
習志野で仕事を終え、武蔵野線で西船橋に出た。
時刻は16時。
立ち飲み「ばんちょう」はまだ開いていないだろう。
場所を確認したくて歩いていると、見知らぬ立ち飲みを見つけた。
「立 八四伍郎」。
「たちはしごろう」と読むらしい。
しかも、すでに開店しているじゃないか。
念のため、「ばんちょう」を見に行ってみたが、まだ開店していない。
「立 八四伍郎」という店に行ってみようか。
10坪ほどの小さな店である。
黒木の故意に古風に見える材料で店をこしらえている。壁側に立ち飲みカウンターをしつらえ、店内中央にアイランドのテーブルを設けている。
ボクは壁側のカウンターに陣取った。
女性のアルバイトと思しき女性がオーダーを取りに来た。
「生ビール」。
スーパードライが400円。
カウンターには升が置いてある。どうやらキャッシュオンデリらしい。
壁に貼られた短冊メニューを眺めていると、ここはどうやら串焼きの店であることが分かる。
まずは「ポテトサラダ」(150円)から。
値段は安いが果たしてどうか。
やはりというべきか、業務用の「ポテサラ」が現れた。
ボクのテンションは一気に下がった。
自分が立ち飲みを始めるとしたら、どういう店作りを目指そうかと考える時がある。
まず、人は使わずに、自分一人で店を回せる規模にしようと考えるだろう。
そうすると、10坪の店は広すぎる。
店を回すことに執心するか、それともできることを確実に行う店にするか。そのスタンスで店のありようも変わるだろう。
もっといえば、1次会の店なのか、それとも0次会か3次回の店にするかで、店の方向性は自ずと変わってくる。
店を回すことだけにとらわれると、酒肴はおろそかになる。このおろそかをユーザーは敏感にかぎ分ける。
ここがリピートに繋げられるかの分水嶺だ。
業務用のポテサラを見て、ボクはがっかりした。
ボクは「ここでお金を落としたくない」。
そう思った。
郊外にある立ち飲みの多くは都内の店の模倣だ。
そこにはイマジネーションがない。
店の奥で串焼きを焼く店主と思われる人物を見た。恐らく、どこかの店で修業を積んできたのだろう。比較的、まだ若い店主だった。
いざ、お店をやるとなったら、そううまくはいかないのだろう。構想していた理想と現実は違う。
けれども、お客を喜ばせたいと思うのなら、そのやり方は様々あるはずだ。
店は客が作り上げるというのがボクの持論である。
また、客は店の独特のリズムの中で酔わせてもらう。
この2つの要素がエンジンになって、店は活況を呈する。
だが、この店にはリズムがない。アルバイト店員のだらだらした接客と奥に引っ込んだ店主の希薄なコミュニケーションでは、そんなリズムも生まれるべくもない。だから、客も店を作り上げるまでには至らない。
生ビール400円。
ホッピーセット450円
「持つ煮込み」350円。
その価格設定にも店主のがめつさを感じてしまう。
たった10円、30円の差で、それを感じてしまうのだから、立ち飲みとは恐ろしい。
いや、もしかすると、お酒の仕切りが高いのかもしれない。材料の仕入れに問題があるのかもしれない。
どちらにしても、これは立ち飲みとして致命的な問題である。
生意気なことばかり言って申し訳ないが、これがボクのがっかりした印象である。
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