一部の人を除いて、このブログのことを知人関係に話していない。話しをすることで、ややこしいことになったり、面倒なことになったりするから。
だが、どこをどう調べたのか、このブログに時々登場する N刊自のH部さんが、このブログの存在を知っていた。もっとも、H部さんから教わった酒場の記事を書いていれば、いつかはバレるだろうとも思っていたのだが。
この「PUB こだま」もH部さんに連れてきてもらったお店である。
「新橋の歴史がそこにあります」と言われて。
伝説らしい。
「PUB こだま」のママさん。この当時で御年89歳。現在は90歳になっているはずである。
創業昭和22年。まさに戦後の新橋を知る数少ない生き証人である。このあたりは「東京スナックのみある記」に詳述されている。
新橋のガード下。
烏森口から南のガード下は、時代が少し逆行する。つい最近まで、このガード下にはポルノ映画館があった。そして、「こだま」である。
「昭和」というキーワードを軽々しく口にしたくない。ただ古臭く、洗練されていないものを「昭和」と呼ぶのは、簡単だ。けれども昭和63年と余日の歴史を紋切り型の言葉で片づけてしまっていいほど、浅はかなものではない。ましてや、この戦後70余年の歴史を持つパブを「昭和」の一言で括っていいわけがない。
とはいえ、ガード下の入口から階段を上がり、重厚なドアを開いて、店に入ると、そのノスタルジックな雰囲気に思わず、アッと息を飲んだ。
高架のアーチ状の天井は恐らく昔のままだろう。長いテーブルがカウンター。そして、いくつかのソファ。
ボクらはそのソファに通され、腰かけた。
その後、ボクの記憶は途切れ途切れになる。
お母さんほどの女性が隣に座って、H部さんは仕切りに話をしている。
女性は優しく笑みを湛えながら、頷いて聞いている。
その姿勢にボクはある種の感動を覚えた。
女性の顔が慈愛に満ちていたから。
ウィスキーの水割りを何杯か飲んだと思う。
その後、ボクはカラオケまで歌ってしまった。
歌った曲は十八番「みちのく一人旅ではない」。
安らぎの空間。
そんな言葉がぴったりだ。
キャバ嬢の機嫌ばかりとるような昨今のウォータービジネス。
けれども、憩いを提供できる店こそが本当の酒場だろう。
70余年もの歴史の時間と安らぎが静かに時を刻んでいる。
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