そろそろ時計は7時を指そうとしているのに、東京新橋のSL広場は幾分まだ明るさを残していた。だが、確実に夕闇は迫っており、きれいに塗りなおされたC11型蒸気機関車の黒い車体が少しずつ輪郭を失っていく。
いつのまにか、この広場の噴水は撤去され、機関車とその周囲もきれいに整備されていた。テレビ局の街頭インタビューのスタッフとカメラが行き来する向こうから、MJがノンフィクションライターのM岡氏とともに姿を現したのだった。
ニュー新橋ビルの脇をすり抜け、烏森近辺の飲み屋街へ。
今日は金曜日だが、この通りに曜日は関係ない。さすがにサラリーマンが休みになる週末は閑散としているが、ウイークディであれば、早い時間から賑わっている。
椎名誠氏はその烏森口周辺の賑わいをこう記している。
「西口通りは別名親不孝通りともいう。道の両端をびっしり厚く包囲する、というかんじでさまざまな一杯飲み屋、バー、小料理屋といったところがたち並んでいた。夕方7時すぎという時間になると、この道を歩く人々の多くは通勤帰りに連れだって飲みにいくサラリーマンのグループになっていた。(椎名誠著「新橋烏森口青春編」=新潮文庫)
この作品は椎名氏が23歳の頃の物語。つまり今から40年近くも前の風景である。先日、LタスのM田さんからも同じような話しを聞いた。氏が駆け出しの記者だった頃、夕方になると先輩記者が必ず、烏森の立ち飲み屋に誘うのだという。当時の日刊J動車新聞は新橋にあった。今から35年くらい前の話しである。
そして、この日もまだ7時だというのに、はじめに顔を出した「まこちゃん」(居酒屋放浪記NO.0010参照)は別館も本館も満員札止めだった。烏森の夜は早くから始まるのである。
結局、我々は「まこちゃん」の裏手にある「玉や」の一番奥のテーブルに腰掛けた。「まこちゃん」もいいけれど、この「玉や」も焼き物系では負けていない。3年くらい前にホッピー研究会を催したことがあって、おおぶりのざっくりとした実の焼き物と台湾料理をベースとした酒肴の数々。いいお店の条件は兼ね備えている。
テーブルに着いて改めてM岡さんと挨拶を交した。以前、一度赤坂の自転車会館でその姿をお見かけしたが、こうして顔を合わせるのは初めてのことだった。
カキーンと冷えた生ビール中ジョッキで乾杯する。
M岡さんは、最近「スポーツYeah!」(角川書店)にも寄稿したノンフィクションライター。実はその記事、拝見していないのだが、ラジオN経のM藤さんから、その文章力はお墨付きを貰っている。何よりも一流誌に記事が掲載しているのだから、その文章力は言わずもがなだ。
そんな方とご一緒させてもらえるとはなんとも光栄である。
こうして、この後我々3人はスポーツの話題でおおいに盛り上がった。
「最近のNumber(文藝春秋)はつまらん!!」
という話しで3人の意見が合致すると、テーマは「スポーツジャーナリズムとは何ぞや」とする壮大な話題に転じていく。
しかし、話しが熱を帯びていけばいくほど、運ばれた「煮込み」と「カシラ」、「タン」、「ハツ」の焼き物は、無情にも冷めていった。もっとも、激論を闘わしているときには、そんなことなどお構いなしでもあるんもだが・・・・・。けれど、話しが一段落して、皿の酒肴を口にするとやや冷めていることに気づき、柔らかな後悔をするのである。
しかし、フリーライターで生きるM岡さんの話は興味深かった。
なによりも、惜しげもなく、原稿持込のテクニックを披露してくれたことには、「成る程!」と唸らせてくれた。
しかし、いったい、スポーツとは何ものなのだろうか。
そして、スポーツは人に何を今もたらそうとしているのか。
そんな、決して答えの出ない話しをしている頃、わたしはホッピーをぐびりと飲み、つまみには焼きそら豆を食べていた。
気がつけば時は既に10時を回っている。ホッピーの中を何回もお代わりをしているのに、この熊猫、珍しくへべれけでない。
恐らく、MJとM岡さんの話が面白かったからだ。
そして、もうひとつ重要なのが、この店、ホッピーの中が「キンミヤ」であったこと。
やっぱり、ホッピーは「キンミヤ」でないと!
M岡さんは、「スポーツYeah!」の取材で、サッカーワールドカップの代表が発表されるその日、久保竜彦選手の談話を取るため、横浜Fマリノスのクラブハウスへ取材に向かったという。そこで、久保選手の代表落選の報が流れる。
一方、MJは今年2月にパパになった。
ご子息の名前はシュンスケ君。
その名前は日本球界とサッカー界に君臨するそれぞれの中心選手から名前をもらったという。今年、ワールドベースボールクラシックが開催され、ご存知の通り日本代表が優勝をさらった。サッカーワールドカップで日本代表がどのような成績を収めるかはまだ分からないが、この年、野球とサッカーと冬季五輪が開催されたことは多くの人の記憶に刻まれるはずである。
スポーツは確実にわたしたちの人生を変えている。
そして、生活の傍にいつもスポーツは横たわっている。
70年前のドイツはスポーツを政治宣伝の場に使った。
それから、長い年月を経て巨大なスポーツの祭典がまた開かれようとしている。
その大会は巨大なビジネスの渦中に巻き込まれている。
そして、我々もその只中にどうやらいるようだ。
ホッピーに記憶を奪われなかったわたしはごくごく冷静に銀座線に乗って家路についた。
いつのまにか、この広場の噴水は撤去され、機関車とその周囲もきれいに整備されていた。テレビ局の街頭インタビューのスタッフとカメラが行き来する向こうから、MJがノンフィクションライターのM岡氏とともに姿を現したのだった。
ニュー新橋ビルの脇をすり抜け、烏森近辺の飲み屋街へ。
今日は金曜日だが、この通りに曜日は関係ない。さすがにサラリーマンが休みになる週末は閑散としているが、ウイークディであれば、早い時間から賑わっている。
椎名誠氏はその烏森口周辺の賑わいをこう記している。
「西口通りは別名親不孝通りともいう。道の両端をびっしり厚く包囲する、というかんじでさまざまな一杯飲み屋、バー、小料理屋といったところがたち並んでいた。夕方7時すぎという時間になると、この道を歩く人々の多くは通勤帰りに連れだって飲みにいくサラリーマンのグループになっていた。(椎名誠著「新橋烏森口青春編」=新潮文庫)
この作品は椎名氏が23歳の頃の物語。つまり今から40年近くも前の風景である。先日、LタスのM田さんからも同じような話しを聞いた。氏が駆け出しの記者だった頃、夕方になると先輩記者が必ず、烏森の立ち飲み屋に誘うのだという。当時の日刊J動車新聞は新橋にあった。今から35年くらい前の話しである。
そして、この日もまだ7時だというのに、はじめに顔を出した「まこちゃん」(居酒屋放浪記NO.0010参照)は別館も本館も満員札止めだった。烏森の夜は早くから始まるのである。
結局、我々は「まこちゃん」の裏手にある「玉や」の一番奥のテーブルに腰掛けた。「まこちゃん」もいいけれど、この「玉や」も焼き物系では負けていない。3年くらい前にホッピー研究会を催したことがあって、おおぶりのざっくりとした実の焼き物と台湾料理をベースとした酒肴の数々。いいお店の条件は兼ね備えている。
テーブルに着いて改めてM岡さんと挨拶を交した。以前、一度赤坂の自転車会館でその姿をお見かけしたが、こうして顔を合わせるのは初めてのことだった。
カキーンと冷えた生ビール中ジョッキで乾杯する。
M岡さんは、最近「スポーツYeah!」(角川書店)にも寄稿したノンフィクションライター。実はその記事、拝見していないのだが、ラジオN経のM藤さんから、その文章力はお墨付きを貰っている。何よりも一流誌に記事が掲載しているのだから、その文章力は言わずもがなだ。
そんな方とご一緒させてもらえるとはなんとも光栄である。
こうして、この後我々3人はスポーツの話題でおおいに盛り上がった。
「最近のNumber(文藝春秋)はつまらん!!」
という話しで3人の意見が合致すると、テーマは「スポーツジャーナリズムとは何ぞや」とする壮大な話題に転じていく。
しかし、話しが熱を帯びていけばいくほど、運ばれた「煮込み」と「カシラ」、「タン」、「ハツ」の焼き物は、無情にも冷めていった。もっとも、激論を闘わしているときには、そんなことなどお構いなしでもあるんもだが・・・・・。けれど、話しが一段落して、皿の酒肴を口にするとやや冷めていることに気づき、柔らかな後悔をするのである。
しかし、フリーライターで生きるM岡さんの話は興味深かった。
なによりも、惜しげもなく、原稿持込のテクニックを披露してくれたことには、「成る程!」と唸らせてくれた。
しかし、いったい、スポーツとは何ものなのだろうか。
そして、スポーツは人に何を今もたらそうとしているのか。
そんな、決して答えの出ない話しをしている頃、わたしはホッピーをぐびりと飲み、つまみには焼きそら豆を食べていた。
気がつけば時は既に10時を回っている。ホッピーの中を何回もお代わりをしているのに、この熊猫、珍しくへべれけでない。
恐らく、MJとM岡さんの話が面白かったからだ。
そして、もうひとつ重要なのが、この店、ホッピーの中が「キンミヤ」であったこと。
やっぱり、ホッピーは「キンミヤ」でないと!
M岡さんは、「スポーツYeah!」の取材で、サッカーワールドカップの代表が発表されるその日、久保竜彦選手の談話を取るため、横浜Fマリノスのクラブハウスへ取材に向かったという。そこで、久保選手の代表落選の報が流れる。
一方、MJは今年2月にパパになった。
ご子息の名前はシュンスケ君。
その名前は日本球界とサッカー界に君臨するそれぞれの中心選手から名前をもらったという。今年、ワールドベースボールクラシックが開催され、ご存知の通り日本代表が優勝をさらった。サッカーワールドカップで日本代表がどのような成績を収めるかはまだ分からないが、この年、野球とサッカーと冬季五輪が開催されたことは多くの人の記憶に刻まれるはずである。
スポーツは確実にわたしたちの人生を変えている。
そして、生活の傍にいつもスポーツは横たわっている。
70年前のドイツはスポーツを政治宣伝の場に使った。
それから、長い年月を経て巨大なスポーツの祭典がまた開かれようとしている。
その大会は巨大なビジネスの渦中に巻き込まれている。
そして、我々もその只中にどうやらいるようだ。
ホッピーに記憶を奪われなかったわたしはごくごく冷静に銀座線に乗って家路についた。
福岡の町中にはまさにそんな通りの飲み屋街で
「親不幸通り」という名の通りがあるのを知ってます。
どこにでもあるんでしょか、「親不幸通り」(笑)
シュンスケくん、いい名前です。
親をヤキモキさせるくらい、ワンパクな子供に育ちますように。
・・・って無責任な(笑)!!
基本的に飲み屋あるところは親不幸通りになりそう。
いや、むしろ女房不幸通りじゃないのか?とも思う次第です。
今年はシュンスケと静香っていう名前が多いのでは?
荒木大輔(現西武ライオンズコーチ)フィーバーのときに松坂大輔が誕生している例もあるので、20年後、シュンスケという名前の世界的スポーツプレーヤーが誕生するかも。