遠い森 遠い聲 ........語り部・ストーリーテラー lucaのことのは
語り部は いにしえを語り継ぎ いまを読み解き あしたを予言する。騙りかも!?内容はご自身の手で検証してください。
 



   今日は一日雨音のなかでパソコンに向かっていました。真夏とは思えぬ涼しさです。娘の拵えた朝のスープがたいそう滋味があり美味しくて夏に疲れたからだに沁みとおりました。わたしもパンケーキを焼きました。バタがなじんだところにメープルシロップをかけてこのパンケーキとバタとメープルシロップのハーモニーがくつろいだ日曜日の喜びを奏でます。そのうえに生姜紅茶にこれまたメープルシロップです。ジャムより蜂蜜よりメープルシロップは身体に溶け込んでゆきます。森を食べているんですものね。

   さて、今日はケルトの伝説、"一夜にして沈んだイスの都の伝説”あるいは赤き髪のダユーの再話のテキストをつくりました。きのう読んだ物部文書をまとめたいところですが、ちょっとひとやすみといったところです。古代日本と1500年前のケルト、そして500年前のアメリカ、クレイジーホースのものがたり、手がけているのは一見バラバラに見えますが実は共通しています。

   実は三つとも土着の神...とあたらしい神の相克のものがたりでもあるのですね。ケルトの自然の中の精霊、狂おしい波や炎と新興のキリスト教、やはり土着の縄文の神と大陸から渡ってきたあたらしい文化あたらしい神、そしてスピリットとキリスト教....といってもそんなに簡単な構造ではなくケルトの民が上陸する前今から3500年前にはすでに巨石文明があるんです。

.....それで吃驚なのはストーンヘンジ(4000年~5000年前)とか三内丸山遺跡(4500年前)、マルタ島の神殿(6000年前)、エジプトの神殿などには共通項がある。それは神殿ではその出入り口が、巨石では結ぶラインがたいてい夏至か冬至、あるいは春分秋分の日の、日の出の方向を向いているそうなのです。たとえば三内丸山遺跡の6本の柱を真上から見て、対角線の西と東を結ぶとちょうど春分・秋分の東西ラインに対応するそうです。金山巨石群のふたつの岩とストーンヘンジは夏至の日の出方向と冬至の日の入方向を示しています。太古の文明は太陽崇拝なんですね。

   語り手としてわたしは神話、昔話についてのちのちのキリスト教、ユダヤ教、仏教、イスラム教などに侵食される以前の原初に近いものがたりにちかづいてゆきたいのです。その底深い望に急かされて彷徨ったり走ってしているんですね...。すると道の傍に語りたい魅力的なものがたりが咲いていまして、とりあえず片端から再話しようというわけです。


これはケルトの渦巻き文様 (ニューグレンジ遺跡)
生と死、復活・再生の象徴..外輪の起点が生、中心の終わりが死を意味している

出雲大社、三本の柱を結わえてひとつにしている。ニサの神殿も同じである。ケルトの渦巻きにも似ている。古代3は聖なる数、そして6も聖なる数だった。


 ついでに芥川龍之介の最後の戀といわれる松村みね子のものがたりをまとめました。松村みね子は本名片山廣子歌人でもありましたが、フィオナ・マクラウド イェイツ ダンセイニの訳者としても有名です。訳文は平易でありながら高雅で薫るよう....わたしはとても好きです。

  松村みね子はクチナシ夫人という愛称で芥川龍之介や室生犀星に敬愛されていたようです。歌集”翡翠” カワセミのなかから.... 

  ことわりも教えも知らず恐れなくおもひのままに生きて死なばや
  よろこびかのぞみか我にふと来る翡翠の羽のかろきはばたき

帝大時代 芥川は翡翠に賛辞を寄せていました。いつ詠んだものか知りませんがこの歌はみね子が芥川に寄せたもののような気がします。大き都と読んだときケルトを愛したみね子の心に滅びしイスの都のことが過ぎったのかもしれません。

  つまづきし一人の人を惜しむかな大き都のほろびつる如

芥川はご存知のように漠然とした不安を抱いて自害しました。享年35歳でした。

  

  


  


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