動き出す列車の車窓から、ボブネッシュの姿が一瞬で見えなくなった。図体の大きな鈍重な列車は少しずつ加速をしたかと思うと、ニューデリーのプラットホームを一瞬で駆け抜けた。
インドに着いて4日目、わたしはニューデリーを離れたのだった。
3等の寝台列車には多くの人が座っていた。3人がけの座席に4人5人と。
わたしはその中を割って入り、肩をすぼめて座った。向かいに座っているおじさんやおばさん、そして子どもらは、穴があくほどわたしの顔を凝視している。日本人が珍しいのだろうか。
寝台列車は3段ベッドである。だが、日中は真ん中のベッドが畳まれ、下段と上段だけがセットされる。下段は座席に、上段は荷物置き場として利用される。
22時を過ぎた寝台列車は、まだ中段のベッドがセットされておらず、人々は思い思いに下段の座席でくつろいでいた。
列車はどうやら、鈍行列車のようだった。
10分おき毎に駅へ着いては、停車と発車を繰り返す。そのたびに、ヒンドゥ語による車内放送が流れるのだが、何をいっているのか、ボクにはちっとも分からなかった。ましてや、駅のプラットホームにある駅の看板はヒンドゥ語しか表記されていない。わたしは停車駅を全く理解できなかった。
これはまずいことになった。
この様子では、マトゥラーに着いても全く分からないじゃないか。
わたしは不安になり、隣りに座るおじさんに話しかけた。
「マトゥラーに着いたら教えてくれませんか?」
だが、白髪が少し目立つおじさんは、首をふるばかり。わたしの英語が悪いのか、そもそも英語が理解できないのか、彼は笑顔を作って首をふった。
10分おきに止まる駅は、ニューデリーから離れる毎に寂しくなっていく。それに合わせるかのように、列車の車内も寂しくなっていった。
車内のインド人らは、寝台車のベッドを作り、それぞれの布団の中に潜りこんでいった。だが、我々 が座るブロックはなかなか中段のベッドメイクをしない。
いつしか、周囲が寝静まり車内が消灯しても、彼はわたしと一生に車窓を見続けた。
彼は、中段の席だったが、ベッドを作らず、わたしを見守ってくれているようだった。
「眠いでしょ?」と彼に水を向けたが、彼はまたしても首をふった。
車内のあちこちからは、寝息とも鼾ともつかない音があちこちから聞こえ、窓の外は深い暗闇に包まれると、時刻はすでに2時を回っていることに気がつき、そろそろ、マトゥラー到着の時刻だと、わたしは身を硬くした。
駅に着く度に、わたしは車窓の鉄格子に額をつけ、駅の様子をうかがいながら、マトゥラーの手がかりを探った。
「ここがマトゥラーか?」と。
時刻は2時半を過ぎた頃、白髪のおじさんは「ネクスト、ネクスト」といい始めた。
どうやら、次がマトゥラーらしい。
なんだ、このおじさんはわたしの言うことを理解していたんだ。
そうして、列車が駅に着くと、「ヒア、ヒア」と言って、わたしの降車を促した。
「サンクス」。
わたしは、それを言うのがやっとだった。
そして、ホームから、彼が顔を出す窓におもいきり手をふった。
真夜中の2時40分、ようやくわたしはマトゥラーに着いた。
その駅に降りたのは、わたし一人だけだった。
この人もほんといい人だ。とてもいいおじさんだ。
言葉少なでいながら、真面目に旅人のことを思い、面倒を見る。言葉は通じなくても、多くを語らなくても、その人の心と、そして師との心の触れ合いが見えてくるようなエピソードだね。
さて、師、一人しかおりなかったマトゥラーという場所。一体どんなことがあったんだろう、師よ。
しかし、マトゥラー行きは、本当に不安だったなぁ。
海外では、多くの人びとに支えてもらったけど、自分は今、海外からの人に対して、なにも出来てないって思うよ。
これについては、いろいろ考えることがあるんだけど、なかなかやれなくて。
近々、ちょっとスタートしてみようと思う。
恩返しのようなものをね。