【いくつになってもアン気分】

 大好きなアンのように瑞々しい感性を持ち、心豊かな毎日を送れたら・・。
そんな願いを込めて日々の暮らしを綴ります。

品格の残像~「花」

2012-03-07 15:51:51 | 心の宝石箱






深紅の薔薇の花3本が、
染付壺に活けられたのに、
慎一はカメラを向けていた。
(中略)
「なるほど、花の写真は難しいものですね。
肉眼で見る時と、
レンズを通して画像になるのとでは ――」
慎一は考え込んでいる。
(中略)
「カメラの位置が関係しますね。
それに単に、花全部が皆はっきり写っても、
それでは、面白味と余韻がないでしょう ――
むしろ前の枝の花は、はっきりさせて、
後ろの花や蕾は、
仄かにボケさせる ―― そんな風に」
                    【吉屋信子著 「花」】


   今日は真珠色の空ながら、太陽が顔を出していました。
  でも、ここ(居間)から見える空がそうだけで、
  いつかのように北の空は、青空なのかも知れませんね。

   ついつい目の前に見える空が、全てなんて思ってしまって。
  そんな事、当たり前な事ですのに、その当たり前の事すら
  考えが及ばなかった自分自身を思います。そう、一事が万事。

   それにしても思い出すのは、一昨日の 「若き命の日記」。
  高2の春には病気を発症していますから、何の不安もなく勉強した期間は高1まで。

   休学を余儀されながら、それでも成績は常にトップクラス。
  そんな事もあり高校は、2年留年。

   それでも年下のクラスメートに混じって、
  本当に嬉しそうに勉強していたと、お父様の手記にありました。
  
   そして同志社大学に入学。
  結局、入学式を済ませた後又々、入院となるのですが・・。

   東日本大震災もそうですが、日常の生活を普段通りに営む事が、
  (学生は勉強) どんなに有り難い事か・・3.11を目前に考えさせられます。




   さて、吉屋信子3作目、「花」 読了。
  1作目の 「安宅家の人々」 は、
  何となく読んだような気がしたもの
  ですが、こちらは全く初めて。

   若くて美しい新興活花の
  師匠が主人公ですが、
  ここでも恋愛の純粋さが際立ちます。
  
   同時に女性の独立を格調高く、
  謳い上げてもいて。
  時代背景は、昭和15年~16年。
  
   そろそろ不穏な空気が漂い始めた
  時代ですが、人々は淡々と
  それを受け入れ、生活を律して
  慎(つつ)ましく生きる・・。
  そんな印象を持ちました。

   尤も女史の格調高い文体ですから、
  そんな風に感じるのかも知れません。

   一方、題名が 「花」 という事からも
  分かりますように、主人公梢の言葉を通して様々な 「花」 が語られています。
  例えば、もうそろそろ終わりの 「山茶花(サザンカ)」 は、こんな風に。

山茶花 は、書斎などのお机の1輪挿にも、
いいものです。
花壺に、ただ1枝、そして1輪、それでいて、
しーんと心に沁み入るような、
鮮やかな美しい静かさ ―― それが生きて出れば、
決して1輪の単純さが貧弱ではなくなり、
1輪だけに、くっきり生きて挿せる筈ですから」
                       【吉屋信子著 「花」】