深紅の薔薇の花3本が、 染付壺に活けられたのに、 慎一はカメラを向けていた。 (中略) 「なるほど、花の写真は難しいものですね。 肉眼で見る時と、 レンズを通して画像になるのとでは ――」 慎一は考え込んでいる。 (中略) 「カメラの位置が関係しますね。 それに単に、花全部が皆はっきり写っても、 それでは、面白味と余韻がないでしょう ―― 寧ろ前の枝の花は、はっきりさせて、 後ろの花や蕾は、 仄かにボケさせる ―― そんな風に」 【吉屋信子著 「花」】 |
今日は真珠色の空ながら、太陽が顔を出していました。
でも、ここ(居間)から見える空がそうだけで、
いつかのように北の空は、青空なのかも知れませんね。
ついつい目の前に見える空が、全てなんて思ってしまって。
そんな事、当たり前な事ですのに、その当たり前の事すら
考えが及ばなかった自分自身を思います。そう、一事が万事。
それにしても思い出すのは、一昨日の 「若き命の日記」。
高2の春には病気を発症していますから、何の不安もなく勉強した期間は高1まで。
休学を余儀されながら、それでも成績は常にトップクラス。
そんな事もあり高校は、2年留年。
それでも年下のクラスメートに混じって、
本当に嬉しそうに勉強していたと、お父様の手記にありました。
そして同志社大学に入学。
結局、入学式を済ませた後又々、入院となるのですが・・。
東日本大震災もそうですが、日常の生活を普段通りに営む事が、
(学生は勉強) どんなに有り難い事か・・3.11を目前に考えさせられます。
さて、吉屋信子3作目、「花」 読了。
1作目の 「安宅家の人々」 は、
何となく読んだような気がしたもの
ですが、こちらは全く初めて。
若くて美しい新興活花の
師匠が主人公ですが、
ここでも恋愛の純粋さが際立ちます。
同時に女性の独立を格調高く、
謳い上げてもいて。
時代背景は、昭和15年~16年。
そろそろ不穏な空気が漂い始めた
時代ですが、人々は淡々と
それを受け入れ、生活を律して
慎(つつ)ましく生きる・・。
そんな印象を持ちました。
尤も女史の格調高い文体ですから、
そんな風に感じるのかも知れません。
一方、題名が 「花」 という事からも
分かりますように、主人公梢の言葉を通して様々な 「花」 が語られています。
例えば、もうそろそろ終わりの 「山茶花(サザンカ)」 は、こんな風に。
「山茶花 は、書斎などのお机の1輪挿にも、 いいものです。 花壺に、ただ1枝、そして1輪、それでいて、 しーんと心に沁み入るような、 鮮やかな美しい静かさ ―― それが生きて出れば、 決して1輪の単純さが貧弱ではなくなり、 1輪だけに、くっきり生きて挿せる筈ですから」 【吉屋信子著 「花」】 |