チェンマイでの居候生活は、朝7時に起床し、近所を散歩しがてら屋台でささやかな朝食を摂り、日中はソンテウという乗合のミニバスに乗ってチェンマイを散策した。
夕方にキッティの家に戻れば、もう既にキッティはご飯の支度を済ませており、チェンマイ大学の学生達との楽しい夕餉を共にした。彼ら、彼女らも少しずつ心を開いてくれ、お互いの拙い英語で意思疎通を図った。
そのうちの一人、華奢なランポーンは愛想がよく、快活な声で様々なことを話してくれた。
学校のこと、芸術のことといったことから、時には、わたしに向かって日本のこと、日本の若者の事について臆することなく質問したりした。
食事が終わると、わたしはチェンマイ名物であるナイトマーケットに出掛けることにしていた。
その規模たるや香港の女人街に比べると小さいが、バンコクのそれとは負けずとも劣らない大きな市場であった。
そこで、何を買うともなしに露天を冷やかし、時には椰子の実ジュースを飲みながらぶらぶらしてキッティ宅へ帰るのだった。
キッティの家には風呂というものがなかった。
いや、厳密に言えば水を溜めた瓶が置いてある部屋が風呂ということになろうか。その水を掬って体に流す、彼らはそうやって体を洗っていた。
わたしもそれに倣って汗を流した。だが、さすがにそこで洗髪をすることはできない。結局、キッティの家で過ごした10日間、わたしは一度も髪を洗うことはなかった。
さて、ナイトマーケットから帰って、水浴びをすると、ほとんどすることがない。キッティの家にはテレビがなく、夜になるとキッティやランポーンらは、それぞれのバンガローに帰ってしまう。
ガンちゃんも部屋に戻ってしまうと、わたしは一人取り残されて母屋のコテージで、ハンモックに揺られながらラジオの日本語放送を聞くのであった。
いつしかわたしは眠くなり、気がつくともう寝ているのであった。
そんな日々が3日ほど続いた。
4日後の朝、ランポーンがわたしを起こしにきた。
「フットボールを見に行こう!」と言うのだ。
この日は土曜日で大学は休みのようである。
わたしのようなバックパッカーには、もはや曜日の感覚は皆無だった。
今日が何曜日か、なんて余り関係のないことだった。
そうか、今日は土曜日だったかと思いながら、むっくりと起きてみると、彼女は矢継ぎ早にまくし立てた。
「タイ代表とイングランド代表の試合がある。皆で見に行こうよ」。
そう言えば、この数日間、チェンマイの街を日本のプロレス興行よろしく、スピーカー付きのクルマが宣伝に走っていた。
サッカーの試合があることは分かっていたが、まさか国際Aマッチだったとは。
しかし、よくイングランドはアジアのサッカー小国と試合をする気になったな、と思いながら、「よし!行こうぜ」とランポーンに返事をしていた。
試合は午後の2時から。
ランポーンの友人ら7名でチェンマイの郊外にあるスポーツコンプレックスにソンテウに乗り込んで向った。
スタジアムに着くと、見知らぬおじさんがわたしに声をかけてきた。
「オレはマエゾノを見た。彼のボール捌きは凄かった」。
興奮を隠すことなく、そう話す。
フランスW杯を目指す日本代表は、この2ヶ月程前、アジアカップをこのチェンマイで戦っていた。
そういえば、アジア杯を見るために、わざわざヴェトナムからタイを目指す者までいたほどだった。
わたしは、「マエゾノ」の名前を口にした、おじさんに向って、「そうだろう、そうだろう」と大きく頷いた。
さて、スタジアムに入ってみると、その牧歌的な雰囲気に拍子抜けしてしまった。
なんてことはない。
イングランド代表と戦うこの国際試合は17歳以下の試合、つまりU17のゲームだったのだ。そこには、タイのウルトラスなど居るわけなどなく、ほぼスタンドは満員になっていたが、手をかざしてチャントを唄う者など誰一人おらず、タイ代表がミスを犯すと、スタンドのどこかで「マイペンラーイ」と声がかかるのであった。
試合はタイ代表が3-2でイングランドをくだした。
日が傾いたスタジアムを後にして、我々はヒッチハイクで帰ることにした。
皆で親指を突き立てて、その仕草をするといとも簡単にクルマは止まってくれた。
えんじ色のピックアップトラックの荷台に乗せてもらい、夕方の風に吹かれていると、なんだかこのままずっとチェンマイで過ごしてもいいような気がしてきた。
ロンドンはおろか、ラオスさえどうでもよくなってくるのだった。
夕陽を浴びたランポーンの横顔は端正で美しく、風になびく黒髪が顔にかかって、彼女が目をつぶるとわたしは少しドキドキと鼓動が早くなるのを感じるのだった。
※当コーナーは、親愛なる友人、ふらいんぐふりーまん師と同時進行形式で書き綴っています。並行して語られる物語として鬼飛(おにとび)ブログと合わせて読むと2度おいしいです。
夕方にキッティの家に戻れば、もう既にキッティはご飯の支度を済ませており、チェンマイ大学の学生達との楽しい夕餉を共にした。彼ら、彼女らも少しずつ心を開いてくれ、お互いの拙い英語で意思疎通を図った。
そのうちの一人、華奢なランポーンは愛想がよく、快活な声で様々なことを話してくれた。
学校のこと、芸術のことといったことから、時には、わたしに向かって日本のこと、日本の若者の事について臆することなく質問したりした。
食事が終わると、わたしはチェンマイ名物であるナイトマーケットに出掛けることにしていた。
その規模たるや香港の女人街に比べると小さいが、バンコクのそれとは負けずとも劣らない大きな市場であった。
そこで、何を買うともなしに露天を冷やかし、時には椰子の実ジュースを飲みながらぶらぶらしてキッティ宅へ帰るのだった。
キッティの家には風呂というものがなかった。
いや、厳密に言えば水を溜めた瓶が置いてある部屋が風呂ということになろうか。その水を掬って体に流す、彼らはそうやって体を洗っていた。
わたしもそれに倣って汗を流した。だが、さすがにそこで洗髪をすることはできない。結局、キッティの家で過ごした10日間、わたしは一度も髪を洗うことはなかった。
さて、ナイトマーケットから帰って、水浴びをすると、ほとんどすることがない。キッティの家にはテレビがなく、夜になるとキッティやランポーンらは、それぞれのバンガローに帰ってしまう。
ガンちゃんも部屋に戻ってしまうと、わたしは一人取り残されて母屋のコテージで、ハンモックに揺られながらラジオの日本語放送を聞くのであった。
いつしかわたしは眠くなり、気がつくともう寝ているのであった。
そんな日々が3日ほど続いた。
4日後の朝、ランポーンがわたしを起こしにきた。
「フットボールを見に行こう!」と言うのだ。
この日は土曜日で大学は休みのようである。
わたしのようなバックパッカーには、もはや曜日の感覚は皆無だった。
今日が何曜日か、なんて余り関係のないことだった。
そうか、今日は土曜日だったかと思いながら、むっくりと起きてみると、彼女は矢継ぎ早にまくし立てた。
「タイ代表とイングランド代表の試合がある。皆で見に行こうよ」。
そう言えば、この数日間、チェンマイの街を日本のプロレス興行よろしく、スピーカー付きのクルマが宣伝に走っていた。
サッカーの試合があることは分かっていたが、まさか国際Aマッチだったとは。
しかし、よくイングランドはアジアのサッカー小国と試合をする気になったな、と思いながら、「よし!行こうぜ」とランポーンに返事をしていた。
試合は午後の2時から。
ランポーンの友人ら7名でチェンマイの郊外にあるスポーツコンプレックスにソンテウに乗り込んで向った。
スタジアムに着くと、見知らぬおじさんがわたしに声をかけてきた。
「オレはマエゾノを見た。彼のボール捌きは凄かった」。
興奮を隠すことなく、そう話す。
フランスW杯を目指す日本代表は、この2ヶ月程前、アジアカップをこのチェンマイで戦っていた。
そういえば、アジア杯を見るために、わざわざヴェトナムからタイを目指す者までいたほどだった。
わたしは、「マエゾノ」の名前を口にした、おじさんに向って、「そうだろう、そうだろう」と大きく頷いた。
さて、スタジアムに入ってみると、その牧歌的な雰囲気に拍子抜けしてしまった。
なんてことはない。
イングランド代表と戦うこの国際試合は17歳以下の試合、つまりU17のゲームだったのだ。そこには、タイのウルトラスなど居るわけなどなく、ほぼスタンドは満員になっていたが、手をかざしてチャントを唄う者など誰一人おらず、タイ代表がミスを犯すと、スタンドのどこかで「マイペンラーイ」と声がかかるのであった。
試合はタイ代表が3-2でイングランドをくだした。
日が傾いたスタジアムを後にして、我々はヒッチハイクで帰ることにした。
皆で親指を突き立てて、その仕草をするといとも簡単にクルマは止まってくれた。
えんじ色のピックアップトラックの荷台に乗せてもらい、夕方の風に吹かれていると、なんだかこのままずっとチェンマイで過ごしてもいいような気がしてきた。
ロンドンはおろか、ラオスさえどうでもよくなってくるのだった。
夕陽を浴びたランポーンの横顔は端正で美しく、風になびく黒髪が顔にかかって、彼女が目をつぶるとわたしは少しドキドキと鼓動が早くなるのを感じるのだった。
※当コーナーは、親愛なる友人、ふらいんぐふりーまん師と同時進行形式で書き綴っています。並行して語られる物語として鬼飛(おにとび)ブログと合わせて読むと2度おいしいです。
俺、そういった出会いとかはほとんどなかったなあ。だからちょっと師がうらやましいよ。
でも、現地の子はこのチェンマイの子だけじゃないか?
そうはいいながら、師はヴェトナムで女の子とディスコに行ってるじゃない!(鬼飛ブログ参照)
ただ、そのディスコにいた常連(さくら?)の女の子が、俺にとってメチャクチャまなこ釘付けの美少女だったんだよなあ。
こういう話しって段々、自分の中で進化しちゃって、全然違うストーリーになっちゃうよね。
オレがインドで死神をみたとかさ。
師が死神の話しを作ったからさ、自分の中でも本当に死神を見たような記憶になっちゃってるもん、今。