kotoba日記                     小久保圭介

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楢山節考

2021年05月01日 | 文学
今村昌平の『楢山節考』は
何度か見ました。見てしまう。

熊野新宮の作家、
中上健次は生前、
深沢七郎の農場を訪れている。
そこでどんな会話があったのか。
因習と民主主義の隙間から、
現代の高齢化という木が芽吹き、
大木となっている。

それを見るだけでなく、
この手で触る。

老いは当たり前。
88歳の母を身近に感じる時、
感謝しかない。
子供の時してもらっただろうことを、
お返しする。

わたしの体は
わたしが選んだ母からもらって、
栄養食を食べ、
今に至る。

風、
ビル、
色、
痛み、
歌うこと、
考えること、
川、
空、
それは
この肉体があって、
目があって
見ることができる。

皮膚があるから、
痛みがある。
かゆみさえも。

それを尊く思う。

いつだったか、
名古屋の町中を
自転車で走っていたとき、

ビルがある、
風を皮膚が感じている、
車が通る、
思っている脳があって、
この体の
筋肉があって
自転車を漕いでいる、

これは凄いことだ、
体があることって凄いことだ、
と直感し、
見る聞く思うが、
新鮮で、
まるで生まれた子が
まわりを見るような
不思議の連続感覚が
あった。

目覚める、
とは
あの数分の
出来事だったかも
しれない。

そういう視点に立つと、
社会の構造の中で
旧態新態で
あろうと
なかろうと、

一人の魂の持ち主として、
思うこと。

それは
移りゆく
社会構造の
中では、
決して
捕らわれることがない。

世界がどうであろうと、
この体があるという奇蹟。
いずれ
借り物の体は
朽ちる。

そして
また
空に帰ってゆく。

たくさんの経験をして。

母(ぼ)こそ、
源。

そこに
身体的感覚で、
切り込んでくる
日本人の因習文化の源は、
『自然に帰る』。

すごくたくさん、
思わせる作品だ

今でも思います。

深沢七郎の
楢山節考が出た時
三島由紀夫は
のけぞったという


三島が
水鉄砲で
バキューンバキューンと
声を出して遊んでいたら
深沢七郎は
実弾で撃ってきた

そんな感じ。