【いくつになってもアン気分】

 大好きなアンのように瑞々しい感性を持ち、心豊かな毎日を送れたら・・。
そんな願いを込めて日々の暮らしを綴ります。

行間にたゆたふ “雅” ~ 「地の果まで」

2012-03-24 15:10:15 | 心の宝石箱







夫人の話す声は綺麗に澄んでいた。
あんまり近いせいか、響いて抜け、
何を話すか分からなかった。
ただ澄み切った綺麗な声調ちょうしが、
ソプラノの歌声のように思われた。
時々緑の耳へ遠い世界からの
夢の音楽の余韻のように響いて来た。

―― いいえ ―― どう致しまして ――
こちらこそ ・・・・・
まあ、早く拝見したいのね ――
こちらは、相変わらず ・・・・・えゝ ・・・・・
・・・・・ それから ・・・・・ まあ ・・・・・

それは日常誰でも使う言葉であったが、
しかしこの場合、夫人の唇を通して電話機の
前で響く時、みな立派な装飾音を振りいて
綺麗に流れて行った。
何か、心憎い軽い小唄の節のように。
                   吉屋信子作 「地の果まで」
 






   

   雨は上がったと思ったのですが・・。
  今日は少々、荒れ模様の天気になっています。

   気紛れに太陽は顔を出すのですが、パ~ッと雨も。
  引き続き気温は高めです。庭の匂い菫も、その雨粒を受けてキラッ。

   さて、吉屋信子作 「地の果まで」、読了。
  ここまで女史の小説は一気に読んで来ましたが、今は一息入れています。

   ところで、この小説は、女史の処女作なのだそうですね。
  そしてあの 「氷点」 で有名な朝日新聞の懸賞小説、入選作なのだとか。
  女史自身、その事について次のように触れています。









   それにしても、この作品が
  大正9年作と言うのですから
  驚きます。

   「地の果まで」 という、
  タイトルからはどうしても、
  最果ての地に逃避行と言ったような、
  もの哀しい悲劇を連想しますが、
  少々、意味合いが違うものに
  なっています。

   悲劇は悲劇なのですが、
  その中でも明日があり、
  希望の光が見えるような・・。

   それは今日のブログタイトル、
  及び引用文にもありますように、
  文章の美しさにもあるのかも
  知れません。      

   それにうっとりしているもの
  ですからつい悲劇に鈍感に
  なっているのかも・・
  ~なんて思ったりします。

   「血は水よりも濃し」、
  全編に姉弟愛を初め、
  肉親愛に溢れていて。

   それらが希薄になった現在と比べ
  随分、新鮮に感じたものです。
  でも、その中にいれば当然、息苦しさや反発も感じるのでしょうけれど。

   今とは違う家長制度や立身出世主義なども垣間(かいま)見えますが、
  やはりこれらもビシッと1本筋が通っているような、
  凛としたものを感じます。

   翻(ひるがえ)って現在。いいえ、我が身。
  何と言う体(てい)たらく。いいえ、軟弱になってしまったのでしょう。

   覚悟が違うのですね。貧しさも、ここでは 「清貧」 という言葉がぴったり。
  ともあれ、この作品で日本人の原点を見たような気持ちです。