すごく昔からやっている野外のライブです
大阪でやります
最初は天王寺野外音楽堂でした
1979年
そこで一度
春一番は終わります
高校生だった僕は
長居のユースホステルを使って
デンスケを持って
阪和線に乗って天王寺で降りて
また長居のユースホテルに帰ると
同室の人やあたりの人たちが
かなりたくさん春一番コンサートを楽しんだ人たちでした
僕は充電器を充電したり
カセットテープを用意したり
ユースホステルでも忙しかった
最後の春一番ということでどうしても行きたくてたくさんの最高級のテープを用意して
全ての人たちのライブを録音しました
すでにどこかへ失ってしまいましたけれど
それから何年かして
春一番コンサートがまた始まりました
祝春一番
とコンサートの名前が変わっていました
メインの場所は
服部緑地野外音楽堂です
それから
コロナ禍になって
野外コンサートもできない状態が続き
今年最後のコンサートになります
終春一番コンサートというらしいです
僕の青春は
春一番コンサートでした
出演したメンバーのアルバムをそれぞれたくさん集め
聞いてギターをコピーして歌いました
僕の音楽の中心は春一番コンサートです
だから1979年の最後の春一番はどうしても行きたかった
だから行きました
高田渡が死んで
榊原さんや丹下さんや中島さんと毎年毎年コンサートに行きました
いろんな人が出ていろんな楽しみ方があったビールを飲んでお弁当を食べて踊ったり耳を澄ましたり泣いたり笑ったりして
会場にはたくさんの出演者達がお客さんの一人として見ていることが当たり前のようにあって
そんなコンサートもなかなかないんじゃないかなと思います
有名な人もたくさん出ました
あまり名前を知られてない人もたくさん出ました
のべにしたらどれだけの歌い手やバンドが出たんだろうな
途中から行った人や出演した人たちにはちょっとわからない気持ちがあると思うんだけど
僕にとってはかけがえのないコンサートです
311の時に誰がどんなふうに何を歌うんだろうとか
そんなことも楽しみの一つというか
ウクライナ戦争が去年始まり
今年で最後になる春一番コンサートは
みんなどんな歌をどんな風に歌うんだろう
どんな音をどんな思いで演奏するんだろう
古い友達の演奏家の宮嶋哉行が
ある時こんなふうに言っていました
「どれだけ物を考えているかで出る音が違うんだよね」
いつもいいことを言う友達です
みんなそろそろいい歳になってきて死んじゃう人もいるし
色々ある人もいるし
そんな中で出演者や観客は
嫌でもたくさんのことを思って考えて暮らしてきました
僕たちの人生はずいぶん終わりに近くなってきていますけど
今年のゴールデンウィーク
服部緑地公園野外音楽堂で
たくさんの人が考えて演奏をして歌って
たくさんの人が聞いて考えて思って
笑って
楽しんで
深く考えてさらに考えて
涙を流すこともなく
青い空が
服部緑地公園の上に
あると思うと
今から楽しみです
日本のフォークシンガーたちは
とりわけ春一番コンサートに出演するフォークシンガーたちは
ひどく文学的な人たちも多い
そうでない人も多い
僕は中学生の時から
春一番コンサートに出演しているたくさんのフォークシンガーが現代詩を歌っていたりその流れであったりする歌詞を聞いていた
それに気がついたのはずっと後のことです
どうしようもなく
僕は中学生の時から文学
の啓蒙を歌から受けた
春一番の主義というか
大切なことは
反戦反核反差別です
これは最初から変わりません
だから僕は今ここにいる
肝がすわった
春一番コンサートは
例えば夏に行われる
たくさんのフェスといわれる大規模なコンサートとはちょっと違う
音楽を通じて歌を通じて
強い思いがある
それは反戦反核反差別です
そんな社会性とは全く関係ないような感じで
坂田明がすごいサックスを吹いたり
死んだ男が残したものは
なんていう曲を坂田明が歌ったり
もう何でもある
何でもありのコンサートです
だからいい
色んな人が色んな感じで自由に
聞いて歌って踊って声を上げて
音量制限のモニターが真っ赤に点灯点滅していて振り切っていても
福岡風太さんは
やる
出演者や関係者やお客さんの中には年に一度の同窓会みたいなもんだ
と言う人が何人かいるだろうけれど
僕は同窓会だなんて一度も思ったことがなく
そういう立場の見聞者もいるわけです
僕は
歌を
音楽を
聞きに行くだけ
それしかない
初めて服部緑地公園野外音楽堂に来た宮島美栄さんは言いました
「すごいねー、車椅子の人なんかをみんなが普通に手伝ってるしさニューヨークみたいでさ、どっかの普通の大阪のおっさんみたいな人がステージに出てきてギター弾いてさあそれがめちゃうまだったりしてさー」
春一番コンサートのレコード CD はたくさん出ていますけど現場に行くと本当に面白い
他のコンサートでは見られないような景がいっぱいある
例えばすごく聞きたい出演者のステージが開演と共に始まり僕はまだ長い行列の中にいるのに音だけが聞こえてきた
あれは今でも忘れられないんだけど長田タコヤキ和承がすでに客席の真ん前に組んだ小さなやぐらのステージで
演奏を始めていて驚いたというか参った
つまりコンサートが開演と共に始まるのですめちゃくちゃです
そんな景
岡本さんといういつも酔っ払ったおじさんがいてそれは1979年の時に初めて見ていつもステージの近くにうろうろしてステージに上がったこともあったし名物男っていう感じでした
それからまた違う奇妙な人もいっぱいいて例えば1979年の僕が高校生の時
通路のところで男性に急に腕を握られて
彼は言いました
「にいちゃん人間の体はこんなに柔らかいねんゴムみたいに柔らかいねんそれを叩いたりなんかしたらあかんねん」
その人の主文はもっと長かったんですけどあまりにも驚いてその人の顔を見ているだけでした何かを訴えかけようとして必死だった
大阪の面白さっていうのはなんだろう僕は本当に大阪が好きなんだけどダメな人はダメかもしれないね今でも東京出身の同僚が大阪は怖い大阪弁が怖いって言うんだけど僕はそれが分からない
楽しい景がたくさんある
現場に行った人にしか分からない面白さです
今年が最後です
本当に最後です
だからみんな遠くからでも行くといいと思うな
僕はそう思う
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