
それはあまりにも偶然だった。
取材に訪れた足利で、約束の時間まで30分という中途半端な時間を持て余していたことから、どこか時間をつぶせる店はないかと思った瞬間、1軒の喫茶店が目の前に現れた。
コーヒーでも飲もうかと思い、ドアを開けると、店内にはあふれんばかりの蔵書が圧倒的な存在感でわたしに迫ってきた。
ここは喫茶店ではないのか。
一瞬、そう思い違えるほど、蔵書の迫力は圧巻だった。
「杏奴ブレンドコーヒー」のフレンチを頼み、メニュー表をテーブルに置こうとした瞬間、「こ盛り杏奴カレー」という文字が目に留まった。
「小盛ならば食べられるかも」と思い、ついついそれを頼んでしまった。
しかし、このカレーが最高においしかった。
適度なスパイスのブレンドがほのかな香りと味わいを引き出し、口の中で一層豊かなものになる。
小盛りのカレーをわたしはあっと言う間に平らげてしまった。
なんというおいしさよ。
そして、食後のコーヒーも最高だった。酸味がきいたフレンチのコーヒーは、口の中のカレーの臭いをさりげなく打ち消した。
あぁ、これで700円は安い。
約束の時間にせき立てられながら、わたしは会計を済まし、あんぬママにこう約束した。
「また必ずカレーを食べに来ますので」。
正直なところ、この会話は社交辞令的要素が強かった。
だって、これまで一度も足利に来たことがなかったのだから。次回はいつになることやら。
だが、それから1か月後、「杏奴」の再訪が叶った。
喫茶店にてカレーを食べるという経験は、その後のわたしのカレーライフに大きな影響を与えた。「専門店ばかりがカレーを食べさせる場所ではない」と。
折りしも「東京人」の3月号が「咖哩と珈琲」という特集だった。インドのカレーばかりに目を奪われていたわたしにとって、コペルニクス的展開ともいえるカレーの思いの転換だった。
1か月後、「杏奴」のドアを開けると、あんぬママはわたしのことを覚えていてくれた。そして再訪をとても喜んでくれたのである。
「杏奴」はかつて東京の練馬で店を出していたという。その後、東京の店を閉め、故郷の足利で再び「杏奴」を再スタートさせたとあんぬママは教えてくれた。
お店の片隅に古いデスクが置いてある。それだけでインテリアには充分な存在感なのだが、その机の上にはケント紙に書かれた漫画の生原稿が置いてある。よく見ると赤塚不二雄氏が描いたと思われる原稿だ。じっくり見ていないが、どうやら東京時代の「杏奴」が描かれているようだ。
今回は普通盛りのカレーを注文した。待望のあんぬママのカレー。白いカレー皿に上品に盛り付けられたそのカレーをわたしは貪るように食べた。
やっぱりおいしい。
ほどよいスパイスが味覚を刺激する。日本のカレーだが、どこか異国情緒が漂うカレーに仕上がっている。それはアジアではなく、どこか欧州の薫りが漂うのだ。
「カレーは文化と作り手の経験からなっている」。わたしはそのように思う。
「杏奴」の由来は森鴎外の娘、小堀杏奴からつけられたという。書籍の奥付に杏奴の花押が押された書籍をあんぬママはわたしにそっと見せてくれた。
センスが違う。ひとつひとつ、人生の蓄積が、この店を作り上げている。それはコーヒーもカレーも然りである。
サラダとカレー、そして黒蜜のスイーツ。どれをとっても最高のランチ。
この店が近所にあればいいなと切に思う。
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