毎年、今の時期に行なっている被爆2世の健診だが、
ドクターが代わったらしく手順がいつもと異なった。
以前のドクターは穏やかな人だったが、今度の若いドクターはテキパキしている…
被爆2世健診の結果は1週間後に聞きに来なくてはならないが、
わざわざ結果だけ聞きに来るのも億劫なので、
「結果は今月末の外科の定期検診の後にお願いできますか?」
と訊くと、快く
「全然OKです!」と答えた。
インフルエンザも流行っているし、なるべく通院回数を減らしたい。
病院の帰り道に義母のところに立ち寄り、近況報告。
今月16日は義父の命日でもあるので小さな花束と義父の好きだった萩原朔太郎の詩にちなんだ?《広瀬川》というネーミングのお菓子を届けた。
義母のベッドサイドには、
義父が朔太郎に憧れた文学少年だった頃の写真が飾ってある…
学生服姿に制帽を被った真ん丸い顔、照れ笑いの表情が初々しい。
昭和20年前後の写真だろうか…
ふと、今朝みた《ブギウギ》の学生さんの事を思い出した。
戦時中のドラマを見るのは辛い。
このところ県外出張が続いたせいもあるが、
主人公の弟が戦死した辺りから私は朝ドラを見るのを避けていた…
気分の落ち込みが激しくなるからだ。
祖母や両親から戦時中の話を聞いて育ったせいか、
まるでリアルタイムで戦争を経験しているかのような不思議な感覚を子供の頃から持っていた…
自分は戦時中に亡くなった誰かの生まれ変わりだと信じていた事もある。
夜中に顔の右側に何か硬い金属破片のような物が飛んで来て当たった…その衝撃で目が覚める。
それも前世記憶なのかもしれないと…勝手に思い込んでいた。
戦争中のドラマや映画のシーンが疑似体験となって深く刻まれているのは間違いない。
ドラマの世界だけではない、悪いニュースにも影響を受けやすい。
最近の得体の知れない不安や落ち込みの話を義母に聞いてもらうと、
義母が
「そりゃ、落ち込みや不安は年齢に関係なくあるものだわね……だけど、今自分たちがこうしている間にもウクライナの人たちはどうしているかなぁ…と考えるのよ」
毎日、新聞を隅々まで読んでいる義母らしい考えだと感心する。
「こうやって普通にご飯を食べられて寝られるって幸せなことだよね!」
と義母は微笑んだ。
またもや、
93歳の義母に励まされて帰ってくる自分であった。
我が家のM嬢が7才になりました。
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