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BASEBALL馬鹿 BLOG

オレたちの「深夜特急」~ヴェトナム編 サパ③~ 

2007-03-17 16:25:21 | オレたちの「深夜特急」
宿に着いて3日目の夜のことだった。
 宿のリビングでテレビを見たりしながら寛いでいると、宿屋の息子ヒエップが隣のソファーに座ってきて、おもむろに話しをしはじめた。
 「お願いがある。明日の朝からバス停に行って、日本人旅行者をこの宿に連れてきてほしいんだ」。
 要するに客引きである。
 こちらも暇な身だ。喜んで引き受けた。
 だが、サパに着いて3日目。未だ旅行者といったら同宿のニュージーランド人しか見ていない。果たして、日本人はバスに乗って、この地にやってくるのだろうか。

 翌朝、少し早く起きてバス停に向かう準備をしていると、「朝食をどうぞ」と婦人から声を掛けられた。どうやら、それが客引きの報酬のようだった。
 炊いた餅米を丸めたような食べ物は、日本のちまきにそっくりだった。醤油のような味付けでさっぱりとしている。「これはなんだい?」と食べながら、ヒエップに訊くと「バイン・チュンだよ。ヴェトナムではテトに食べるのが習わしさ」。などという。
 テト?そうか、今日は2月2日だった。明日は節分か。アジアの正月が近づいているようだ。

 ヒエップと一緒にバス亭へと向かった。
 バスは朝8時半、ほぼ定刻通りにバス亭に滑り込んだ。
 乗客の何人かが、バスを降りてくるのが見えた。わたしとヒエップは急いで停車しているバスに駆け寄り、旅行者を物色した。
日本人はどうやらいないようだ。
ヒエップは2人組の欧米人に声をかけている。
よく見ると、他のゲストハウスの従業員も現場に現れており、また他の旅行者に声をかけている。
どうやら、バス停は客引きの草刈場となっているようだった。
結局、わたしもヒエップも収穫がないまま、とぼとぼと宿に帰った。

翌朝も早起きして、「バイン・チュン」を食べ、ヒエップと一緒にバス停に向かった。
吐く息はやや白い。サパは山奥の高地にあるため、朝晩は結構冷えるのだ。
 この日もバスはほぼ定刻にバス停に停車し、再び宿屋のお客の争奪戦が始まった。降りてくる客の顔を眺めていると、日本人の姿があった。わたしと同じくらいの若者だ。すぐさま、声をかけた。
 「宿の客引きを頼まれている者だが、今オレが泊まっている宿に来ないか」。
 「一泊いくらなんだい?」。とその男は返してくる。
 バックパッカーなら、その質問は極めて当然だ。
 わたしは、ゲストハウスのありのままを彼に話した。
 すると、「部屋を見てから」ということになり、ヒエップと3人で宿に戻ることになった。
 若者の名前はワタルといった。長野県の伊那市で林業をしている男だった。休暇をとって貧乏旅行に出てきたという。
 宿について、一通りワタルに部屋を見てもらった。
 ワタルは何か思うところがあるらしく、「何軒か、他の宿を見てから決めるよ」と言って出て行った。
 そのセリフもバックパッカーとしては至極真っ当なものであり、その後、案の定ワタルは宿には戻ってこなかった。

 その日の午後、宿の前の通りをブラブラしていると、わたしに声を掛ける者がいる。
 「ダオさん、ダオさん!」
 その聞き覚えのある声の方向に振り向いてみると、女性が手を振っている。
 「あぁ」とわたしも笑顔で手を振った。
 彼女は韓飛野(ハン・ビヤ)さん。韓国の著名な作家だという。
 彼女との出会いは麗江。
 ウナと朴さんと3人で少数民族納西族の民族音楽「古楽会」を聞きに行った際に、出会ったのだ。

 ウナも朴さんも韓飛野とは初対面だったが、ものすごく感激した様子で彼女に近寄っていった。
 朴さんは、わたしに「彼女は韓国で有名な女性作家」と興奮気味に紹介をする。「違いが分かる男の『ゴールドブレンド』」のCMはどうやら韓国でも放映されているようで、最近のCMにどうやら彼女が起用された、のだという。
 歳の頃は30代の後半くらい、快活な笑顔が印象の女性だ。
 そんな彼女がわたしの名前を呼んでいる。
 「いつ来たんですか?」
 わたしが日本語で質問すると、
 「今日、今ね」。
と流暢な日本語で返してきた。彼女は少しなら日本語を話せた。
 「ひとりですか?」
 もしかして、ウナも一緒ではないかと考えてわたしは尋ねた。
 彼女は「オブコース」と今度は英語で答えた。

 飛野さんの話しによると、中国の正月である春節が近いこともあって、各交通機関が混雑しているという。このため、本格的な春節休みになる前に、急いで移動してきたという。
 どうやら、中国の旧正月を前にバックパッカーたちも大移動をしているようだった。だから、昨日今日とで、急にサパにもバックパッカーが増えてきたのだろう。
 
 気が付くと、わたしも結局5日間サパに滞在してしまった。中国の旧正月は2月18日だ。身動きできなくなれば大事だから、今のうちにヴェトナムを南下しようと思い、翌日の2月4日、サパを発とうと考えた。その旨をヒエップに告げると、「テトが始まるから明日からバスは運休だよ」などという。冗談はやめてくれ。今度は婦人に尋ねると、やはり同じ答えが返ってきた。

 翌朝はそんな理由でバス停への客引きには行かなかった。その代わりにわたしが連れて行かれたところは、ヒエップの親戚のウチだった。わたしを一緒に連れていく理由というのがよく分からなかったが、歩いて数十分の、そのお宅にわたしも伺い、挨拶らしき行事を行った。
 その光景は日本のお正月そのものだった。
 ヒエップのご親戚の中に若い娘さんがいて、仕切りにわたしを見つめている。そりゃ、そうだ。いきなり見知らぬ外国人が正月の挨拶回りに登場したのだから、驚かないほうがおかしい。そう思って軽く会釈すると、彼女は少し笑みを浮かべて下を向いた。ふくよかで色白の美しい女性だった。
 「She loves you.」
 挨拶が終わって宿へ帰る帰路、ヒエップはわたしにそう言った。
 「Serious?」
 マジで?とわたしは軽く流した。
 
 翌朝もバスが出ることはなかった。その日は、韓飛野に誘われ片道20kmのトレッキングに出かけることにした。
 サパから南へ山を下りて行くと、辺り一面水田が広がる。水田の畦を歩いていくと、モン族の女性と行きかう。
 我々が「シンチャオ」と挨拶をすると、分かったのか、或いはそうでないのか、手招きをして彼女らは自宅に招いてくれるのだ。
 竪穴式住居のようなモン族の家の中は、広さが5坪くらい。床は地べたでお婆ちゃんからその娘さん、そして子供たちや赤ちゃん5人が座っていた。男の人たちは、野良仕事に出かけているのか、不在だったが、わたしと飛野さんは、勧められるがままに囲炉裏の周りに腰掛けた。お互い共通の言語を持っているわけではないが、我々は30分ほど、彼女らと微笑みあいながら談笑した。
 
 その村は、モン族ので名前をイーリンホーといった。イーリンホーを出ると幾つかの村々を超えて、今度はザイ族の村ターバンに出た。サパを出て3時間。だいぶ遠くまで歩いてきたような気がする。ターバンの商店のようなところで、休憩してから、今度は山道に出て、宿へ帰ることとした。
 緩やかな上り坂とぬかるんだ山道。宿へ帰ったのは夜の7時だった。

 翌朝もやはりバスが出発することはなかった。その日は、朝から深い霧が立ち込めて村を寒々しくさせていた。わたしは、宿のリビングでテレビを見ていると隣の宿に泊まっているフランス人が、わたしのところへ来て、こんなことを言った。「明日、ラオカイの駅までジープをチャーターしないか?」バスが出ないことに業を煮やした旅行者が、ジープを手配しようと考えたらしい。
 「オレも乗せてくれないか」
 
 翌朝10時に軍用のジープが宿の前に止まった。
 ヒエップと婦人が見送るなか、わたしはジープに乗り込んだ。
 「いつか、また必ず泊まりに来るよ」
 寂しげな表情で見守るヒエップに努めて明るく別れの言葉をかけた。
 迷彩の服を着た運転手が勢いよくギアをローに入れると激しい音を立てて、エンジンは回転した。砂埃があがり、ジープはラオカイ駅に向けて走り始めた。
 ハノイへ。
 ヴェトナムに入国してからもう10日が過ぎていた。

■写真はサパの市場の風景。紺の帽子がモン族。赤の頭巾をかぶっているのがザオ族。

※当コーナーは、親愛なる友人、ふらいんぐふりーまん氏と同時進行形式で書き綴ってい
ます。並行して語られる物語として鬼飛(おにとび)ブログと合わせて読むと2度おいしいです。

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7 コメント

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おもろい体験 (ふらいんぐふりーまん)
2007-03-17 17:54:38
してるねえ、なんと客引きをしてたとは・・・。

しかし、
「宿の客引きを頼まれている者だが、今オレが泊まっている宿に来ないか?」
って、この激しくストレート過ぎる客引きのセリフ!!

セールストークとしてはオブラートのオの字もかかっていないぶっちゃけ具合、まさに師らしいよ。(笑)

ただ、変に慣れてる奴よりは好感が持てるけどね。だから部屋までは一緒に行ったんだろうなあ。

それにしてもサパでのくつろぎ具合、かなりいい感じだな。
返信する
2日間だけだよ。 (熊猫刑事)
2007-03-18 09:40:35
「宿の客引きを頼まれてる者だが」って言わないと、誰も来ないと思う。特にバックパッカーは。
しかも、「こいつ、オレの金で分け前貰ってるな」と思われるのも嫌だし。
「本意じゃないけど」ってストレートに言うほうがいいでしょ。

しかし、1ヶ月のヴィザのうち10日間をサパで過ごすっていうのは、内心オレの心焦っていたんだよ。実は。2月は28日しかないしね。
返信する
こんにちは (キャッシング大将)
2007-03-18 14:20:32
はじめまして

突然のコメント失礼します。

私は「キャッシング情報局 」と言うサイトを運営しています。

そこでこちらの記事を紹介させて頂きましたので
ご連絡させて頂きました。

該当記事
http://blog.livedoor.jp/qwertyuyjp/archives/53256668.html
返信する
確かに (ふらいんぐふりーまん)
2007-03-18 17:15:28
客引きの手伝いをすることで相手に
「俺の宿泊代からなん%引っ張ってるんだ?」
とか思われるのは嫌だね。

それにしてもなぜ、師まで営業に引っ張り出そうとしたのかなあ?また、報酬が朝飯だけっていうのが辛いね。

まあ、読んでいるとあまり積極的には泊まりたくなるような宿ではないような感じらしく思われるからなんだろうけど・・・。

しかし、とても面白い体験だと思う、宿の客引き。

あと、ヴェトナムヴィザってそういえば期限1ヶ月だったよね。

でも師は確かヴェトナム中部のダナンからカンボジアに陸路で抜けてるから、多少スタックしてもそんなに焦る必要なかったんじゃないの?・・・。

ただ、俺も師も最初の頃はラストの目的地がとてつもなく遠かったからなあ。(苦笑)
返信する
営業 (熊猫刑事)
2007-03-18 21:17:52
やっぱ、日本人が宿に居るってことを前面に出したかったんでしょ。
日本人は群れるからね。だから、オレを営業にしたんだろうね。
多分、最初はヒエップも婦人も自分の風体を見て様子を窺っていたと思う。段々、「こいつは人畜無害だ」っていうのが分かって営業部長に抜擢したのだと思う。
でも、いい宿だったよ。もし、また行くならこの宿にまた
泊まりたいナ。

ちなみに、オレはダナンからの陸路で国境超えはしてないよ。
どっからだって?
それは、今種明かしはできないよ。
返信する
あれ?? (ふらいんぐふりーまん)
2007-03-18 23:40:05
違うルートだっけ?

ただ、どっからのルートであっても、当時はカンボジアに入ること自体が(特に陸路)デンジェラスと言われていた時代だったよね。

カンボジア編も楽しみだな。
返信する
デンジャラス (熊猫刑事)
2007-03-19 13:24:23
そうだよ。
違うルートだよ。

当時の国境はさほどデンジャラスでもなかったんじゃないかな。
バックパッカーもかなりいたしね。

でも、「狙撃」される、という噂も一部ではあったね。

師のタイ~カンボジア国境超えの方がおっかないような気がするがね。
返信する

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