kotoba日記                     小久保圭介

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本当に

2009年05月25日 | 文学
You Tubeで宮武希を見つけたので、
「春のような」をレコーダーに録音しました。
それを、自転車での通勤時に聴いていると、
歌詞の中で、「本当に」という副詞が出てきます。
どうにも、この副詞は全詩の中でいらない言葉です。
でも、この「本当に」という言葉が、
誠に必要であるような、
不必要な言葉が必要として活き活きとしている、
こういう現象は、めったに見聞きできません。
歌詞の中の言葉にもあるのですけれど、
「心があふれてくる」、
感極まって、体が心だらけになって、
こぼれてしまう、
そのような状態が、
宮武希の歌や平明な歌詞の中にはあって、
そこから、こぼれる言葉として、
「本当に」という言葉があります。
凡庸な言い方をすれば、
コップの中の水が、
表面張力を越え、
ガラスを伝って、
机にこぼれ落ちる、
「本当に」という言葉が、
あふれる、
そして、流れる、
テーブルに広がって、
テーブルクロスを濡らし、
床に落ちてしまう。
その滴り、
一滴、一滴が、
宮武希の歌を聴いていると、
僕の体に、
点滴のように、
ゆっくり時間を費やして、
確実に、入ってくるように思います。

先日、
ぷらすわん、でのライブを一緒に見に行った、
川口徳久さんは、
宮武希の歌声を、
「お金を出して聞く美しい声だ」
と絶賛してやみません。
声の天性さもあるのだろうけれど、
表現者は、
その思慮、行動が、反映され、
どれだけものを考えているか、
が、
歌詞にも歌にも出ます。
コメント
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