まず、今般の地震と津波で被害に遭われた方々に、心よりお見舞い申し上げます。
未曾有の超巨大地震に直面し、被害が少なかった東京・埼玉においても今後の教訓となる事を経験しましたので、小生の記憶に留めておく意味も兼ねて、日記風に(それこそ「ブログ」の本旨でしょうけど)綴っておきたいと思います。
そのため、今回の記事は、いつもとはタッチが異なります。ご了承ください。
1.地震発生時
水道橋で研修会開催中に地震発生。
古いビルの9階だったのもあって、部屋全体が上下・前後・左右に大きく揺れる。軽い船酔い。
室内に設置してあった飲料水サーバー(正式名称不明)と2段重ねの書類キャビネットが倒れないように手で押さえていたが、揺れが長く続き、手で押さえているのが危険に思えてきたので手を放そうと思った頃、ようやく揺れが収まった。
ロックしてあった2重サッシの窓が勝手に開き、壁にはヒビが入っていた。他のビルから出てきた人たちがこのビルを見上げていたので、倒壊しそうに見えていたのだろう。
早々にビルから退出した方が良いとの判断から、研修会を中止して解散。
外に出てからも揺れを感じたが、さっきの船酔いが残っているのだろうと思っていた。が、今から思えば、それは余震だったに違いない。
2.事務所まで徒歩
電車が止まっているので、十条の事務所まで歩いて帰ることにした。
タクシーは、その時にはまだ空車を見かけたが、渋滞するのが目に見えていたので使うつもりが無かった。
車なら白山通りをまっすぐ進めば良いのだが、「電車が動き始めたら乗ろう」と考えて、東大前から谷中を抜けて日暮里に出る道を歩いた。
日暮里駅に着いてみると、JRも京成もシャッターが閉まっていて、駅前に人があふれていた。タクシー乗り場は長蛇の列。年配の女性が早く帰りたいようで困り果てていたが、どうにもしてあげられない。
西日暮里へ、そして田端へと歩いたが、どの駅もシャッターを閉めていた。上中里と王子は道を外れて駅を覗くのが無駄足になりそうなので、そのまま東十条まで歩いた。
道中、いずれの道も大渋滞。タクシーを使わないで正解だった。
遠回りをしたことも有って、事務所に着いたのは午後6時過ぎだった。
3.交通機関ストップと確定申告
事務所に戻ると、机の上に山積みしていた書類が崩れて散乱していたが、パソコンやコピー機が倒れることも無く、特段の被害は出ていなかった。
ニュースで「JRは今日いっぱい運転しない」との情報を聞き、車で帰宅するのも大渋滞が予想されるので、事務所で夜を明かすことを決意。
そのお蔭で(と言うのか?)、後回しにしていた所得税の確定申告を完了させることができた。
確定申告に関しては、当初は「還付になるのだから申告期限を過ぎても問題ない」と悠長に構えていたが、“青色特別控除”は期限内申告でないと使えないことに気付き、実は気を揉んでいたところなので、丁度良かった。
床に散らばった書類を片付けつつ必要な証憑資料を整理し、e-Taxで電子申告。24時間対応の「e-Tax」は、こういう時には便利さを実感。年に1度のことなので、使い方を思い出すまでが一苦労だったが。
そう言えば、夜中1時ごろ腹ごしらえに出かけたが、24時間営業のはずの「松屋」は入口に「資材が調達できないため閉店」との張り紙。
「富士そば」が開いていたので、かつ丼を食べる。店内には、そば1杯で居座る女性が3人、別々のテーブルを占拠していたが、店の人は何も言わなかった。電車が動いていない夜道に無碍に追い出すのはさすがに気の毒だと思ったのだろう。
4.翌日の帰宅に関して
京浜東北線は朝7時ごろから動き始めるとの情報を得て7:30ごろ東十条駅に行ってみたが、「最終確認中。運転再開まで30分ほど掛かる。」との話。
駅員に詰め寄る人もいたが、怒ったって電車が動くわけでもないだろうに。一旦事務所に戻る。
9時ごろ再度駅まで行ってみると、電車は動いていたものの「東十条」止まりや「南浦和」止まりが続き、たまに来る「大宮」行きは満員で乗れず。
考えてみれば、昨晩会社などに泊った人たちの帰宅ラッシュなのだ。大宮行きを3本ほど見送ることになり、諦めて再び事務所に戻った。
NTTの電話が通じるようになったので、在宅酸素療養をしている父に連絡をして、無事を確認。土曜日でもあるので、これから坂戸まで行くこととした。
埼京線は遅れていたが混乱は無く、東武東上線は正常ダイヤに戻っていたので、問題なく到着。東上線の車中で睡眠を補う。
父は常時酸素吸入が必要なので心配していたが、落ち着いて避難の準備までしていたので安心した。ただ、酸素取扱業者の話として、停電している地域では「酸素濃縮器」が止まって大変だということを聞いた。
土曜の夜、北浦和に帰宅。京浜東北線のダイヤも通常に戻っていた。
自宅では棚の上の物が落ちたり本箱やカラーボックスの中身が飛び出したりしているのを想像していたが、古新聞の山が少し崩れていた程度。驚くほど損害が無かった。
地震発生時に大宮にいた友人の話では、そんなに大きく揺れなかったとのこと。大宮も北浦和も、思えば事務所のある中十条も、台地の上なので、地盤の固い所は比較的揺れが弱かったのだろうと推測する。
5.顧問先の慰安旅行
金曜夕方、水道橋から十条まで歩く通り道に顧問先があるので、立ち寄ってみた。
けが人はいなかったが、社長はじめ数名の従業員が慰安旅行で東北方面に行っていると言う。取り敢えず「新たな情報が入ったら連絡ください」と言い残して事務所に戻った。
その後、日曜の昼過ぎに全員の無事帰社を確認。
専務(社長夫人)から聞いた話では、松島観光中に地震が発生。船から降りると添乗員がバスに乗るよう指示し、バスで避難して、津波から逃れることができたらしい。
バスの中で一夜を過ごし、新幹線も高速道路も使えないなか、福島県内でバスを乗り継いで、日曜の朝に東京まで戻れたとのこと。
宿泊予定だったホテルは津波に呑み込まれたそうなので、九死に一生を得たというところか。
6.仙台にいる友人F氏へ
仙台市内でクリニックを開業している友人がいる。
クリニックも自宅も高台にあるので津波は来なかったと思うが、被害状況は不明。
仮に人的・物的な損害は無かったとしても、電気や水道が止まっていて大変な状況であることは想像に難くない。
非常に心配しているのだが、電話は論外としてもメールも迷惑になりそうなので、当分こちらからは連絡を控えようと思っている。
もし、このブログを読んでくれたなら、ご家族の安否情報と何か手伝える事が無いか、連絡してほしい。
以上
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