遠い森 遠い聲 ........語り部・ストーリーテラー lucaのことのは
語り部は いにしえを語り継ぎ いまを読み解き あしたを予言する。騙りかも!?内容はご自身の手で検証してください。
 



   暑さ極まっておりますが、みなさまいかがお過ごしですか?今日は古事記について思うことをお話しましょう。....上つ巻、中つ巻、下つ巻のすべてが語れないという訳ではないのですが.....

.........太安万侶の序文によると第40代天武天皇が『古事記』編纂を思いつき、第43代元明天皇の時代にやっと完成したとされています。7世紀のことです。天武天皇の時代といえば、周囲を平定し律令国家の基礎ができた時代です。記紀編纂の目的は国の内外に大君=天皇家の由緒と正当性を知らしめるため...もともとは古事記も歴史書だったと言われています。

   それぞれの氏族がもっている言い伝えを集め編集し一つの神話にまとめたのはいいのですが、ここで正当性を誇るための創作や入れ替えが行われています。元来太陽神、天照大神が男神であったのを天照大神とその神に仕える日の巫女の長をすり替えてしまったのが最大の入れ替えでした。

   古事記を語ろうとするとき、天皇家のルーツならびに神の系譜を考えずにはおれません。なぜなら古事記は神話であり天皇家のものがたりであるからです。天皇家は一支族だったのではなかったようです。そして弥生時代、九州に上陸した渡来人(朝鮮・中国・或いは中央アジア諸説あり)であるというのがもっとも一般的な考えのようです。もうひとつ紀記に書かれているように天孫民族=シュメール人=セム人=イスラエルと同根であるという説もあります。

   では原日本人とは....縄文人は狩猟民族でした。蝦夷、熊襲、隼人と古事記上では蔑まれていますが、世界の他のネイティブとおなじように森 山 川 すべての生き物に神がやどると信じて暮らしていたひとびとでした。彼らの祖が果たして太古から日本にいたのかそれとも北方からあるいは南方からわたってきたのか。今DNAの解析が進められているようです。

   さて それはさておき わたしは語り手です。語り手はモノガタリ、見えないモノを語ります。ここで古事記が単なる夢のものがたりなら語ることはできる。文芸作品ならいとも簡単です。しかし、古事記には史実が含まれている...それが意図的に捻じ曲げられているとしたら....ふと考えてしまうのです。

   ことに神武東征....神武天皇は初代の天皇、海幸彦・山幸彦の山幸彦の孫にあたります。神武天皇=イワレヒコノミコト(本当はもっと長いなまえ)は最初太陽の昇る方向に向かって進軍します。そして幾多の困難をこえ、ネイティブジャパニーズを攻め滅ぼしてゆく。蝦夷や熊襲は背が高く彫りの深い顔立ちであったようです。神武東征のなかで最大の戦いが長脛彦との戦いです。しかしこれもだまし討ちにして、さんざんにバカにしている。後にでてくるヤマトタケルもそうなんですが策略でだまし討ちにすることが多い。勝てばなんでもいいのでしょうが....。

   ところで神武東征のなかで古事記にはなくてなぜか日本書紀にだけでてくるエピソードがあります。イワレヒコノミコトに殺される熊野の女王、丹敷戸畔(ニシキトベ)と 紀伊の国の女王、名草戸畔(ナグサトベ)の話、一説には丹生..水銀そして鉄として精錬する赤土を奪うために滅ぼしたといわれます。ふたりとも一族の首長であってシャーマンであったようです。

   わたしはこのふたりのものがたりを語りたい。語りには代弁....という深い意味がある。誰かの代わりに語る...それは鎮魂の語りです。わたしは自分が縄文人の末裔であると信じているせいもありますが、制圧者であるイワレヒコノミコトやヤマトタケルの代弁はしたくないのです。まつろわぬひとびと、うしなわれたひとびとの代わりに語りたい。

   ヤマトタケルは実在の人物ともいわれ複数の英雄がひとりのかたちをとったともいわれています。白鳥の伝説は美しい、けれども実は原日本人の伝説に白鳥伝説があるといわれます。ひのもとという国もあったようです。日の丸もあった。勝者はすべてを奪いました。土地も伝説も、そして古来の神もまたあたらしい神にその席を譲り渡しました。

   神話は単なる古代人の空想の産物ではありません。少年時代、イリアスが好きだったシュリーマンがトロイの遺跡を発掘したのは有名なエピソードですね。5000年前の神話・叙事詩ギルガメシュに出てくるギルガメシュ王は実在の王でした。またギルガメシュには旧約聖書のノアの箱舟によく似たエピソードが語られています。そしてノアの箱舟ではないかという遺跡も存在するのです。神話を語ろうとすることは編まれた正史の向こうにある真実の歴史に向き合おうとすることでもあります。常識を脱ぎ捨て こだわりのない明るい目で見ようとする視線を持ったとき、ものがたりの地平はかぎりなくひろがってゆくでしょう。

   わたしはかつて太陽神、天照大神が男神であることを、その后神である瀬折津姫に託して語ったことがあります。そのときのトランス状態ははんぱではなく怖しくさえなりました。それでも、歴史の断片をひろいあつめ、欠落を霊感でつなぎ、語ってゆきたいものがたりがある。それはわたしの語り手としての根幹です。他者が書いたテキストから甦らせ語るだけが語り手のつとめではありません。語り手は歴史の闇に対峙しひとの闇にも対峙する。語り手は手探りして隠されたモノガタリを見つけ出し、時には虚構のモノガタリをとおして目に見えないモノ、真実を語るのです。

   神武天皇とヤタの烏


   検索しておいでになった歴史好きの方がおられましたら、もし記述に疑問の点があったらご指摘ください。また日本のもっともいにしえの神々についてご教授ください。



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