7月3日(日) きたみcoffeeのエチオピアモカ/明治堂のイカスミのバタール
おはようございます。
昨日は小学校の学校公開日。子どもらの授業の様子を見ることができます。
長女。
ボクが授業を見ていることは分かっているようで、意識しているようです。
子どもらの発表の場面では、手を挙げようとしているのですが、なかなか手を挙げられません。
父親が見ているためにプレッシャーを感じているのでしょう。
教室から出ていくか、それともしっかり見届けるか。ボクは悩みました。
「乗り越える」ことが必要なのだろうと思いました。
それは、子どももそうですが、ボク自身もです。
長男。
発表する気概を感じません。それどころか、授業に参加していない姿勢すら感じます。
発表すればそれでいいかという訳では全くありません。その是非はともかくとして、少なくとも、クラスというコミュニティに対して、働きかけや支援、もっと踏み込めば、貢献できているかという問題は考えなければいけないと思うのです。
長女と長男の姿は約35年前のボクでした。
嫌で嫌で仕方のなかった親の参観。
帰宅後、「何故、手を挙げないのか」という親に沈黙したあの日。同じことはしまいと思いながら、昨夜は長男に同じことを言ってしまいました。
昨夜、明治堂に行くと、見慣れないバタールがあり、つい買ってしまいました。
イカスミのバタールです。
ほんのり、味がついており、おいしいです。
どんな味かは表現が難しいです。コクのある塩分という感じでしょうか。
俺も子供の時は手を上げなかった。それはこれこれこういう理由だったんだけど、自分はどうしてあげなかったの?
と言った聞き方なら、随分答えるのが楽になんじゃないかなあ。
ちなみに、ひねくれものの俺は「答えさえ分かってたら、手なんか上げんでもええやんけ。嫌がらせで当ててきても答えられるし・・・。」と、大変ひねくれた考え方を持ってたよ。
まあ、参観日の時は多分おかんに突っ込まれるのが嫌だという理由で手を挙げてただろうけどね。
ひねくりまくりだな、当時から。(苦笑)
もちろん、こういう風に聞いたんだ。
手を挙げないことを責めているのではなく、授業に参加していないことが問題視しているんだよ。
師のようにひねくれていようが、明確な意図を持って手を挙げなければそれはそれでいいんだよ。
でも、子供って、意外にそんなんかもしれないよ。特に意図があってそうしたとかじゃなく、なんとなくそうだったから、聞かれても理由とか話せないとかいうこともあるんじゃないかなあ。
俺のひねくれも、ガキの当時は自分でそう明確に自覚してやってたわけじゃないからねえ。