか衝撃を受けた。
日本のサブカルチャー、ポップカルチャー、ファッションなどには強い関心を持ち、実際に情報通の学生も少なくないが、日本の現実の社会問題については、「引きこもり」「いじめ」「男女差別」などはよく口頭発表やレポートのテーマとして取り上げられる一方、家族をめぐる現代日本社会の問題には関心が薄いのだ。
期せずして、彼らの日本に対する関心の「偏り」が浮き彫りにされる結果となった。