一昨日のこと、
父方の伯母から電話がかかってきた。
伯母は重子という。
朝ドラの重子さんが「私のことシーちゃんって呼んで」と言ったが、
あのドラマの重子さんと恐らく同年代だ。
伯母も親戚中からシーちゃんと呼ばれていた。
シーちゃんは、郷里の町でひとり暮らしをしている。
先だって、
盆休みに顔だけ見に立ち寄った際、
土産の一つも持って行かなかった事が気になり、小布施の栗羊羹を少しばかり送った。
その御礼の電話だった。
「私、もう100才よ」
とシーちゃんは昔と変わらぬ元気な声で言うが、
声だけ聞いていると、とても100歳とは思えない。
「足腰も悪いしね」
と言うが、1人で近くのスーパーに買い物に行っていると言う。
シーちゃんの長兄の息子、
私の従兄であるKの死去については
「もともと心臓が悪かったんよ」
との事。
コロナ禍でもあり、葬儀はせずに斎場で火葬式だけを済ませたらしい。
葬儀に行っていないと言うのは、そう言う事だったのか…。
Kの母親、私にとってもう1人の父方のY子伯母もシーちゃんと同年齢だが、既に施設に入っているという。
シーちゃんは、相変わらず親戚中の悪口を言うが、
何故かシーちゃんの悪口にはイヤな気がしない。
恐らく、そこにはホームドラマを見ているような懐かしさがあるからだ。
「◯◯から、こんなひどい事を言われたんよ」
と、愚痴っぽく話すが、
年のせいで多少の勘違いがあったとしてもそれはそれで面白い。
懐かしい親戚たちの顔と諍いのシーンが浮かんでくる。
中にはシーちゃんの弟である私の実父の悪口もあるが、
全くイヤな気がしない。
それどころか微笑ましくもある…。
1時間45分の長電話の8割は親戚の悪口だった。
受話器を持って長時間、話せる体力があること自体が凄いと思う。
「いつでも話したくなったら電話してね」
と言うと、
「ありがとう、ありがとう…」と繰り返す
シーちゃんの声が涙声になった。
100才のひとり暮らし…
シーちゃんの話すホームドラマを、もっと聞いてみたい。