鬱蒼とした深い森のなかを彷徨っている若者の頭上に
一筋の陽光が差し込んでくる…
森の出口は、まだ見つからないけれど
転びながら迷いつつ進んでいくと
その森の中央には、
ひときわ大きな古木が根を張っていて
若者に進むべき方向を指し示す道標のように見えた…
映画の中で一番、印象に残ったのが、
そんな場面だった。
三浦友和扮するベテラン調律師が
山崎賢人扮する新米調律師に、
原民喜の一節を聞かせるシーンは、
(良い言葉だなぁ…)
と、思ってはみたものの
私のような感性の鈍った者には、
とても一度聞いただけでは理解できない…
青空文庫で原民喜を探すと…あった。
『砂漠の花』の中の一節だ。
《明るく静かに澄んで懐しい文体、少しは甘えてゐるやうでありながら、きびしく深いものを湛へてゐる文体、夢のやうに美しいが現実のやうにたしかな文体……私はこんな文体に憧れてゐる》
と。
それと同時に、
映画の中のベテラン調理師は、
この原民喜の言葉を、どう“音”づくりに、
反映させるのだろうか…
とも考えた。
映画の中では、
新米調律師を取り巻く顧客たちを描いているが、
ピアノコンクール入賞を目指す高校生姉妹(上白石萌音・萌歌)たちの前で、
それぞれの曲に合う音を作ろうとして失敗するシーンや、
城田優が扮するジャズピアニストからのクレームに落ち込むシーンなどは、
観ていて辛い。
救いは、
両親に先立たれ、愛犬と暮らしながら引きこもった元ピアノ少年が、
14年ぶりに調律を済ませたアップライトの前に座って、
亡き両親や愛犬を想いつつ
『仔犬のワルツ』を弾くシーンだ。
時々、
じんわりと寄せてくる静かな感動に
(こう言う映画も良いなぁ…)
とニンマリしながら見終わった。
エンドタイトルで吹き替えピアノ演奏を担当していたのは誰だろう…と目を凝らしてみると
9名の演奏者の名前。
『テセウスの船』に出演中の鈴木亮平さんのドラムも見応えあるシーンの1つ。
(^^;
裏庭にムスカリが咲き始めた…
本日は春分の日、
風強し…