【いくつになってもアン気分】

 大好きなアンのように瑞々しい感性を持ち、心豊かな毎日を送れたら・・。
そんな願いを込めて日々の暮らしを綴ります。

物憂い春の午後

2007-04-02 17:54:53 | 心の宝石箱
   夜のうちに降った雨も朝には上がったのですが、
  今日は空がありません。

   折角の春曙の空ですのに、
  お日様も顔を出していますのに・・
  今年二度目のこんな空。きっと黄砂なのでしょう。

 



   「春は、何もかも春そのものが、
  いつも真新しいんですものね。
  毎年、春は変わっているのよ。
  前の年とそっくり同じというのは、一つもないわ。
  必ず何か特別のものを持っていて、
  独特の美しさがあるのよ。」
 
                        【「アンの愛情」 第9章】






   アンの言葉、
  今日ばかりは胸が痛いです。

   アンの言葉は、春を迎えて
  弾んだような、喜びに
  満ち溢れています。

   一方、風情のある 春霞 
  ならまだしも、こちらは
  黄砂だと言うのですから・・。

   その上、今朝の新聞には、
  宵のうち という言葉が、
  気象庁用語から消えるとの記事。

   代わって使われるのは、
  「夜の初めの頃」 とのこと。

   そのものズバリではありませんか。
  どうして情緒のある、こんな素晴らしい言葉を
  わざわざ変える必要があるのでしょう・・?

   理由は、「宵のうち」 を
  夜の遅いことと勘違いする人が多いから・・だそうです。

   分からなければ教えればいいと思いますし、
  それでなくても昨今、平易な平仮名多用、
  語彙不足が叫ばれていますのに ――
  と、思うことしきりです。



   ところで、この薔薇、
  とうとう切り取りました。

   花びらが少し、
  変色して来たからです。  

   去年の12月から、庭にただ一輪だけ
  咲いていたものですが、
  水で開いてくれるでしょうか。

   以前にも同じ状態のことが
  ありましたが、もっと早い時期に、
  蕾のまま枯れてしまった
  ことがありました。

   今回は、ここまで持ったのですから、
  何とか開いて欲しいものです。

   すみれもここに来て一気にその数を増やしてくれています。
  薔薇もいいけれど、すみれの可愛らしさは格別です。