マラッカから乗ったバスは3時間もするとスモッグで視界が少しずつ悪くなっていった。どうやらバスはクアラルンプールに入ったようだ。
KLことクアラルンプールに行くのは気がひけた。
大都会は心を寂寞とさせるからである。
喧騒が多くなるにつれ、人は孤独感を増していく。とりわけ、わたしはその傾向が強いような気がする。
恋人たちが手をつなぎすれ違う様子を振り返ったクリスマスの香港。
サイアムスクエアの喧騒にもまれながら、わたしは居場所すら見つけられなかったバンコク。
街の灯りが賑やかな中で、闇がより一層濃くなる街を延々とさまよったシンガポール。
そうなのだ。
街が華やかになるほど、煌びやかな光に包まれるほど、その影は、より一層濃さを増していく。その闇の中にいったいどれだけの人々の心が行き場を失い、さまよっているのだろうか。
そんな生易しいものではないはずだ。
光があたるのはほんの一部であり、多くは闇の中にあるのではないか。
だから、せめて光の中に身を投じようと多くの人が都会を目指していく。
KLの街は、上海よりもスモッグがひどかった。
高層のバスターミナルにバスが到着し、わたしは静かにバスを降りた。ターミナルの雑居ビルに安宿があるという。
早速、そこを目指し、扉を開けると大きな失望感に見舞われた。
ロビーのようなスペースには日本人ばかりが、日本の漫画を読みあさる姿があったからだ。
わたしはすぐさま、そこを離れようと思った。
だが、念のためドミトリーがあることくらいは確認した方がいいと思い、フロントに向かうと、意外なことに大部屋があり、しかもベッドは空いているという。それも一泊3リンギットという安さだった。
これはこれでついているかもしれない。
そう思い、わたしは一転して、この日本人だらけの宿に泊まることにした。
ベッドは木のベッドで比較的清潔だった。
部屋には若い日本人がゴロゴロしており、いやな雰囲気だったが、わたしはザックを置いて、すぐさま外に出た。
さて、どこに行こうか。
わたしは、いつもするようにデタラメに街を歩き始めたのである。
運命の糸を頼りに、何かにぶつかれば、それはそこにわたしの求めるものがあったはずなのである。たとえ何かにぶつかったとしても、わたしが気がつかなければ、それはわたしの求めていたものではない。ただそれだけだ。
都会にあると、刺激ばかりが強く、そうした直感は鈍くなっていく。都会が好きになれない理由はそこにあるのかもしれない。
わたしは、3年前に旅をともにした師に対して、このKLの日本大使館宛に手紙を書いた。KLがどういうところなのか、わたしは全く想像もできなかったが、改めてこの街をみると、知らない街に手紙を書いた不思議さが身にしみてくる。
わたしは、この街に手紙を出した。そして、その手紙を彼は受け取ってくれた。
それが今はとても不思議に思う。
その残像と懐かしさの残り香を求めて、わたしはKLの街をひたすら歩き続けたのだった。
※当コーナーは、親愛なる友人、ふらいんぐふりーまん師と同時進行形式で書き綴っています。並行して語られる物語として鬼飛(おにとび)ブログと合わせて読むと2度おいしいです。
KLことクアラルンプールに行くのは気がひけた。
大都会は心を寂寞とさせるからである。
喧騒が多くなるにつれ、人は孤独感を増していく。とりわけ、わたしはその傾向が強いような気がする。
恋人たちが手をつなぎすれ違う様子を振り返ったクリスマスの香港。
サイアムスクエアの喧騒にもまれながら、わたしは居場所すら見つけられなかったバンコク。
街の灯りが賑やかな中で、闇がより一層濃くなる街を延々とさまよったシンガポール。
そうなのだ。
街が華やかになるほど、煌びやかな光に包まれるほど、その影は、より一層濃さを増していく。その闇の中にいったいどれだけの人々の心が行き場を失い、さまよっているのだろうか。
そんな生易しいものではないはずだ。
光があたるのはほんの一部であり、多くは闇の中にあるのではないか。
だから、せめて光の中に身を投じようと多くの人が都会を目指していく。
KLの街は、上海よりもスモッグがひどかった。
高層のバスターミナルにバスが到着し、わたしは静かにバスを降りた。ターミナルの雑居ビルに安宿があるという。
早速、そこを目指し、扉を開けると大きな失望感に見舞われた。
ロビーのようなスペースには日本人ばかりが、日本の漫画を読みあさる姿があったからだ。
わたしはすぐさま、そこを離れようと思った。
だが、念のためドミトリーがあることくらいは確認した方がいいと思い、フロントに向かうと、意外なことに大部屋があり、しかもベッドは空いているという。それも一泊3リンギットという安さだった。
これはこれでついているかもしれない。
そう思い、わたしは一転して、この日本人だらけの宿に泊まることにした。
ベッドは木のベッドで比較的清潔だった。
部屋には若い日本人がゴロゴロしており、いやな雰囲気だったが、わたしはザックを置いて、すぐさま外に出た。
さて、どこに行こうか。
わたしは、いつもするようにデタラメに街を歩き始めたのである。
運命の糸を頼りに、何かにぶつかれば、それはそこにわたしの求めるものがあったはずなのである。たとえ何かにぶつかったとしても、わたしが気がつかなければ、それはわたしの求めていたものではない。ただそれだけだ。
都会にあると、刺激ばかりが強く、そうした直感は鈍くなっていく。都会が好きになれない理由はそこにあるのかもしれない。
わたしは、3年前に旅をともにした師に対して、このKLの日本大使館宛に手紙を書いた。KLがどういうところなのか、わたしは全く想像もできなかったが、改めてこの街をみると、知らない街に手紙を書いた不思議さが身にしみてくる。
わたしは、この街に手紙を出した。そして、その手紙を彼は受け取ってくれた。
それが今はとても不思議に思う。
その残像と懐かしさの残り香を求めて、わたしはKLの街をひたすら歩き続けたのだった。
※当コーナーは、親愛なる友人、ふらいんぐふりーまん師と同時進行形式で書き綴っています。並行して語られる物語として鬼飛(おにとび)ブログと合わせて読むと2度おいしいです。
あの時の旅行で俺と師は、何度か日本大使館に手紙を託してやり取りしたね。
今でも師からの手紙、持ってるよ。師が盗難にあって、俺の手紙類を無くしてしまったのはすこぶる残念だけど・・・。実は俺、自分が何書いたのか凄く読んでみたかったんだよなあ・・・。
で、何年かぶりに師のマレーシアの手紙を出してみようと探してみたら・・・、なんでかないんだよなあ。アジア旅行の時の手紙が一式ない。
どっかにしまってて、どこかにはあるんだろうけど、どこにしまったかを思い出せないんだよなあ・・・。うーん、残念。
しかし、当時はネットとかもなかったから、貧乏旅行者は日本大使館や領事館に手紙を託すっていうのをよくやってたよね。大使館サイドは迷惑だったろうけど、あのサービスはほんとにありがたかったなあ。
手紙を受け取り、その場では封を切らずに、宿の近くのカフェでタバコを吸いながら何度も何度も読み返したっけ。
師と別れてから、師はどんどんと先を行き、その差は開くばかりで、ぼくは少し焦ったこともあった。
師とともに旅をしたのは、2週間ちょっとだったけれど、ぼくらはもっと長い時間を過ごしてきたような気がする。
恐らくそれは、離れたあとも、こうして手紙を書いたり、お互いのことを気にしあいながら、前へと進んでいったからだと思う。
オレたちの・・・、そう、だから「オレたちの深夜特急」なんだね。