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遠い森 遠い聲 ........語り部・ストーリーテラー lucaのことのは
語り部は いにしえを語り継ぎ いまを読み解き あしたを予言する。騙りかも!?内容はご自身の手で検証してください。
 



   夏休みがおわりました。わたしの盆休みは15日の午後から17日までだったのですが....収穫がありました。ひとつはオオクニヌシの国譲りについてなのだが、どう考えてもおかしいのです。

   オオクニヌシはスクナヒコノミコトの力を借りて豊葦原中国(トヨアシハラナカツクニ;神々の住む高天原と黄泉泉根国..あの世のあいだの国すなわち人間の世界)をいっしょうけんめいつくった、ようやくできあがったところで アマテラスのお使いの神が、出雲国の伊那佐の小浜に降り立ち、剣を二振り波間に突きたててオオクニヌシに言った。あなたが治めている豊葦原中国は、アマテラスの子孫が治めるべき国である。

   ずいぶんひどい話だと思いませんか?恐喝同然です。オオクニヌシもすぐには承諾しなかった。オオクニヌシは使者の詰問に直接答えず、自分の子供のコトシロヌシノミコトに聞いてくれ、コトシロヌシがOKなら考えましょう...といいます。そして、(使者は海辺で釣りをしていたコトシロヌシノミコトに迫ります)コトシロヌシノミコトがOKすると、オオクニヌシノミコトはもうひとりの息子タケミナカタノミコトにも聞いて欲しいといいます。この力自慢の息子タケミナカタがアマテラスの使いタケミカヅチに相撲(これは比喩でしょう)で負けて承諾したあと、初めてオオクニヌシは国譲りに応じるのです。それも「国はあげるから、私が住むための大きな宮殿をたてて欲しい」と条件をつけます。これが出雲大社、その高さ48Mといわれます。

   2012年に出雲大社で古代の柱のあとが発見されました。下の写真巫女さんの前にあるのがその柱、もう一枚の写真は当時の出雲大社の復元図です。不安定なため幾度か倒壊したようです。




   
   オオクニヌシの国ゆずりのものがたりにはつづきがあります。コトシロヌシノカミは自害したという説もあります。タケミナカタノミコトは諏訪まで逃げてその土着の神と話し合って諏訪神社に祀られました。タケミカヅチに命乞いをして諏訪から二度と出ないならと許されました。これが諏訪の上社です。ところがその後朝廷は下社を立てます。御柱祭とはタケミナカタノミコトを封じこめる意味があるというのです。

   さて、話をもとに戻しましょう。オオクニヌシの国ゆずりの物語がまったくの作り話とは思えない。なんらかの史実があったとみなすのが妥当と思います。しかしアマテラスがはじめからここにいた、権限があったのなら恐喝する必要などないはずです。そこから....オオクニヌシのほう(出雲族)が先にいて国を整えていた。あとからきたアマテラスの一統(ヤマト)が力づくで奪い取ったのではと考えられます。

   古事記を編集させた当時の権力者が内外に伝えたいことひろめたいことはなにかというと「天孫降臨」と「オオクニヌシの国ゆずり」だろうと思うのです。すなわち自分たちの血統の由緒正しさ...天からくだった神...民たちを統治するのにふさわしい何代もつづいた一族である.....武力で制圧したのではなくもともとの権限を譲られた...というアリバイつくりが記紀の編集の底にあった。....そこで天皇の家系の途中までは屈服させた豪族たちの持つ伝承などをつなぎあわせた....のではないかと思うのです。天降る...のアマとは海のアマではないか、すなわちヤマトは海を渡ってきた一族ではないかという説があります。

   ところで伊勢神宮は古代皇室(ヤマト)の氏神で中世まで皇室以外のひとが参拝することは許されませんでした。(....しかし持統天皇以前、ちかごろでは明治天皇以前までは天皇の参拝はなかった...天皇の参拝は忌みごとだった。これも謎ですね。)なぜ、タケミナカタノミコトは信州に逃げたのか? 距離的に離れている出雲の方言と東北弁が似ているのはなぜか? ...信州、安曇野をとおるたびにバスのなかで目覚めてしまうのはなぜか? 安曇野になにかがあると感じるのはなぜか....いつか出雲に行ってみたい....

   こんなことを考えながらわたしは父のことに思いを馳せました。父は歴史が大好きで神社仏閣をよくたずねていました。父との最後の晩...話してくれたのは南朝正統論と歴史のうえで源氏と平氏が順番に政権を担っているという事実でした。わたしが歴史に首をつっこむようになったことを知ったら父はなんというでしょう。....父のような歴史好き、巷の考古学者やは大勢いらっしゃるようです。

   ある方は古事記の登場人物の動詞に目をつけました。そこで国譲りの前後でアマテラスのつかう動詞がすっかり変わっていることに気づいたそうです。ある方は出雲大社の近くに洞窟を発見しました。その洞窟は地元の方は決して近寄らない場所なのだそうです。出雲大社は虐殺されたオオクニヌシの一族の祟りをおそれて建てられたというのがその方の考えでした。今年亡くなった歴史学者吉野裕子さんは主婦でありながら、なぜ踊りで扇子をつかうかという疑問から古代史に夢中になり、さまざまな発見をされた方でした。

   歴史の真実がどこにあるか、それはかならずしも 学会の偉い方々の意見がどうであるかとは別のもののように思います。松岡正剛氏の本に歴史を意味する「ヒストリー」の語源には”物語る”(historia)という意味が含まれるとありました。歴史を知る、歴史をものがたる....ことには意味があります。それは過去を回顧するのでなく、今を考えること明日を考えることにつながってゆくのです。やすみのあいだに見つけたことはいくつかあって ひとつずつ書いてゆきたいと思います。






   

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