それにしても親が大学の入学式に出席し出したのは一体いつ頃からだろうか。
60年代後半の東大紛争の最中、学生達にキャラメルを配って歩いた母親がいたという話がある。
同じ頃、地方の学生だった私はその話を耳にして、作り話だろうと思った記憶がある。親が大学の入学式に来るということ自体考えられなかった。ましてや小さな子供をあやすようにキャラメルを配って歩くなどは論外だ。
「○○ちゃん、デモのような危ないことはしないで。キャラメルをあげるから、ママの言うことを聞いておとなしくしてちょうだい」
そんな光景は考えるだけでもおぞましかったし、まさか日本を代表する優秀な頭脳が集まっているはずの東大でそんなことが現実に行われるはずがないと思ったものだ。
しかし、思い返せばすでに当時から東大生は過保護だったのかもしれない。
バリケード封鎖された東大キャンパスに次のような落書きがあった。
「とめて下さいお母さん
背中の銀杏も笑っている
女々しき東大
どこへも行けない」
続きは「リエゾン九州」のHP内の「栗野的視点」で
60年代後半の東大紛争の最中、学生達にキャラメルを配って歩いた母親がいたという話がある。
同じ頃、地方の学生だった私はその話を耳にして、作り話だろうと思った記憶がある。親が大学の入学式に来るということ自体考えられなかった。ましてや小さな子供をあやすようにキャラメルを配って歩くなどは論外だ。
「○○ちゃん、デモのような危ないことはしないで。キャラメルをあげるから、ママの言うことを聞いておとなしくしてちょうだい」
そんな光景は考えるだけでもおぞましかったし、まさか日本を代表する優秀な頭脳が集まっているはずの東大でそんなことが現実に行われるはずがないと思ったものだ。
しかし、思い返せばすでに当時から東大生は過保護だったのかもしれない。
バリケード封鎖された東大キャンパスに次のような落書きがあった。
「とめて下さいお母さん
背中の銀杏も笑っている
女々しき東大
どこへも行けない」
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