続けていて虚しくなることはないのかと問われれば、「それはあります」と答えざるを得ない。このブログのことである。こんなこと続けて何になるのだろうか、と。
一つ一つの言葉を大切にしながら書きたいと思って毎日書いている。でも、なんといい加減なのだろうと自ら認めざるを得ない記事も少なからずあった。それでも、言葉遣いには丁寧でありたいと常に思ってはいるのだが。
時間が許すかぎり読み直してから投稿する。それでも、必ずと言っていいほど、誤字脱字、打ち間違い、変換ミス、助詞の間違い、不適切な漢字、慣用句の誤った使用、呼応の不備等があって、後日それに気づいて、正直、自分で自分にゲンナリする。それら及び明らかな事実誤認に気づいた場合、記事内容に変更を及ぼさないかぎりという条件つきで修正している。
自分の目は節穴なのかと吐き捨てたくなるようなミスが見逃されていることも珍しいことではない。そんなとき、お前はその程度の人間なのだという教訓をそこから引き出す以外、私には何もできない。
これは言葉遣いの巧拙という問題ではない。僭越を承知で言わせていただければ、言葉への愛である。日本語への愛は、母への愛に似ている。フランス語への愛は、決して成就しない悲恋に似ている。